ティツィアーノ《ペーザロの祭壇画》、フラーリ聖堂にて。
イタリア・ルネサンスの作家、アリオストが『狂えるオルランド』で、古代ギリシャの画家達を「その名声は、たとえクロト(運命の女神)の手によってその肉体が滅び去り、次いでまたその作品も消えうせようとも、いつまでも消えることなく、人々が読み書きを行う限り、物書き達の手によって、この世に命を保つであろう」と書いている。
それは、「また当代に生きたる者や、今もなお生ある者たち」とダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロと並んで「カドーレの誉れティツィアーノ」も同様と、その作品の素晴らしさを称えている。
ティツィアーノはアリオストと交流があり、肖像画も描いている。この肖像画もアリオストの人となりが伝わるような、魅力的な描き方だ。
ティツィアーノはドロミティのピエーヴェ・ディ・カドーレ生まれ。ヴェネツィアのベッリーニ工房にて学び、ジョルジョーネの助手を経て、このフラーリ聖堂の《聖母被昇天》を制作し名声を得た。
そして、この聖堂にはティツィアーノが埋葬されている。記念碑には《聖母被昇天》が刻まれており、やはり、なんといってもこれがティツィアーノの代表作だ。その祭壇画は、聖堂の窓から差し込む光の中に浮かび上がり、まるで現実の出来事のようにリアルな感触を与えてくれる。