新国立劇場《ドン・ジョヴァンニ》(H26.10.22)

いわゆる「オペラ」の中でも最高傑作の一つといえるモーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》、私も魅かれてやまない作品で、天才の手によるものとは、こうしたものを指すのだと思わずにはいられません。

まずその音楽…、このオペラに特徴的なデモーニッシュで、官能的ですらある旋律に心を奪われてしまいます。モーツァルトのそうした部分がいかんなく発揮されており、それが、なんとも自然な滑らかさで、心理を抉り出すような愛憎に満ちたドラマを形作っていく…、こちらにそうと気づかせないほどの流麗さ、なんてエレガントなのでしょう!

そして、私もドンナ・アンナやドンナ・エルヴィーラと同様に、ドン・ジョヴァンニという存在に魅せられてしまうのです。人間の本能のみで生きているような、そしてそれを肯定し、自己肯定の論理で常識を一蹴する…。「自由だ!」とドン・ジョヴァンニは叫びますが、なんでもありの世界=本能の解放、快楽の追求を宣言しているように思えます。今が良ければよい。当然、社会的にも、宗教的にもそれは許されません。
最後には亡霊と対決し、地獄に落ちるわけですが…。

そうしたドン・ジョヴァンニには、人間離れしたカリスマ性が求められます。
どのようにドン・ジョヴァンニを描くか、演出の腕の見せ所でもありますが、今回はどうもそこが弱かった。チェスの駒に見立てた演出は、神の視点で描くというようなオリジナリティが感じられますが、意図が今一つ掴めないもの。

オーケストラ、歌い手さんはとても健闘されていたと思います。
モーツァルトによる大好きなオペラ、久し振りに楽しむことができました(しかし、友人から渡された河上徹太郎によるドン・ジョヴァンニ論の理解には至らず…)。
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by marupuri23 | 2014-10-25 23:20 | opera | Comments(2)
Commented by miya at 2014-11-05 21:33 x
まるさんこんにちは。
モーツァルトの音楽がもつ力って、音楽の、ひいては人間の本能的なパワーを感じさせてくれる感じで独特ですよね。
どんな舞台だったのかなーと興味津々でした。
最近ずっと舞台を見てないので羨ましいです♪

しかし最近は演出に凝るけど困惑させられるものも多いですよね。
私の母が近年見たものでは、
「ポッペアの戴冠」で皇帝ネロがマフィアの親分
「オルランド」で騎士オルランドがなぜか消防士
ーというのがありました。物語の読み替え能力にも限界があるかもと思いますよー。
でも歌がよかったらすべてよしという気持ちになります。
素敵なレポートありがとうございました。
Commented by marupuri23 at 2014-11-11 00:13
miyaさん、コメントありがとうございます。
昔はモーツァルトの魅力がよく分からなくて、しかも中学生時に《きらきら星変奏曲》を弾かされたのが辛くて、今でもトラウマです…。高校生時に《フィガロの結婚》を観たり、20代前半で《魔笛》を観たりしても「??」という感じで、漠然と聴いてきましたが、年を重ねるにつれ、徐々に「いいなぁ~」「すごいなぁ~」と感じるようになりました。特にピアノコンチェルトが好き♪

演出はもう、何でもありの時代ですよね。ヨーロッパでは「時代精神」がまず重要で、演出家の能力の評価は、いかにその古典作品を再解釈し、いかに彼自身の解釈が観客に感銘を与えるかにかかっている…、ということのようです(上智大教授でいらしたインモース先生の著作より)。これなら、次から次へと読み替え演出が出てくる訳も納得がいきます。日本とは伝統芸能の捉え方、価値基準が違うのですね。能との比較が大変興味深いものでした。

読み替え演出も、当たりはずれがあって、以前に観たヘンデルの《アグリッピーナ》は斬新で洗練されていて…、私はもう度胆を抜かれてしまいました。会場の熱気も凄くて、一体感があり、向こうだと、日常的にこうしたものが観れるのだと、それは羨ましくてなりませんでした。

でも、今ではネットという便利なものがあって、様々な公演をすぐに観ることもでき、いい時代です♪そして素晴らしい日本の伝統芸能も観ることができる、これは幸せなことではないかしら!