カテゴリ:コンサート( 44 )

 すっかり春爛漫の陽気。イースターを明日に控えたこの時節にふさわしい、前半のプログラム。
 メシアン《忘れられた捧げもの》は、本格的な作曲を開始した頃のもので(20代前半)、初期からカトリックの信仰に貫かれている姿勢が明確。イエスの憐みとそれを忘れてしまった人間の罪がテーマであり、イエスの「十字架」「聖体の秘跡」と人間の「原罪」のコントラストが心に響く。最後に弦で奏でられたピアニッシモ、このかすかな一筋の光線のような表現は、やはりメシアンでこそのもの。この敬虔な想いを、自分は生かされているのだという感覚を忘れないようにしたい。

 そしてドビュッシー《聖セバスティアンの殉教(交響的断章)》。これは初めて聴く曲だったので、楽しみにしていたもの。ダヌンツィオからの依頼と作詞ということもあるからだろうか、第1曲〝百合の園”開始のファンファーレがジャポニズムの感覚がかなり強かったので驚いてしまった。題材はもちろん殉教した聖セバスティアンなのだが、私の中ではプッチーニ《マダム・バタフライ》《トゥーランドット》と音楽が被ってしまった。ドビュッシーは音楽のジャポニズムの第一人者だが、ピアノ曲や《ペレアスとメリザンド》等でも、ここまでくっきりと感じたことがなかったので...。
 第2曲「法悦の踊り」から終曲「良き羊飼いキリスト」では、ドビュッシーの真骨頂ともいえる、神秘的な雰囲気に包まれて、殉教の魂も鎮まるような穏やかさ。この2曲を通して宗教的静謐さに満ちた前半から、後半のバルトークの歌劇《青ひげ公の城》へ。このバルトークが素晴らしくて!オーケストラを聴く醍醐味を存分に味合わせてくれた壮絶な名演、また改めて記したいなと。
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ジョヴァンニ・ベッリーニの描く美しすぎる聖セバスティアン。
ヴェネツィアのアカデミア美術館にて。


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 春を感じるとはいえ、まだ寒さが抜けず桜の開花が待ち遠しい日々。今日はオール・イタリアン・プログラムのコンサートへ。イタリア文化会館が会場ということで、これ以上に嵌まる場所もないというもの。
 東京ヴィヴァルディ合奏団の演奏で、まずはヴィヴァルディのヴァイオリンコンチェルト《恋人たち》。この華やかな響きの色合いに浮かび上がるのは、やはりヴェネツィア。ああ、美しいところだったと情景がよみがえり、郷愁の念に駆られてしまう。
 
 ヴィヴァルディのあとは、どれも初めて聴く曲。
 ロッシーニ《チェロとコントラバスのための二重奏曲》は、最後に演奏されたドニゼッティ《弦楽四重奏曲 第5番(弦楽合奏版)》とともに、雰囲気がまさにオペラ。ロッシーニは低音楽器で、ユニークな構成だけれど、それでも十分にオペラ・ブッファで感じるような愉悦を感じさせてくれるのはさすが。圧倒的だったのがドニゼッティ、オペラの縮小版ともいえるほどの曲の完成度の高さに驚いてしまった。今までドニゼッティのオペラを積極的に聴いてきたとはいえないが、この弦楽四重奏曲を聴いて「あー、やはりこれは直球ど真ん中のイタリアものだ。イタリア魂を感じるなぁ。」と改めて納得。演奏がとってもよくて、大満足。

 そしてボッシ《ゴルドーニ間奏曲》、ボッケリーニ《弦楽五重奏曲「マドリードの夜の音楽」》。
 《ゴルドーニ間奏曲》はその名の通り、ヴェネツィアの劇作家ゴルドーニから。戯曲を想い起させ、まるで音楽による喜劇のよう。ドタバタ感や皮肉めいた言い回しが溢れ出るかのごとくで、楽しい気分が盛り上がること!ボッシは19世紀後半なので、書法もモダン。気に入ったので、全曲版でまた聴きたいな。ボッケリーニは、こんなに楽しい曲も作っていたんだと。渋い曲のイメージがあるので、新鮮だった。

 音楽だけでも体全体でイタリアを感じられる、今回のプログラム。イタリアの情熱に包まれて、充実感たっぷりだった。

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休憩時にいただいたサンドウィッチ&サブレ。美味しかった♪

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 音楽との運命的な出会いというのは大げさかもしれないが、そうしたものを今までに何度か体験してきた。メシアンもそのうちの一つだ。曲を実際に聴いたのは、ここ最近のこと(昨年のコンサートにて)。
 そのときは、メシアンの曲が目当てではなかったが、プログラムに入っていた《世の終わりのための四重奏曲》に、強烈な印象を受けた。これほどまでに生と死の境目が限りなく薄くなっていくような「彼岸」の世界を感じさせてくれる体験は初めてで、それから、メシアンは私にとって特別な作曲家の一人となった。この世界は、実際に奏でられる音を聴かなければ、体験できなかったかもしれない。そう、メシアンの音楽は「聴く」というよりも、「体験(その響きの世界を身体全体で感じる)」として捉えるのが、私にはぴったりとくる。

 今回は3回目のメシアン。
 現代音楽に共通する部分かもしれないが、メシアンの曲は伝統的な音楽構成の要素を否定しながらも、音楽の持ちうる力—時を操作しようとする意思をとても強く感じる。時を流れゆくままにさせるのではなく、時と空間を歪ませて(もしくは広げて)、現世ではない別次元の世界に引き込むような…。
 今回の〈彼方の閃光〉では、確かに永遠を感じさせるものが聴こえていた。「私が彼岸を、永遠を信じているからです」とメシアンは語っていたそうだが、そうでなければ、これほどまでの説得力を持つ音楽は生まれてこないだろうと思う。
 武満さん曰く、メシアンは大変な理論家で、「かなり数理的な操作で曲を作っているようだけど、実際には、直感的に作曲していたんだと思うんです。」(『武満徹・音楽創造への旅』立花隆著 より)

 〈彼方の閃光〉の第5楽章〝愛の中に棲む”は、とても不思議な感覚、何か大いなるものの胎内にいるような安らぎと陶酔感だった。第8楽章〝星たちと栄光”で奏でられるコラールは、声楽は入っていないのに、トゥッティの壮大な響きに包まれ、生きとし生けるもの全てが天に向けて謳いあげているような感覚で、身震いしてしまいそうに。
 私にとってはまだまだ未知のメシアン。今後も体験する機会を楽しみにしたい。

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 今年のコンサート始めも、ヘンデル・フェスティバル・ジャパンの公演から。
 ヘンデルに敬意を表して、演奏は常にノーカットを旨としているのが凄い。この真摯な取り組みが、昨年をさらに超える音楽の充実として実を結んでいるのが伝わってきた。
 この作品はかなりの長丁場だが、傑作という評価に違わず、長さを感じさせない迫真のドラマが展開され、改めてヘンデルのオラトリオの素晴らしさを目の当たりにすることができた。《メサイア》を除いては、日本で上演に恵まれないヘンデルのオラトリオに接することができて、貴重な機会だったのはもちろんだが、大事なのは、それがヘンデルの「珍しい作品を演奏」→「珍しい作品を聴いた」ということが先に立つような内容ではなく、レンブラントの名画以上の、まるで古代にタイプスリップしたかのような、目の前で聖書のバビロニアの世界が展開する感覚を味合わせてくれたことだと思う。
 ドビュッシーがいったように「芸術というものは、"うそ”のうちで最も美しいうそです。…一般大衆も、エリートも、忘我というものを求めて芸術に集まってくるのではないでしょうか。忘我、これまた“うそ”のもう一つの形式でしょう。」そう、我を忘れるぐらいに、その音楽ドラマに惹き込まれてしまった。

 聖書を元にしているオラトリオだが、プログラムにもある通り、主題は「母が罪深い息子に注ぐ愛に映し出される、国家の衰退」で、時代も宗教も超えた普遍的なテーマとなっている。難しいことを考えずとも、誰でもスッと物語に入り込める。観客を楽しませようとするエンターテイメント性が強く感じられ、面白い。やはり大衆向けなのだろう、同世代のラモーのオペラとの違いを感じずにはいられない。

 演奏では、序曲こそ固さが感じられたものの、冒頭に置かれた母親ニトクリスの嘆きのアリアから、あっという間にヘンデルの世界へ惹き込まれてしまった。
 このアリアを聴くだけで、毎度ながらヘンデルは天才だ、と。どうしてこうも心情にぴったりな音楽を付けられるのかと、信じられない思いになる。
 ヘンデルのこうしたアリアの説得力は凄くて、同世代のなかでも、ずば抜けていると感心してしまう。書法自体も、オペラ時代よりさらに表現が細やかに進化しているように思えて、感動。
 来年の公演も、今からとても楽しみだ。

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ローマ歌劇場にて。9月にパーセル《ディドとエネアス》
オーケストラはベルリン古楽アカデミー)を聴いた。

 今年、私にとってはカラヴァッジョの年といわんばかりに、愛する彼の作品にいくつも出会えたのは嬉しかったが、音楽でもバロックの素晴らしいコンサートをいくつも体験できて、幸せに過ぎるぐらい。オラトリオからオルガン独奏、コンチェルト、オペラまで、当たり年だったなと。

 その中でも、私にとって最も素晴らしかったのが、日本で聴いたフライブルク・バロック・オーケストラ。このオーケストラを実際に聴くのは初めてだったが、バッハのヴァイオリン・コンチェルトを4曲聴いて、今まで聴いたバッハ演奏では、もう最高だった。
 「そう、こうしたバッハを聴きたかった!」と思わず膝を打つような、ハート直撃ど真ん中のクール&エキサイティングな演奏で、バッハを聴く醍醐味を存分に味合わせてくれた。いや、本当に興奮した...。

 まず、オーケストラ編成がバランスよく、音質自体もなんと揃っていること!これによってバッハの各声部(曲の構成)がくっきりと浮かび上がってくる。洗練極まりない。
そして、その生き生きとしたオーケストラの響きに乗り、ヴァイオリン独奏のミュレヤンス&ゴルツが、これまた目から鱗の、華麗な装飾&即興をふんだんに盛り込んだ演奏を展開。これほどまでに、即興をさらっと見事に演奏するのを聴いたのは初めてで、腰が抜けた。まるでヘンデルのダ・カーポ・アリアを聴いているようだなと。これぞバロックの醍醐味の一つ。この即興部分は、それぞれの完全オリジナルなんだろうな、と。
 こうした演奏を、日本で聴けることが嬉しい、本当にありがとう。来年もよい演奏に、よい音楽に巡り合えますように。

~今年聴いたコンサート&オペラ(日本のみ)~


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 今年のコンサート納めも、家族で「第九」。無事に年を越せそうで、本当にありがたいことだ。
 一年の締め括りとして聴くには、最もふさわしい曲だと思っているが、毎年感じることが違うのも「第九」ならでは。辛いことがあった年は、なおさら心に響いた。慰めされるのはもちろんだが、気持ちを鼓舞され、前を向こうと勇気づけられるのも、この曲が時代を超えた熱いメッセージを発しているからに他ならない。

 フルシャの「第九」は、空へと軽やかに駆け上がっていくような爽やかさと、燃えるようなパッションを同居させたベートーヴェン。歯切れのよい、現代的な演奏。自分でベートーヴェン(ピアノで)を弾くときにも感じるのだが、ロマン派のように重くはなく、でもモーツァルトやハイドンとは決定的に違う疾走感(様式)があり、そうした意味ではベートーヴェンらしいなと。
 なんといっても、第4楽章のクライマックスで感じさせてくれたカタルシス、今までの3楽章はこのためにあると雄弁に語られていることが、強く伝わってきたのが嬉しかった。この混沌とした世界では、理想的にすぎるかもしれない、でも、ベートーヴェンは「人間(あなた)にはそれができるはずだ」と言っている。そして、そのことを信じさせてくれる曲だ。
 
 今年を振り返り、来年に向けて気持ちも改まった。また、新たな年へと漕ぎ出そう。

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 先日の新聞に、クリスティへの取材記事が掲載されていた。「あらゆる境界を超えるのは、伝えたい、理解したいという思い。その源が愛であることは言うまでもない。愛こそが、聴衆との新たなコミュニケーションの礎」だと。これは、音楽だけに限った話ではない。お互いのコミュニケーションに重きを置く、クリスティらしい言葉。その音楽にも、人間性が表れていると思う。
 今回の来日公演でのプログラム《声の庭》(若い歌手のためのアカデミー第7回)では、未来へ音楽を繋ぐというクリスティの意図が最も明確に示されており、「これを続けているから、私は心身ともに若くいられる」とのこと。頼もしい限り。

 今回の公演は《イタリアの庭で~愛のアカデミア》と題し、イタリア・盛期ルネサンス時代のアリオスト作『狂えるオルランド』をモチーフとしたプログラム。バロック・オペラの題材といえば、まず筆頭にこれが挙がってくるので、納得の構成。それになんといっても名曲揃い。
 『狂えるオルランド』でまず思い浮かぶのがヘンデル《オルランド》。といえば、オルランドの名アリア「冥界の川に住む、邪悪な亡霊たちよ!」これを実際に聴けたのが、まず嬉しかった。ああ、やはりヘンデルは天才。表現の深いこと、オルランドの狂気が伝わってくる。
 そして、ヴィヴァルディ《オルランド・フリオーソ》。こちらはまたヘンデルとは違う表現、空を舞うような華麗さがある。他、初期バロックのバンキエーリ、ヴェッキ、デ・ヴェルト、そしてストラデッラとバラエティに富んだ内容。

 休憩後のプログラムは、悲劇から喜劇モードに。楽しかった!バロックから古典派へ移行して、チマローザ《みじめな劇場支配人》とハイドン《歌姫》のドタバタ喜劇に思わずクスクスと笑ってしまう。こんなブッファ、もっと観たい!ハイドン、楽しい!!モーツァルトのアリエッタは、特別な素晴らしさ。やはりモーツァルト、うっとり。
 最後はやはりこれしかないだろう、ハイドン《騎士オルランド》。私の大好きな作品。

 ストーリー仕立てになっているセミ・ステージ公演で、若手の歌手たちは大熱演。爽やかな余韻が残った。
 極上のクリスティ・サウンドに浸かって、改めて音楽が与えてくれる無限の楽しさ&おもてなしを受けた心地。またの来日を心待ちにしている。

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 演奏会前に友人とダリ展へ。最も好きな《狂えるトリスタン》が来ていた。
10代最後の頃、画集で観たこの絵に一目惚れをした。それはもちろんワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》をいやがおうにも思い起こさせるから。私の抱くこのオペラのイメージと、ダリが描く《狂えるトリスタン(とイゾルデ)》の悲劇的なグロテスクさが、ぴったりと重なり合う。

 そしてサントリーホールへ。友人からチケットを譲っていただいた東京交響楽団の定期演奏会。
 プログラムはワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》第一幕への前奏曲から。先ほど観たダリの《狂えるトリスタン》が思い浮かぶかと思いきや、演奏は透明感に溢れ、澄んだ穏やかな渚を進むような静謐さ。天上の世界へ真っ直ぐ向かう雰囲気で、美しかった。ダリが描いた救いの無い、世紀末的な悲劇さからは遠いもの。

 そして、前奏曲の張りつめた静謐さを留めながら、休止なしでデュティーユのチェロ協奏曲《遙かなる遠い国へ》。
 初めて聴いた曲だが、これがもうチェロのヨハネス・モーザーともに素晴らしく、ノットによるプログラミングの妙に感心。
 この曲は、ボードレール『悪の華』からインスピレーションを得て作曲されたもの。曲名は「髪」の一節<遥かな、不在の、ほぼ死に絶えた世界が全て、おまえの深みのうちに、かぐわしい森のうちに生きている>から採られている(プログラムより)。

 現代音楽だけあって、多彩な打楽器に、ハープやチェレスタも入っている。難曲ではあるだろうが、騒然とした曲の作りではなく、むしろすっきりとした印象。打楽器が効果的に生かされており、鐘の音(銅鑼)が、いくつも木霊するなかで、太古の森を思わせる幻想的な世界が広がっていき、まるで魅惑的な魔術にかけられたような心持ちになった。

 第三楽章〈黒檀の海よ、おまえにはまばゆいほどの夢がある 帆や漕ぎ手、長旗、そしてマストの夢が〉(「髪」より)は、ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》にそのまま呼応しているかのよう。そう思うと、よりイメージが広がっていく。なんと艶やかな詩だろう!
 最終楽章の讃歌〈夢を持ち続けよ 賢人は狂人ほど美しい夢はもたないのだから〉(「声」より)に、またダリの《狂えるトリスタン》がよみがえってしまった。ダリのシュルレアリスム世界とも繋がっていくような…。
 
 それにしても、ボードレールの詩は、断片だけでも素晴らしい。そうだ、ボードレールは、ワーグナーについても批評していたのだった。ワーグナーとの繋がりがやはりあったな、と。

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 ヴェネツィア最後の夜。滞在の締めくくりは、再びフェニーチェ劇場へ。
 バロック音楽ヴェネツィアンセンター主催のソプラノ&テオルボによるコンサート。モンテヴェルディ&ヴィヴァルディ・フェスティバル2016の公演で、会場は劇場内の小ホール的な場所(アポロンの間)。こじんまりとしたコンサートにはぴったり。
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 ~AMOR,IO PARTO~
  Dal《Lamento d’Arianna》di Monteverdi,alle《Fonti del pianto》di Vivaldi
 ~愛の神よ、私は去りゆく~
  モンテヴェルディ《アリアンナの嘆き》からヴィヴァルディ《涙の泉》へ

 締めくくりのコンサートは、奇しくもバロック。しかもヴェネツィアと深い所縁のある二人の名を冠したコンサート。好きな音楽に囲まれた、こんな幸福な夜を最後に過ごせるなんて!ヴェネツィアからの贈り物に、ありがとう。

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 私にとっての殺し文句、それは《オール・バッハ・プログラム》。そう銘打たれたコンサートがあると、「わぁ、いいなぁ」と瞬間的に胸が高鳴る。
 はいえ、演奏機会の多い無伴奏系(独奏)はあまり食指が動かず、かといって宗教カンタータや受難曲となると、その曲の性格から、ウキウキとコンサートを楽しみに行く雰囲気とは異なってくる。もちろん、聴けば心震える。自分が大病した時など、カンタータにずいぶんと慰められた。
 バッハの曲は「堅い(難い)」印象を与える音楽ばかりではなく、カンタータの中にも思わず耳を奪われてしまう美しい旋律の曲があるし、器楽曲も幅が広い。何より、バッハの紡ぎだす音の絡み合いに身を委ねる快楽は、バッハでしか得られない、特別なものがある。

 今回のプログラムは、ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタを中心としたもの。このソナタ集も各曲それぞれに個性的で、バッハらしい綿密な音のアラベスクが、デュオによる華麗な掛け合いで広がっていく。
 それをファウスト&ベザイデンホウトという名手2人で楽しめるなんて!これを聞き逃す手があるだろうか。

 チェンバロを弾いたベザイデンホウトはモーツァルトの評価が高いが、私は全く聴いたことがなく、今回が初めて。このヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ集では、チェンバロはただの伴奏ではなく、ヴァイオリンと共にメロディーを奏で、かつ通奏低音も兼ねるという、時代を先取りした形式。演奏が難しいのは当然だが、エキサイティングな弾きっぷりに魅了されてしまった。
 ソロ曲のトッカータニ短調も良かったけれど、ソナタ第6番のチェンバロ・ソロの盛り上がりには、私も気分が高揚。もっと聴いてみたいなと思わせてくれる。
 ヴァイオリンのファウストは、曲ごとに弓を替えながらという研究熱心さが窺え、手堅い演奏だったが、もっと弾んでもいいような。バッハを聴く快楽を味合わせてくれる演奏に出会うのは、やはり難しい。

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