二期会オペラ公演「ジュリアス・シーザー」

昨日はヘンデルのオペラを王子「北とぴあ」で鑑賞。5時開演、終演9時半という長丁場。
若手中心の歌い手さんらはよく健闘していました(一流バロック歌手と比べてはいけない)。オケはバッハ・コレギウム・ジャパン、聴こえてくるのは確かにヘンデルの「歌」で、安心して身をゆだねることができる充実した演奏ぶりでした。しかしソロ楽器が入る部分では(ホルン)あまりの不安定さに「どうなってしまうのだろう…」とハラハラさせられるなど、破綻しかけたところも。またヘンデルのオペラではバロック的な流れというか、留まらずに「前へ前へ」という勢いがないとおもしろくないのですが、それに欠けているような。その勢いのある箇所と、ゆったりとした所の対比が最大の魅力で、まさしくバロック(いびつな真珠)という感じがします。
その対比はやはり光と闇の対比を用いてドラマを描いたカラヴァッジオの絵画とゆっくり重なり合い、結果「やっぱりバロックって素敵」となるのでした。

しかし演出は…。ヘンデルはあの世で嘆いていることでしょう。

「現代におけるヘンデルのオペラ上演での脅威として身勝手な舞台演出家が出現している。彼らはオペラの脈絡に合うかどうかはお構いなしに、オペラを締め上げるコンセプトで武装している。オペラの筋書きをとうてい不可能なものとみなし、ヘンデルの才能の炎のもとで、劇場の中でこそ生命が躍動する、ということを理解せずに、訳の分からないものとして片付ける。こうして歪められた上演は時として技術的には完成している。巧みに娯楽を提供しているので、オリジナルの上演がどういうものか知らず、こうした上演で何が失われたかのか分からない聴衆、そして批評家は容易に喜ぶのである。演出家は作曲家を軽んじ、使い古しの手法で聴衆を言いくるめようとしているのである。
もし演出家が、当時ヘンデルのオペラを上演した劇場の条件についてよく知っていれば、ヘンデルのやり方で、現代の聴衆の心を捕えることができる、ということをすでに多くの上演が証明している。もしヘンデルのオペラ上演がオリジナルな形で今日は受け入れられないなら、過去においても受け入れられなかったはずである…」
(『ヘンデル オペラ・セリアの世界』 ディーン博士著より)
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by marupuri23 | 2005-10-16 21:33 | early music | Comments(0)