新国立劇場《マノン・レスコー》・2~激情の恋の行着く果て

プッチーニの《マノン・レスコー》、実際の舞台に接するのは実は初めて。もちろん映像やCDではあれこれと観たり聴いたりして、中でもカラス&ディ・ステファノによるものは、それこそ何度聴いたことか…。あまり思い入れがあると、かえって観る前から舞台に対しての不安感が増したりして、何のために聴きに行っているのかとも感じてしまいますが…。

どの曲でも同じだと思いますが、ともかく始めが肝心。特にオペラでは、観客を一瞬のうちに、その“うそ”の世界に惹き込まなければなりません。今回オケについては、それは成功していたと思います。

一幕の弾むような、若々しい、青春の、恋の季節。初々しい恋の高揚感が匂い立ちます。デ・グリューのアリアがまさにそう。「ああ、若さって、初恋ってこういうものだ…」と感じさせる音楽に、一幕目から胸が一杯に。
その初々しい恋の季節から醒め、現実と恋の情熱の板挟みとなる二幕。ここでの二人のデュエットは、初恋を通り過ぎた男女の、かけひきを含めた情熱的な恋愛が描かれます。激しく美しい、そして官能的なデュエットには息が詰まるほど。
そして、二人の悲劇を予告するような、溜息に満ちた美しい間奏曲。三幕では一転して、この恋ゆえに囚人となりアメリカへ流される二人、最終幕でついに荒野で息絶えるマノン。ここでは、お互いを強く求め合いながらも成就できぬ狂おしいばかりの恋に溢れています。叶えられぬ恋の行き着く果ては、日本で言う「心中もの」に近いものとなってしまう…。

現実の世界では、このように恋愛を貫くというのはあまりにもかけ離れたものでしょうが、そこにこそ恋愛の本質があり、それこそがこの物語(原作であるプレヴォ著『マノン・レスコー』)が現在にまで生き続けている理由でしょう。そうした想いがなければ、果たして恋していると言えるでしょうか?
プッチーニの才能の炎によって、その恋の情熱が見事に表現されているところに、とても胸打たれるのです。特に、二人が社会的に転落していくのに比例して、いやがおうにも愛の純度が高まっていくところは、素晴らしいとしかいいようがないほどの表現力だと思います。

その音楽に演出が寄り添っていたかどうかは…、一幕目の眩いばかりの青春の若々しさから、二幕目の退廃感と官能の愛、三、四幕目の悲劇への転落とこれだけ幅があるのですから、その流れに乗ってほしかったと…(ストレーレルに師事されたということで、納得)。
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by marupuri23 | 2015-03-24 23:27 | opera | Comments(0)