ショパン《スケルツォ第2番》、そしてポゴレリッチ
故黒田恭一の遺稿・未完の朗読劇を草笛光子が朗読し、横山幸雄がショパンの名曲を演奏。サンドとショパンの9年間に焦点を当て、朗読劇と演奏で交互に進められるもの。
サンドの献身と庇護があったからこそ、ショパンはあれほどの名曲を作り出すことができた。それは周知の事実であるけれども、リストしかり、ワーグナーしかり、ロマン派名曲での女性の影響は大きいなと…。
この番組でショパン《スケルツォ第2番》を初めて聴き、すっかり魅せられてしまいました。
激しさと優しさ、喜びと苦悩、高揚と落胆が交互に入れ替わり、まるで青春真っ只中の心象風景のよう。
そして今、ポゴレリッチが弾いたものを取り寄せて聴いています。
ポゴレリッチの名と評判は知っていましたが、演奏を聴いたのは実は初めて。流麗で華やかな「ピアノの詩人」ショパンの世界をイメージして聴くと、裏切られた気持ちになるかも。
「ショパンは美しくあらねばならない、美しく聴かせなければならない」といった固定観念から離れて(解放されて)います。緩急のコントラストが大きく、タッチも様々。それだけ表現の幅が広いということです。テクニックは見事ですし、音の粒立ちも美しい(曖昧さがない)。
感じられるのは、今まさに曲が生み出されたばかりのような瑞々しさ(即興性)と、生身の人間が音楽で何かを表現しているという、一種生々しいデモーニッシュさ。ショパンを自分の内的世界に取り込んで、こちらに真っ向勝負を挑んでいるという姿勢が窺えます。
クラシック音楽であるけれども「現代美術の一番大事なところは、人間と対立するような形をとっているということ」と言った村上隆さんのコメントを思い出しました。
私にとってはこれも紛れなくショパン。ある意味、私も見習いたいです。
今月の発表会を終えたら、グリーグ《ホルベアの時代から》に取り組むつもりでしたが、この曲も弾きたい!
ルービンシュタインの演奏で、ショパンの「バラード&スケルツォ」を全曲収録したSACDをリファレンスにしています。
いつの日か記事にしたいと考えていますが、演奏は勿論のことピアノの音が実に生々しい一押しのディスクです。
私もノクターン集にうっとりして、その演奏に触発されて、アルバムに収録されていたノクターン(作品55の2)を練習し始めた思い出があります。
昔のことで、そのアルバムは行方不明になってしまったのですが…。
オーディオの記事も含め、ディスクのご紹介を楽しみにしていますね。