カテゴリ:コンサート( 40 )

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ローマ歌劇場にて。9月にパーセル《ディドとエネアス》
オーケストラはベルリン古楽アカデミー)を聴いた。

 今年、私にとってはカラヴァッジョの年といわんばかりに、愛する彼の作品にいくつも出会えたのは嬉しかったが、音楽でもバロックの素晴らしいコンサートをいくつも体験できて、幸せに過ぎるぐらい。オラトリオからオルガン独奏、コンチェルト、オペラまで、当たり年だったなと。

 その中でも、私にとって最も素晴らしかったのが、日本で聴いたフライブルク・バロック・オーケストラ。このオーケストラを実際に聴くのは初めてだったが、バッハのヴァイオリン・コンチェルトを4曲聴いて、今まで聴いたバッハ演奏では、もう最高だった。
 「そう、こうしたバッハを聴きたかった!」と思わず膝を打つような、ハート直撃ど真ん中のクール&エキサイティングな演奏で、バッハを聴く醍醐味を存分に味合わせてくれた。いや、本当に興奮した...。

 まず、オーケストラ編成がバランスよく、音質自体もなんと揃っていること!これによってバッハの各声部(曲の構成)がくっきりと浮かび上がってくる。洗練極まりない。
そして、その生き生きとしたオーケストラの響きに乗り、ヴァイオリン独奏のミュレヤンス&ゴルツが、これまた目から鱗の、華麗な装飾&即興をふんだんに盛り込んだ演奏を展開。これほどまでに、即興をさらっと見事に演奏するのを聴いたのは初めてで、腰が抜けた。まるでヘンデルのダ・カーポ・アリアを聴いているようだなと。これぞバロックの醍醐味の一つ。この即興部分は、それぞれの完全オリジナルなんだろうな、と。
 こうした演奏を、日本で聴けることが嬉しい、本当にありがとう。来年もよい演奏に、よい音楽に巡り合えますように。

~今年聴いたコンサート&オペラ(日本のみ)~


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 今年のコンサート納めも、家族で「第九」。無事に年を越せそうで、本当にありがたいことだ。
 一年の締め括りとして聴くには、最もふさわしい曲だと思っているが、毎年感じることが違うのも「第九」ならでは。辛いことがあった年は、なおさら心に響いた。慰めされるのはもちろんだが、気持ちを鼓舞され、前を向こうと勇気づけられるのも、この曲が時代を超えた熱いメッセージを発しているからに他ならない。

 フルシャの「第九」は、空へと軽やかに駆け上がっていくような爽やかさと、燃えるようなパッションを同居させたベートーヴェン。歯切れのよい、現代的な演奏。自分でベートーヴェン(ピアノで)を弾くときにも感じるのだが、ロマン派のように重くはなく、でもモーツァルトやハイドンとは決定的に違う疾走感(様式)があり、そうした意味ではベートーヴェンらしいなと。
 なんといっても、第4楽章のクライマックスで感じさせてくれたカタルシス、今までの3楽章はこのためにあると雄弁に語られていることが、強く伝わってきたのが嬉しかった。この混沌とした世界では、理想的にすぎるかもしれない、でも、ベートーヴェンは「人間(あなた)にはそれができるはずだ」と言っている。そして、そのことを信じさせてくれる曲だ。
 
 今年を振り返り、来年に向けて気持ちも改まった。また、新たな年へと漕ぎ出そう。

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 先日の新聞に、クリスティへの取材記事が掲載されていた。「あらゆる境界を超えるのは、伝えたい、理解したいという思い。その源が愛であることは言うまでもない。愛こそが、聴衆との新たなコミュニケーションの礎」だと。これは、音楽だけに限った話ではない。お互いのコミュニケーションに重きを置く、クリスティらしい言葉。その音楽にも、人間性が表れていると思う。
 今回の来日公演でのプログラム《声の庭》(若い歌手のためのアカデミー第7回)では、未来へ音楽を繋ぐというクリスティの意図が最も明確に示されており、「これを続けているから、私は心身ともに若くいられる」とのこと。頼もしい限り。

 今回の公演は《イタリアの庭で~愛のアカデミア》と題し、イタリア・盛期ルネサンス時代のアリオスト作『狂えるオルランド』をモチーフとしたプログラム。バロック・オペラの題材といえば、まず筆頭にこれが挙がってくるので、納得の構成。それになんといっても名曲揃い。
 『狂えるオルランド』でまず思い浮かぶのがヘンデル《オルランド》。といえば、オルランドの名アリア「冥界の川に住む、邪悪な亡霊たちよ!」これを実際に聴けたのが、まず嬉しかった。ああ、やはりヘンデルは天才。表現の深いこと、オルランドの狂気が伝わってくる。
 そして、ヴィヴァルディ《オルランド・フリオーソ》。こちらはまたヘンデルとは違う表現、空を舞うような華麗さがある。他、初期バロックのバンキエーリ、ヴェッキ、デ・ヴェルト、そしてストラデッラとバラエティに富んだ内容。

 休憩後のプログラムは、悲劇から喜劇モードに。楽しかった!バロックから古典派へ移行して、チマローザ《みじめな劇場支配人》とハイドン《歌姫》のドタバタ喜劇に思わずクスクスと笑ってしまう。こんなブッファ、もっと観たい!ハイドン、楽しい!!モーツァルトのアリエッタは、特別な素晴らしさ。やはりモーツァルト、うっとり。
 最後はやはりこれしかないだろう、ハイドン《騎士オルランド》。私の大好きな作品。

 ストーリー仕立てになっているセミ・ステージ公演で、若手の歌手たちは大熱演。爽やかな余韻が残った。
 極上のクリスティ・サウンドに浸かって、改めて音楽が与えてくれる無限の楽しさ&おもてなしを受けた心地。またの来日を心待ちにしている。

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 演奏会前に友人とダリ展へ。最も好きな《狂えるトリスタン》が来ていた。
10代最後の頃、画集で観たこの絵に一目惚れをした。それはもちろんワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》をいやがおうにも思い起こさせるから。私の抱くこのオペラのイメージと、ダリが描く《狂えるトリスタン(とイゾルデ)》の悲劇的なグロテスクさが、ぴったりと重なり合う。

 そしてサントリーホールへ。友人からチケットを譲っていただいた東京交響楽団の定期演奏会。
 プログラムはワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》第一幕への前奏曲から。先ほど観たダリの《狂えるトリスタン》が思い浮かぶかと思いきや、演奏は透明感に溢れ、澄んだ穏やかな渚を進むような静謐さ。天上の世界へ真っ直ぐ向かう雰囲気で、美しかった。ダリが描いた救いの無い、世紀末的な悲劇さからは遠いもの。

 そして、前奏曲の張りつめた静謐さを留めながら、休止なしでデュティーユのチェロ協奏曲《遙かなる遠い国へ》。
 初めて聴いた曲だが、これがもうチェロのヨハネス・モーザーともに素晴らしく、ノットによるプログラミングの妙に感心。
 この曲は、ボードレール『悪の華』からインスピレーションを得て作曲されたもの。曲名は「髪」の一節<遥かな、不在の、ほぼ死に絶えた世界が全て、おまえの深みのうちに、かぐわしい森のうちに生きている>から採られている(プログラムより)。

 現代音楽だけあって、多彩な打楽器に、ハープやチェレスタも入っている。難曲ではあるだろうが、騒然とした曲の作りではなく、むしろすっきりとした印象。打楽器が効果的に生かされており、鐘の音(銅鑼)が、いくつも木霊するなかで、太古の森を思わせる幻想的な世界が広がっていき、まるで魅惑的な魔術にかけられたような心持ちになった。

 第三楽章〈黒檀の海よ、おまえにはまばゆいほどの夢がある 帆や漕ぎ手、長旗、そしてマストの夢が〉(「髪」より)は、ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》にそのまま呼応しているかのよう。そう思うと、よりイメージが広がっていく。なんと艶やかな詩だろう!
 最終楽章の讃歌〈夢を持ち続けよ 賢人は狂人ほど美しい夢はもたないのだから〉(「声」より)に、またダリの《狂えるトリスタン》がよみがえってしまった。ダリのシュルレアリスム世界とも繋がっていくような…。
 
 それにしても、ボードレールの詩は、断片だけでも素晴らしい。そうだ、ボードレールは、ワーグナーについても批評していたのだった。ワーグナーとの繋がりがやはりあったな、と。

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 ヴェネツィア最後の夜。滞在の締めくくりは、再びフェニーチェ劇場へ。
 バロック音楽ヴェネツィアンセンター主催のソプラノ&テオルボによるコンサート。モンテヴェルディ&ヴィヴァルディ・フェスティバル2016の公演で、会場は劇場内の小ホール的な場所(アポロンの間)。こじんまりとしたコンサートにはぴったり。
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 ~AMOR,IO PARTO~
  Dal《Lamento d’Arianna》di Monteverdi,alle《Fonti del pianto》di Vivaldi
 ~愛の神よ、私は去りゆく~
  モンテヴェルディ《アリアンナの嘆き》からヴィヴァルディ《涙の泉》へ

 締めくくりのコンサートは、奇しくもバロック。しかもヴェネツィアと深い所縁のある二人の名を冠したコンサート。好きな音楽に囲まれた、こんな幸福な夜を最後に過ごせるなんて!ヴェネツィアからの贈り物に、ありがとう。

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 私にとっての殺し文句、それは《オール・バッハ・プログラム》。そう銘打たれたコンサートがあると、「わぁ、いいなぁ」と瞬間的に胸が高鳴る。
 はいえ、演奏機会の多い無伴奏系(独奏)はあまり食指が動かず、かといって宗教カンタータや受難曲となると、その曲の性格から、ウキウキとコンサートを楽しみに行く雰囲気とは異なってくる。もちろん、聴けば心震える。自分が大病した時など、カンタータにずいぶんと慰められた。
 バッハの曲は「堅い(難い)」印象を与える音楽ばかりではなく、カンタータの中にも思わず耳を奪われてしまう美しい旋律の曲があるし、器楽曲も幅が広い。何より、バッハの紡ぎだす音の絡み合いに身を委ねる快楽は、バッハでしか得られない、特別なものがある。

 今回のプログラムは、ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタを中心としたもの。このソナタ集も各曲それぞれに個性的で、バッハらしい綿密な音のアラベスクが、デュオによる華麗な掛け合いで広がっていく。
 それをファウスト&ベザイデンホウトという名手2人で楽しめるなんて!これを聞き逃す手があるだろうか。

 チェンバロを弾いたベザイデンホウトはモーツァルトの評価が高いが、私は全く聴いたことがなく、今回が初めて。このヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ集では、チェンバロはただの伴奏ではなく、ヴァイオリンと共にメロディーを奏で、かつ通奏低音も兼ねるという、時代を先取りした形式。演奏が難しいのは当然だが、エキサイティングな弾きっぷりに魅了されてしまった。
 ソロ曲のトッカータニ短調も良かったけれど、ソナタ第6番のチェンバロ・ソロの盛り上がりには、私も気分が高揚。もっと聴いてみたいなと思わせてくれる。
 ヴァイオリンのファウストは、曲ごとに弓を替えながらという研究熱心さが窺え、手堅い演奏だったが、もっと弾んでもいいような。バッハを聴く快楽を味合わせてくれる演奏に出会うのは、やはり難しい。

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 今月初めにフォーレ四重奏団の演奏を聴き、そのブラームスに感銘を受けCDを求めてきた(サインまで…)。
 そのブラームスのCDを改めて聴いているところだが、自分の捉えた印象が「あれ(感想を載せている)」では甘かったなぁと。その演奏は、現在のクラシック演奏の、まさに最前線ぶっちぎりではないだろうか。どうしても演奏のイメージがクルレンツィス(今、最も実際に聴いてみたい指揮者だ)と被ってしまう。外見さえ異なるが、この二つのグループによる演奏を聴いていると、目指す方向は一緒のように思えてならない。

 立花隆さんの『武満徹・音楽創造への旅』に、次の武満さんの言葉がある。
「…規格化によって西洋音楽の音は、生命を失ってしまったんだと思う。西洋音楽の音は、ピュアで、ピッチも正確だけど、日本楽器の音、東洋やアフリカの楽器の音はピュアじゃない。常に余分な音というか、雑音を伴っている。しかしその雑音の部分が独特の響きを生み、音の個性を作っているんですね。そして音楽の生命は、その音の個性にあるんです。そこのところがようやくわかってきたので、音楽の最前衛部分では、楽音の規格化と標準化の流れに抗して、規格化された楽器を規格外の奏法で弾くことによって、音の個性を取り戻そうとしたんです。…つまり、現代音楽における特殊奏法の流行と、古典音楽の復元楽器による演奏の流行とは、全く別物のように見えるかもしれないけれど、実は同じ流れの中で起きた現象だということです。楽器の音に個性を取り戻すことで、音楽の生命を取り戻そうとしたということです」

 フォーレ四重奏団の音は、「歪んで」いる。その歪みは、あるときにはこれ以上はないというほどに、大きくたわみ、震えて、こちらに跳ね返ってくる。でも、確かにブラームスで、そのざらついた手触りからドクドクと脈打つ命の鼓動が、生々しい息吹が伝わってくる。なんて、新しい音の響き…。
 これからさらに演奏がどう進化していくのか、続きが気になる四重奏団であることは間違いないな、と。

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 イタリアのバス歌手、フルラネットのリサイタルへ。
 本人の提案により、ロシア歌曲プログラム、しかもラフマニノフ&ムソルグスキーという滅多にない内容だ。これがロシア歌曲ではなく、もう一方の提案であったという《冬の旅》だったらチケットを求めなかっただろう(《冬の旅》はもちろん名曲中の名曲だが)。ラフマニノフの曲は、私にとっても馴染み深く、ラフマニノフ自身がピアニストだっただけに、素晴らしいピアノ曲がいくつもある。ロシアの薫りを強く感じるコンチェルトはもちろんだが、ピアノ・デュオもいい。ほとんど演奏されないが、交響曲も好きだ。

 しかし、声楽曲は聴いたことがなく、むろんムソルグスキーに至っては《展覧会の絵》しか思い浮かばない…。ラフマニノフの歌曲への好奇心が勝って、今回のコンサートへ駆けつけることとなった。

 プログラムの前半は、ラフマニノフの歌曲から。プログラムを読むと、彼の歌曲はロシア声楽史の最高傑作で、しかも最初期(10代最後)から秀作を連発しているとのこと。もう仰天である。実際聴いてみて、その美しさにまた驚愕し、うっとりと我を忘れてしまうという感覚に陥った。その旋律の甘美なことといったら、もうこの上ない。ロシア語がどうだという前に、すでに旋律がラフマニノフ節全開である。
 愛の歌が中心となっていたが、特に《秘やかな夜の静寂の中で》での夢見るような歌、「愛しい君の名を呼んで、夜の闇を突き破るだろう...」と、最後に高音のピアニッシモでささやくように歌われたフルラネットの声は陶酔感に満ちて、この世のものではないような響き。プログラム終了前だが、観客席からも思わず拍手と「ブラヴォー」の声が飛ぶ。
 フルラネットの声はバスで力強いものだが、高い表現力で、バリトン曲はもちろんソプラノ曲まで柔軟に歌いこなしていた。限りなくロマンチックな曲を、情熱を込めて歌い上げる姿に、やはりイタリア人だなぁと。
 そして、ピアノ(イーゴリ・チェトゥーエフ)も力強い厚みのある音、そしてラフマニノフ特有の華麗さが存分に伝わるもので、息もぴったり。

 プログラム後半は、ムソルグスキー。なんといっても歌曲集《死の歌と踊り》が圧巻。プログラム前半が生の喜びだったのとは反対に、死の勝利に。バスの底力がここぞとばかりに迫ってきて、その凄みといったら、まさにフルラネットの真骨頂。なんという異色の歌曲だろうか、ロシア歌曲の金字塔とのことだが、それも納得。死の勝利を謳い上げた、めまいのするようなドラマが展開され、ただただ圧倒されるばかり…。

 アンコールがまた、にくい選曲だ。ラフマニノフの歌劇《アレコ》からカヴァティーナに、アントン・ルビンシテインの歌劇《デーモン》からアリア。
 たぶん、一生舞台で観ることのできないオペラな気がする…(《アレコ》はLDで観たけれど)。

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 ドイツ本国でも人気があるというフォーレ四重奏団、その評判を聞き、今回の公演ではブラームス(私の最も愛する作曲家だ)を取り上げるということで、トッパンホールへ。
 ブラームスの作品の中では、やはり室内楽が彼の真価を最もよく伝えてくれると思う。そう、親密な空間で、すぐ隣にブラームスが居て、密かに心情をささやいてくれるような…。

 期待が高まる中、まずはモーツァルトのピアノ四重奏曲第2番K493から。ピアノの鈴を転がすような、くっきりとした美音が素晴らしい。モーツァルトはこうした音でないと、生き生きとした彼らしい煌めきが出ない。ピアニストにとって、モーツァルトが難しい理由の一つだが、ここは完璧にクリア。ああ、こんな風にモーツァルトを弾きたい...。
 それに対して、弦はちょっと重いように感じる。どうしてもピアノの音が勝ってしまう印象だったが、この弦の重みがあれば、ブラームスはいいだろうという予感が...。

 そして細川俊夫《レテ(忘却)の水》、フォーレ四重奏団に捧げられている。題名が秀逸。現代曲によく見られる様々な奏法を駆使するのではなく、四重奏団という切り詰められた素材をストレートに用いて、意識の下へ下へと降りていく、悲しくなるほど静謐で美しい音の流れだった。
 レテの水を飲み、現世の深い悲しみを忘れるということは、深く愛した人のことも忘れてしまうということだ。それでも、皆、進んでレテの水を飲むのだろうか?生まれ変わるために、それが必要ならば、それもまた悲しい。輪廻転生は、いつか断つことができるのだろうか、と様々な想いに捉われる、深い体験を与えてくれた。

 深い余韻を残しつつ、休憩後はいよいよブラームスのピアノ四重奏曲第2番Op.26。これがもう、凄い演奏で、こちらも忘我の境地に。
 ブラームスというと、とかく渋さ(重厚)を出し、曲の構成から古典主義的アプローチの演奏が多いように思えるが、この曲は20代の、青春真っ只中に作られたものだ。同じく若書きのピアノ三重奏曲も大好きなのだが、若さゆえの感情と情熱のほとばしりが加わった、むせ返るようなロマンの薫りが、そこにはある。それを感じさせてくる演奏に出会ったのは、初めてといってもいいかもしれない。ブラームスの一般的な印象を覆してくれるような演奏に、感無量。
 ブラームスの民族音楽的な部分を、強く感じさせてくれるのも嬉しかった。故郷のハンブルクでは、よくこうした音楽を演奏していたのだろうと連想させられる。…ハンブルクに行けば、もっとブラームスに近づけるのかも、とまた思ってしまった。
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 ヴェネツィア…。それは今も昔も人々の憧れを掻き立ててやまない、煌めく水の都だ。幻想的な美しさに満ちた「アドリア海の真珠」から生み出されたバロック時代の音楽は、ヴェネツィアというイメージにふさわしい、艶やかさと煌めきを持ち合わせている。でも、ヴェネツィアが持っている世界というのは、それだけではないはずだ。須賀敦子さんのエッセイにもあるように、ヴェネツィアは演劇性と虚構とが入り混じった、そう、仮面こそがふさわしいカーニバルの町でもあるのだ…。
 
 ベルリン古楽アカデミーによるヴェネツィア・バロック・プログラムは、まるでカーニバルのように、様々に移り変わるその仮面を次から次へと鮮やかに見せてくれ、魅力的だった。
 ヴィヴァルディ《弦楽のための協奏曲》で見せてくれたのは、まさに水面にまぶしくきらめくヴェネツィア。その輝きに、うっとりと身を任せれば、現実を忘れてしまう…。
 カルダーラ《我らの主、イエスの受難》では、宗教心の篤い、信心深いヴェネツィアが顔を出す。ここでの重厚さ、対位法が際立つ曲においての表現力は、さすがのアンサンブルだと思わされる。
 アルビノーニの抒情性は、さながらゴンドラに揺られながら運河を進むような心持ち…。マルチェッロの哀愁は霧にかすむ幻想の中のヴェネツィアだ…。
 そして、アンコールのヴィヴァルディのチャッコーナ!ジャズ風アレンジで、さながらカーニバルのクライマックス、どんどん熱を帯びていき、まるで人々が踊りまくるような熱狂の渦の中で幕が閉じられた。これには驚き、観客も皆大喜び。アンコールを含め、なんともモダンなヴィヴァルディを聴かせてくれて、このアンサンブルにしか出せない色合いだろう。通奏低音がガッチリと機能しているのが(バロックでの要だ)、私の好みなので、そこがバツグンなのは嬉しい。
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