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 夏本番のこんな暑い季節には、南イタリアを感じさせる熱い音楽を。
 ドイツのテノール、カウフマンによるイタリア歌曲集は、ナポリ民謡からイタリアン・ポップスまでと幅の広いもので、《帰れソレントへ》《カタリィ、カタリィ》等の曲からは、誰もが思い浮かべる「これぞ、イタリア」な雰囲気を味わうことができる。
 オーケストラはシチリアのパレルモ・マッシモ劇場管弦楽団、これが思わず笑ってしまうほどのコテコテのイタリア節とでもいおうか、歌謡ショー的な劇的演奏で凄いなぁと。肩の力を抜いて、ショー鑑賞気分で楽しませてもらった。
 カウフマンは明るく抜けるような声ではないけれど、ダークな声質を生かした情熱的な歌いっぷりで、曲の盛り上げ方が上手く、嵌まっている感じ。

 収録曲では《Il Canto》が素敵だった。2003年にパヴァロッティのアルバムのために書き下ろされたもの。《タイム・トゥ・セイ・グッバイ》と雰囲気が似ていて、切なさと新たな旅立ちを併せ持っているところがいい。
 この曲の最後、Vieni,vieni via con me!のフレーズを、こんな感じで歌われたら(答えはもちろんSi!Certo!いえ、この方のファンではないのですが...)クラクラしてしまうかも…。

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# by marupuri23 | 2017-07-19 22:37 | CD | Comments(0)
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 昨年、システィーナ礼拝堂でガイドブック(ミケランジェロの本)と双眼鏡を手にしてフレスコ画に見入っていた際、近くにいた方から「ガイドブックを見せてほしい」と話しかけられた。ガイドブックを手渡して「どこからいらしたのですか?」と尋ねてみると「アルゼンチン」との返事。そうだ、現ローマ法王フランシスコはアルゼンチン出身だったな、と思いがよぎったものの、あまりおしゃべりをしてはいけない場所だったので、残念。

 そんな思い出もあったので、ダニエーレ・ルケッティ監督の《ローマ法王になる日まで》を鑑賞。法王フランシスコの若かりし頃を中心に描いた伝記映画だ。こうした伝記映画は「作られた物語」という面があることは否めず、その内容に縛られてしまうことを恐れて、あえて「観ない」という方もいるだろう。私もよほど思い入れがあれば観ないという選択をしただろうが、カトリック(キリスト教徒)ではないし、好奇心の方が勝って映画館へ。

 撮影のほとんどをアルゼンチンで行ない、アルゼンチンの役者にスペイン語でという力作。圧巻が1976年からの軍事独裁政権での状況で、背筋が凍った。それは「汚い戦争」と呼ばれ、3万人が死亡または行方不明となった暗黒時代である。そうした過酷な状況でのホルヘ・べルゴリオ神父(フランシスコ法王)を、苦悩して行動を選択していく人間の姿として描いているところが、良かったなぁと。
 ルケッティ監督は、無宗教の立場で扱ったそうだが(ご自身はカトリックではないとのこと)、べルゴリオ神父を含む人々と独裁政権との闘いについて、宗教や信仰、無信仰、カトリックか否かを超えた普遍的なプロセスを描いたと語っている。アルゼンチンへの理解を深めることができたのも、大きな収穫だった。
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ヴァティカン博物館のお土産コーナーにて。
パーパ(papa ローマ法王)もいらっしゃいました。

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 人生の意味とは愛し愛されることだ、と感じさせてくれる映画。人を愛することは、人生を照らす光。そのことを声高に謳い上げるのではなく、むしろ淡々とした語り口。ストーリーが進むごとに、ジワジワと幸福感に満たされ、最後は大団円!こうでなくっちゃ♪
 映画の舞台は、これほどまでに恋人たちの姿が似合う街はないだろうと思われるヴェネツィア。ロマンティックを絵に描いたようなところだが、ソルディーニ監督は「これぞ、ヴェネツィア」という撮り方をしない。旅人であるヒロインを取り巻くヴェネツィア住人の視点から、日常風景を描いている。それは迷宮のような路地に小さな広場の井戸、そして運河にかかる橋。いわゆる名所と呼ばれる場所は映っていないが、そこは、やはりヴェネツィア以外の何処でもない。
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 昨年9月、ヴェネツィアにて(劇場から宿に帰る途中、橋の上で)

 ヒロインと恋に落ちるヴェネツィア住人フェルナンド(ブルーノ・ガンツ)が、アリオスト『狂えるオルランド』を暗唱する場面がある。オルランドがメドーロとアンジェリカが結ばれたことを知って狂い悶えるハイライトシーンだ。恋は人を狂わせるもの、思ってもみなかった自分が現れる。そう、アモーレ(愛の神)の技は、過去から現在に至るまで、かくも強烈なのである。

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 シルヴィオ・ソルディーニ監督の《ベニスで恋して》を鑑賞中。
 リーチャ・マリエッタ演じる主婦ロザルバが、初めてヴェネツィアを訪れ、サン・マルコ広場に到着する場面がある。
 監督は直接サン・マルコ広場を撮らず、店のショーウィンドーに反射するサン・マルコ大聖堂の映像、そしてロザルバのサングラスに映り込む鐘楼で、彼女が今、広場に居ることを表現。この撮り方が上手いなぁと。広場を眺めるロザルバの感激した面持ちが、言葉はなくとも広場の美しさを十分に物語っている。
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 私が初めてサン・マルコ広場を訪れたのはヴェネツィア到着日の14時頃。宿から広場を通り、急いでフェニーチェ劇場に向かったたため、ろくに眺めず通り過ぎた。そして舞台がはねた後、一旦宿に戻る際に再び通過。そしてまたゴルドーニ劇場へ。この時はちょうど日暮れ時。
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 夜11時近くだと、昼間は行列だった大聖堂前もこのとおり。ライトアップされていて、これはこれで雰囲気あり。

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 やっと、ヒューイットのバッハを実際に聴ける。それもオール・バッハプログラム(2日連続!)なんて夢のよう、と高ぶる思いで紀尾井ホールに。
〝The Bach Odyssey —バッハ遍歴”の第一弾は2声のインヴェンションと3声のインヴェンションを軸としたプログラム。ピアノを多少なりとも弾いてきたものにとっては、馴染み深い曲集だ。
 
 この記念すべきバッハ遍歴は《幻想曲ハ短調BWV906》から。嵐の前触れを感じさせるエネルギッシュな曲(半音階が効いていて、カッコいい!)を颯爽と奏でるヒューイットに、初めからノックアウト状態、凄い!
この曲は、C.P.Eバッハがソナタ形式を開発するのに、影響を与えたに違いないとのこと。すっかりこの曲に魅せられてしまい、コンサート後にCDで繰り返し聴いている状態。
そして《イタリア風のアリアと変奏BWV989》を経て、《2声のインヴェンション》《3声のインヴェンション》へ。

 私も2声は全曲、3声は半分程度弾いたが、易しい学習用の曲と認識されがちなこの曲集を、ヒューイットはなんと表現豊かに聴かせてくれたことか。一曲一曲の個性がしっかりと打ち出されており、声部の弾き分けはもちろん、装飾音も美しく、丁寧に吟味を重ねた解釈であることが伝わってくる。
 生き生きとして、曲それぞれが色合いの異なる宝石のような輝き。それはヒューイットと同一化しているファツィオリのピアノの音色でもある。現代のピアノなのに金属的ではなく、まろやかで、フォルテピアノのような響き。
 「たった1ページ弾くためには、どれほどの思索、注意かつ知性が必要とされるか理解していただきたい」とレクチャー(DVD)で語っているが、このような真摯な取り組みが豊かな実を結んでいることに、本当に感銘を受けた。

 そして圧倒的だった最後の《幻想曲とフーガ イ短調BWV904》。オルガン曲を想定していると思われる曲で、バッハを聴く醍醐味(もちろんフーガだ)を満喫。無限に続くとも思われる上昇ループに、気分が最高潮に盛り上がる。ヒューイットのフーガは本当に素晴らしい。お父様がオルガン奏者だったそうで、幼少から身に付いた感覚があるのだろう、オルガンを連想させる広がりを感じさせてくれたのも見事。
 今後も度々日本で聴けるとは、嬉しい限り。

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 コンチェルト・イタリアーノのモンテヴェルディを聴いて、鮮やかに脳裏に蘇ったサン・マルコ大聖堂。
 純粋なビザンツ様式で貴重な建築物でもある。ファサードは二層五連のアーチを持つが、この中央入口のアーチ内モザイク《最後の審判》は19世紀のもの。
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 下から見上げても、さすがに細かいところまではよく見えない。でも、撮った映像を拡大してみると確かにモザイク。マリア様の光輪がひときわ輝いて、神々しい。
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 入場は無料なので、滞在中は好きなだけ再訪できる...だけど、この行列。写真を撮るのも一苦労だ。
 荷物(私の場合はショルダーバック)は大聖堂から少し離れた場所にあるクロークへ預けないとならない。係員が並ぶ際に注意してくれるが、預けないまま行列に並んでしまわないように!
 行列自体の進みは速く、数時間も待たされるということはないと思う(予約しないと2時間並ぶヴァティカンとは違う)。1ユーロで予約ができるようなので、時間が限られている場合にはいいかも。

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 マックス・リヒターが英国ロイヤルバレエの新作《ウルフ・ワークス》のために作曲したもの。
 ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』『オーランドー』『波』をモチーフとし、小説ごとに曲が分かれている三部構成。

 私はウルフ『ダロウェイ夫人』には、それはもう心を強く揺さぶられて、感涙したほど(大好きだ)。書法としてはプルーストに似ているが、もっと繊細な表現で抒情豊か。女性ならではの息遣いが感じられるのが、また素晴らしく、想い出すと胸がまた熱くなってしまう。
 『オーランドー』は16世紀から生き続ける、男性から女性へと変化したオーランドーが主人公。設定がSFっぽくもあるので、近未来的なイメージが浮かぶリヒターの作風と小説とのコラボが最も嵌まっていた。主題は変容ということで、曲も《ラ・フォリア》(狂気を意味する)による変奏曲。想い浮かぶのはバロック時代の有名なコレッリ版だが、これがリヒターにかかると最新電子音楽による変奏曲へ。ヴィヴァルディの時もそうだけれど、こうしたアレンジは上手いなぁ。
 英国ロイヤルバレエの公演もライブビューイングで観たけれど、ウェイン・マクレガーのモダンな振付とぴったりで、凄い迫力。『オーランドー』映画版のDVDも(公開されたのは20年ほど前になるかと、昔映画館で観たのだった....)。
 『波』はウルフの自死を濃厚に予感させる曲となっており、波を感じさせる音の流れが不安を増幅させ、緊張感を高めていく。「再び自分が狂っていくのがわかります」というウルフの言葉。波が自分という存在を根底からさらっていくようで、ただ悲しい。

 ウルフを翻訳するのは、骨の折れる大仕事だと思うが、良さの伝わるいい訳で読みたいなぁと。最近出た『船出』も読みたいけれど、なかなか時間が取れないのが、困ったもの。

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# by marupuri23 | 2017-06-20 23:02 | CD | Comments(0)
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 マックス・リヒターの曲を使用ということで、興味を持っていたものの、なかなか観る機会を作れずにいた《メッセージ》だが、今日の新聞でテッド・チャンによる原作『あなたの人生の物語』の評を読み「これは観なければ」と、やっと公開終了寸前の鑑賞へ。

 言語によって思考が定まる、事項の捉え方が変化するというのは、外国語を習得することになぞらえればすぐに納得できることだが、その思考が〝時の流れ”に縛られていることには変わりない。だが、〝時の流れ”に縛られないならば?過去が未来となり、未来が過去となる。それが丸ごと繋がったとき、驚きの結末に。
 主人公の、それでも今の気持ちに正直に生きる、宿命を受け入れるという選択が心に響いた。「嘆き」よりも「愛」の大きさを感じられたのが嬉しい。
 監督ドゥニ・ヴィルヌーヴによる静かな語り口が、リアルな感覚で良かった。《ブレードランナー》続編もこんな感じだったら、いいかも。

 リヒターの曲はオープニングとエンドロールに使用されていたが、劇中でのヨハン・ヨハンソンの曲と相性抜群のため、そう言われてみればという印象(いい意味で映画に合っている)。
 公開中の《ザ・ダンサー》も彼の曲《25%のヴィヴァルディ》を使用していると知ってビックリ。リヒターが再構築したヴィヴァルディ《四季》(個人的には好き)と映画の時代背景&ダンス、合うのかな?

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 初めて実演で接したモンテヴェルディの《Vespro》だった。
 なんということだろう、今になってこの曲の凄さを知ることになるとは、遅すぎた!その想いで今は一杯。この曲には、すでにバロック音楽の全てがある。バッハも、ヴィヴァルディもここから聴こえてくるではないか、まさにバロックの源。
 この曲は有名なので、昔CDでいくつか聴いていたものの、どうもピンとこなくて聴き込むことをしてこなかった。だから、今回はなおさら衝撃的。コンサートの後半は圧倒されてしまい、茫然としてしまった。

 確かに宗教曲。でも、これは「生」への高らかな賛歌だ。生きるということは美しく素晴らしい、その肯定感が力強い生命力を伴った音楽となって迸っている。

 「めでたし、海の星 祝福される、海の御母 永遠に変わることのない乙女にして 恵まれた天の門」、聖母マリアは母性の象徴でもある。この讃歌に浮かぶのは、やはりヴェネツィア(初演はマントヴァと推定されているが、その後ヴェネツィアでも演奏されたはずだ)。
 そう、この曲はいやがおうにもヴェネツィアを想い起させる。ヴェネツィアでは、昔から現在まで「海との結婚」が儀式として行われている。ドージェ(元首)は指輪を投げ入れ、宣言する「汝と結婚する、海よ。永遠にお前が私のものであるように」と。
 歌声のメリスマの揺らぎは、サン・マルコ寺院(聖堂 Bailica di San Marco)の黄金のモザイクの揺らめきを、そしてオルガンの響きは、夕日に照らされ艶やかに浮かび上がるサン・マルコ寺院のファサードを、祝祭に満ちる世界で最も美しい都市を、再び目の当たりにしたような感動を与えてくれた。

 見事にモンテヴェルディの核心を突いた音楽を創り上げた、コンチェルト・イタリアーノ。ありがとう、素晴らしかった!

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 シチリアのパレルモを舞台としたマフィア映画で、イタリアでは大ヒットを記録した作品。TVドラマにもなっており、監督・原案・脚本そして主演まで務めるのは、シチリア出身のピフことピエルフランチェスコ・ディリベルト。直接話した知人によると、シチリア訛りで話を返され凄かった、とのこと(どんな感じなんでしょう)。

 シチリアといえば思い浮かぶのがマフィア、これは完全に映画《ゴッドファーザー》の影響。また、ヴィスコンティ《山猫》とか...。オペラだとマスカーニ《カヴァレリア・ルスティカーナ》、有名な間奏曲を含めて大好きだが(いかにもシチリア的でディープな愛憎劇)これぐらいしか頭に浮かばず申し訳ないと。

 マフィア映画だが、内容はコメディ仕立て。1970年代、マフィアによる反マフィアに対する暗殺の数々を、一住民である少年アルトゥーロの日常を通して描いていく。殺人が日常的で、しかも関係のない一般人も巻き込まれてしまう状態が続いていたことに、ただ驚いてしまう。とはいっても、そこはコメディ。笑いとユーモアで血生臭さは押さえ、少年アルトゥーロと同級生のフローラの出会い、そして大人になった二人の恋の進展が軸になっているところが良し。フローラ役のカポトンティは清楚な美貌で、魅力的。そして、頻繁に登場する「イネス」という粉砂糖の振りかけられている揚げパンが美味しそうで...。

 映画の最後に、マフィアとの闘争で命を落とした記者や政治家の記念碑を巡る場面が印象的だった。この映画は、そうした人々に捧げられている。

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