カテゴリ:early music( 75 )

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 C.P.E.バッハによるフルート協奏曲をパユ&ピノックで。
 パユは実際に何度か聴いていて(最近は一昨年のコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲で。フルートの音色に「うわっ、誰?」と、オペラグラスで確認したらこの方だった)もうかなり前のことになるが、このデュオの来日公演でJ.S.バッハを聴いたことを思い出す。
 この時はモダン・フルートとチェンバロの組み合わせにどうも違和感があったのだけれど、このCDではアンサンブルなので音のバランスもよく、何よりC.P.E.バッハのギャラント様式は、パユの華麗な技巧を存分に生かすのにはうってつけ。鮮やかで切れのある演奏を楽しませてもらった。やっぱり「ベルリンのバッハ」は意表を突く展開が斬新で、カッコいい!

 特に気に入ったのが、ニ短調Wp22の第一楽章。「手本となる傑作、素晴らしい対位法」とパユが語っているが、私はやはりこうした曲が好きなんだなぁと、再認識...。気に入ると何度も繰り返して聴いてしまうため、この曲が耳タコ状態。
 第二楽章はこの闊達さから打って変わってエレガントな曲想、その優美さに浮かびあがるのはサンスーシ宮殿しかない。このロココな雰囲気と曲がぴったり重なってしまうのも、C.P.E.バッハのまた凄さ。
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 一昨年の秋に訪れたサンスーシ宮殿。
この公園は広大で、一日かけても回り切れないほど。

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 今年の聴き始めは、ベルリン古楽アカデミーの《Venice:The Golden Age》を。昨年の来日時に、素晴らしいオーボエ・ソロを聴かせてくれたクセニア・レフラーも参加していて、このCDでもヴィヴァルディとマルチェッロのオーボエ・コンチェルトが聴けるのが嬉しい。色彩豊かなヴェネツィアの華やかさとともに、明るさだけではない、微妙な色合いを帯びた柔らかな哀愁も感じさせてくれる。新年にはふさわしい音楽かなと。これを聴きながら、年賀状をのんびりしたためていた。
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 ヴェネツィア音楽の黄金時代、それはオスペダーレ(慈善院)を中心としたものだった。ピエタ、インクラービリ、メンディカンティ、オスペダレットという4つの女子慈善院があり、ヴィヴァルディはピエタに務めていたというのは、あまりにも有名である。ヴィヴァルディのオーボエ・コンチェルトのいくつかは、ピエタのペレグリーナ(という名の少女)に演奏させるため作られたと思われるそうだ。
 また、ヴァイオリン奏者として名を馳せたカルロ・テッサリーニの曲も収められているが、彼もオスペダレットに務めていた。あのガルッピもメンディカンティで合唱隊を指導しており、18世紀のヴェネツィアにおける音楽の盛況は、他に類を見ない性質のものだな、と改めて感じる。

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 国際バッハコンクールのオルガン部門で、冨田さんが日本人として初めて1位になったとのこと。審査員から「バッハの音楽の力を感じさせてくれた」と最高の褒め言葉。冨田さんはこれから指揮やアンサンブルも極めていきたいとのことで、日本での演奏も楽しみにしている。

 最終審査で演奏された《パッサカリア》は、先日コープマンでの演奏でも実際に聴いたばかりだが、バッハのめくるめく壮大で無限的なアラベスクの世界に鷲掴みとなる、バッハを聴く醍醐味が詰まった曲。オルガンによる演奏は、音がそのまま天に直接繋がっていくような、宇宙的な広がりを感じさせる。
 バッハの「音楽の力」、私はバッハの音楽はとても「強い」と思っている。その強さが、音楽を信じるということの拠り所にもなれば(感覚をニュートラルな状態にしてくれる)、自分が弱っているときは、その強さに引き摺られてしまうこともある。
 …確かなのは、バッハの音楽は私にとって欠かせないということ。その存在に、感謝している。

 ALL OF BACHのサイトで、先週アップされた佐藤俊介さんのヴァイオリン・ソナタもいい。このBWV1016の第1楽章は、まるでコレッリだ。イタリア風の流麗さが際立つ。第4楽章はバッハらしい生き生きとした溌剌さがあって楽しい。エマヌエルとの関連も言及しており、インタビューでも大活躍だ。

 

 そして、こうしたブランデンブルクを実際に聴けたら!いつもながら「バッハはこうでなくては」と思わせる鮮やかな演奏。あの細かなバッハのパッセージを、一音一音クリアに響かせる技術の確かさ(これは大変難しいことだと思う)、その技術があってこその、自由自在な即興性のある装飾の美しい流れにはうっとりだ。センスが本当にいい。バロックらしいパッションもよく伝わってくる。
 佐藤俊介さんの演奏を、今年は実際に2回聴くことができたが、日本でもバッハのアンサンブルをぜひ聴かせてほしい。


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 先日はベルリン古楽アカデミー風ヴェネツィアの休日を味わったが、私がヴェネツィア・バロックと聴いて思い浮かべるのが、まずヴィヴァルディとカヴァッリの音楽だ。
 アラルコン指揮によるこのカヴァッリ(CD)は素晴らしいとしかいいようがない。初めの一音の響きから「ああ、これはヴェネツィアだ…」と、アンサンブルの紡ぎ出す音に陶然となってしまう。このたおやかで、情感に溢れた官能性は、まさにイタリア・バロックの真骨頂。カヴァッリの音楽が美しさに満ちているのはもちろんだか、またこうして新鮮な演奏によって現代に甦るのは嬉しい限り。

 カヴァッリのオペラを年代順に並べて、各オペラごとに抜粋するというスタイルで作られている。
 ヴェネツィアのサン・カッシアーノ劇場(史上初の公開オペラ劇場、1637年開設)で上演された《テティとぺレオの結婚》(1639年)がデビュー作で、そのオペラのヴィーナスのアリアから始まるのだが、「始めの一音から…」と書いたように、思わず「わぁ…」と溜息が出てしまう。歌い手とアーチリュート、テオルボ、オルガン、ガンバ等々10人程度のアンサンブルでの演奏だが、豊かでなめらかに歌われるカヴァッリの世界に惹きこまれる。
 ヴィーナスのアリアの歌詞は、ちょっと驚いてしまうほどセクシーで直接的な表現(かなり大胆。「私にキスを…、私の体に触れて…」。台本はO・Persiani)。さすが、ヴェネツィアだ…。
 あらゆる階層を対象としたという公開オペラ劇場ということからか、師であるモンテヴェルディのオペラをさらに大衆向けに推し進めたような雰囲気があり、また、音楽と劇とが自然に、密接に結び付いているところも魅力(アリアとレチタティーボの境目が曖昧)。
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今週の「古楽の楽しみ」は、アーノンクール追悼ということで初期から晩年の活動を追う構成。
最終日の今日、案内役の礒山先生より「アーノンクールを語る時、どうしても外せないのが、彼のモーツァルトの演奏。まず挙げたいのが、モーツァルトの初期の交響曲。初期の交響曲は普通に演奏しただけでは、なかなか効果が上がらないが、彼の手にかかると、少年のワクワクするような冒険絵巻として聴こえてくる。彼の卓越した分析を通じて、その新しさを惹き出している…」とのコメント。その通りの、弾むように生き生きとしたK.22交響曲5番(9歳で作曲!)が流れ出した。
その演奏を聴いた時、同じくアーノンクールによるモーツァルトの初期のオペラ《ミトリダーテ》《ルーチョ・シッラ》が甦ってきた。この2つの作品は、一目惚れならぬ一聴惚れだった。
後期のオペラも素晴らしいものだが、初期・中期のオペラも大好きだ。いや、《フィガロの結婚》以降のものより、自分には感覚的にフィットする感じがある。どうしてだろう…それは、バロックに近いものがあるからなのかもしれない。

初めて聴く交響曲5番、ハイドンそっくりだ。アーノンクールによるハイドンのオペラが思い出されてくる。《アルミーダ》《騎士オルランド》もお気に入り。ハイドンの交響曲やピアノ・ソナタは、積極的に聴こうと思わないのだが(カルミニョーラによるヴァイオリン・コンチェルトは最高)、そのオペラはハイドン節が冴えて素敵だ。
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アーノンクール&ポネルによる《ミトリダーテ》、LDで観た時には、舞台衣装も素晴らしかった。
特にアスパージア、左右に張り出したパニエが目を惹くが、1740年代のみ流行したもの(モーツァルトが生まれる少し前)。アタッチメントがあり、折りたためるそうだ(^^;)イタリア&スペイン産(フランスには無い)、実在した衣装ということに驚いてしまう。
ロココの装飾性は、バロックよりもさらに過剰だ…。
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春の夜更けに、フォルテピアノのまろやかな響きが心地良いCDを。
18世紀ベルリン楽派のグラウン、ヘッセ、そしてC.P.E.バッハ。すでに対位法は過去の遺物(どころか、否定されるもの)となりつつあり、世は新しい音楽~ギャラント様式に大きな喝采を送るようになる。
ちょうどこの時期に次世代の楽器、フォルテピアノも広まっていく。フリードリヒ大王はこの新しい楽器に夢中になり、あらゆるタイプのものを手に入れようとした結果、なんと15台ものフォルテピアノがポツダム宮殿のあちこちに置かれていたそうだ(『音楽の捧げものが生まれた晩』ジェイムズ・R・ゲインズ著より)。

ジルバーマン製作モデルによるフォルテピアノ、ダンパーペダルの機能を使用して演奏されるC.P.E.バッハのアダージョは、夢うつつになりそうな、甘く柔らかい響きに包まれている。このまま眠りにつけば、優しい夢が見れそうな…。
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今日はクリスマス!とはいっても、日本人らしく(!?)年末の締めくくりとして、毎年恒例の第九演奏会へ。
インバル&都響の熱演に、この一年無事に過ごせたことへの感謝と、今年もよく頑張ったなぁという想いが自然に湧き出て、しみじみ。今年の第九はとても穏やかな気持ちで聴くことができた。その年によって感じることが違うというのは第九ならではで、やはり年末にふさわしい特別な曲だ。新年に向けて気持ちも改まる。

気持ちはすっかり年末だが、ドレスデンのフラウエン教会では、今の時期クリスマス・コンサートが目白押しで、やっぱりバッハのクリスマス・オラトリオを聴けるのが羨ましい。
映像でもフラウエン教会でのクリスマス・オラトリオを聴くことができる。



秋に訪れた際には、ちょうど夜のコンサートのリハーサル中で、教会内の見学はできず残念…(教会の塔に登ったが、眺めが良くて、ちょっと怖いぐらい)。ド・ビリーの指揮&ドレスデンフィルの演奏で、モーツァルトのミサ曲のプログラムだったが、ちょっぴりリハーサルでの美しい合唱を聴くことができた。
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毎年、この時期になるとクリスマス音楽を聴く楽しみを味わえるが、今年はテレマン作曲による待降節&クリスマスのカンタータ《いざ来ませ 異邦人の救い主よ》を始めとした4編が収められたCDをチョイス。
同名のバッハのカンタータもあるが、テレマンは明るく温かく、流麗なメロディーで心和む。やはりテレマンらしい調和の取れた流れだ。

《いざ来ませ 異邦人の救い主よ》とは、いかにもこの時期に相応しい名。この名が付くブクステフーデのオルガン・コラールも、短いが味わい深くて好き。《甘き喜びのうちに》もクリスマスのしみじみとした幸福感があって、この時期にはオルガン曲もぴったり。
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なんと重厚で眩いばかりの響き!さすが銘器、チェンバロでこれほどの音がするのかと驚かされます。
ヴェルサイユ宮所蔵の名工リュッカースによるオリジナルのチェンバロですが、ジャケットからも分かるように、金箔の施された大変美しいもので、よく保存されています。美術品としても大変価値のあるものでしょう。

これまで、CDや実演でルセのオペラやクラヴサン演奏を聴いてきましたが、なんといっても優れた鍵盤奏者ですので、この銘器でバッハを堪能できるのは嬉しいこと。
このチェンバロから華やかで力強い音色を引き出し、曲の構成をクリアに表現していく手腕は鮮やかで、「本来のバッハ」に出会えた感が。
この《平均律クラヴィーア曲集第2巻》が、バッハの鍵盤音楽の頂点であるというルセの言葉に異論はありません。1番ハ長調のスケールの大きい前奏曲からバッハの世界に惹き込まれて、自分で奏でるのも楽しく、夢中になりますね。

先日、アファナシエフのピアノで同じく《平均律クラヴィーア曲集第2巻》を聴きましたが、ルセによるこのチェンバロ演奏の方がモダンに聴こえてしまう…(もちろん、アファナシエフの個性を否定しているわけではありませんが…)。
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昨日のラ・フォル・ジュルネ、佐藤俊介さんのバッハの余韻に浸りつつ、今度はテレマンを。
無伴奏ヴァイオリンのための12の幻想曲。夜更けに流すにはぴったり。
実演に接してから、改めて聴いてみると、その演奏スタイルが思い浮かび、なるほどとまた納得。あのバッハ、ほぼシャズに近づいている感でスリリング。それでいてバッハ以外の何物でもない。バロックのセンス十分。

テレマン…、その調和の取れた典雅さは、私にとっても魅力的で、好きな作曲家の1人。オペラの序曲や管弦楽組曲の序曲を聴いただけでも、そのギャラントさに「いいな…」とうっとり。当時、一番人気があったのも十分に理解できます。
受ける感覚はバッハとは異なるものですが、バッハとの繋がりは深く(息子の名付け親)、テレマンのカンタータ集全曲(!)を写譜していたとも言われています。
《ターフェルムジーク》も大好きですので、オペラも含めて、この演奏のような現代的アプローチの新鮮なテレマンを、いつか聴ければいいな。
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