イタリア映画祭2017《はじまりの街》(La vita possibile,2016)

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 トリノが舞台と聞いて、観たくなってしまった作品。
 上映後の監督への質疑応答で「なぜ、ミラノでもフィレンツェでもなく、トリノを選んだのか?」との問いに「始めは舞台をパリにするつもりだったが、その計画が頓挫したので、パリに雰囲気の近いトリノを選んだ。イタリア人にとってトリノは魔法のような街。光が独特で、この映画ではトリノの街自体が主役にもなっている」と。
 映像では、トリノの晩秋を彩る黄金色が映え、この街がまさに主役級の存在を放ち、情感を盛り上げていた。思っていたより(やはりというか)大きな都市。主人公たちを取り巻く人間関係も、フランス人や東欧出身など多様性がある。
 物語は「すべての女性に捧げる」という監督の言葉から窺えるように、女性に対する暴力(DV)をテーマにしているが、暴力を受けるのは女性だけではない、それは弱いものへ、弱いものへと流れる(子供や移民まで)。そして暴力も様々な形をとっていく。そこから立ち直るのは、容易なことではない。

 主人公である母親は夫のDVから逃れるためにローマからトリノへ移り住む。13歳の息子と共に。知らない土地(文化)に住むことも容易でないことは明らか。全てを捨てマイナスの状態から生活を再構築していく過程が、丁寧に描かれている。人は人によって傷つけられるけれど、人を救うのもまた人であると再認識。

 マルゲリータ・ブイは、生活に疲れた50代女性という設定なのでノーメイクで出演。抑えた表情のなかに感情を滲ませ、リアリティのある演技。そして素晴らしかったのが13歳の息子ヴァレリオを演じたアンドレア・ピットリーノ!天才じゃなかろうかと思った。

 印象に残ったのが音楽。フランチェスコ・チェラージによるもの(先月聴いたエイナウディと似ている)で、ミニマル・ミュージック的だが、この作品にとても合っていた。監督によると、自身が音楽好きということもあって、気を配っているとのこと。今回も、俳優に音楽を聴いてもらいながら演じてもらったそうで、だからああした演技が出るのかな、なるほど。

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by marupuri23 | 2017-05-02 23:57 | 映画 | Comments(0)