カテゴリ:コンサート( 37 )

それは、聴いていると、まさにラファエル前派の絵画たちが浮かび上がってくるような世界…。シェイクスピアの時代に活躍した作曲家、ダウランドやロバート・ジョンソンを始めとした歌曲リサイタルへ。
イギリス・ルネサンスの最盛期、シェイクスピアに代表される文学(演劇)に付随するように、音楽も見事な成果を残している。その代表が、ダウランドによるリュート伴奏付きの歌曲だ。リュートは、ルネサンスを代表する楽器の一つであり、絵画にもよく描かれているので、「ああ、あれか」と思う方も多いだろう。
私はリュートの、そのなんともいえない哀愁を帯びた音色にとても惹かれる。特にヴァイスの曲がお気に入り。

今回のプログラム、まずはシェイクスピアが所属した劇団の「座付き音楽家」である、ロバート・ジョンソンの歌曲から。R・ジョンソンは、シェイクスピアの戯曲にオリジナル曲を付けており、以前、シンベリンやテンペストに付けられた曲を聴いた覚えがあるなと…。
ここまでは、いかにも調和的なルネサンス歌曲の雰囲気だったのだが、ダウランドに移り変わると、開始のリュート・ソロから、一気にダウランドのラクリメ(涙)の世界へ。曲自体も、哀愁から憂鬱、最後はラクリメ(涙)に満ちていく…。

デイヴィスの歌唱を聴いて、今まで抱いていたダウランドのイメージが随分と変わった。いくらラクリメとはいっても、そこは「ルネサンス」という時代の中での表現と思っていた。だが、さすがバロックの歌い手である。
テキストの読み込みの深さからくる表現力の確かさによって、ダウランドがまさにルネサンス後期の作曲家で、バロックへの橋渡しをしているということが、まざまざと伝わってきた。

当たり前だが、時代は続いている。ルネサンスはバロックと繋がっているのだ。もちろんその後も…、そう、現代まで。それを実証したのが、最後のダウランドに続けて演奏された、エリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・へヴン」。なんの違和感もなく、400年前の音楽と現代の音楽が繋がり、私達の心にも熱いラクリメが流れ落ちる…。

その完成されたプログラムと、まさに歌唱と一体化していたリュート演奏にも、ブラボー!
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今年の第一弾目の演奏会が、こんなにも感動してしまうものになるとは思わなかった。
聴いている途中から、目頭が熱くなるのを感じ、久々に胸が一杯に。この余韻はしばらく続きそうだ。

「晩年のヘンデル」がテーマとなった、今年のヘンデル・フェスティバル・ジャパンの演奏曲はオラトリオ《イェフタ》。ヘンデルが視力を失いつつある中で作曲されたもので、実質的には最後の舞台作品だ。
作曲家に限らず、芸術家の人生の有様と、作品自体は切り離して考えるべきだとは分かっているが、ヘンデルの最後に辿りついた終着点は確かにここにあるということを感じて、胸が熱くなった。

ヘンデルは本質的にはオペラ作曲家で、若き日よりその輝かしいオペラ作品の数々で名を馳せてきた。私はヘンデルのオペラが好きだ。
まさにバロックの精神を体現したような、カストラートの超絶とした声が君臨し、現実を飛び越えて魔法の世界までも鮮やかに作り出し、そして男女の機微を細やかに、艶めかしく表現し、聴くものをこの世のものとも思えぬ陶然の境地へ連れて行ってくれる、ヘンデルのオペラの数々…。
ヘンデルの人生は、そうした自身の作品を上演するための、世間との闘いの連続でもあった。そして最後まで、劇場での上演に命を掛けていたように思える。

この最後の作品を聴きながら、彼の作り出してきた過去の華々しいオペラからオペラ自体の衰退、そしてオラトリオへの転向、ここに至るまでの流れを、その闘いの人生を想い起こさずにはいられなかった。
時の無情な流れには逆らえないけれども、それでも「最後の仕事」の見事な成果を聴くことができたことは、本当に良かった。
この宗教的な深みのある音楽ー《ああ、主よ、御胸の何と幽庵なことか!人間の目には覆い隠されている!我々の歓びはことごとく悲しみに転じ、我々の勝利は悲嘆に変わるー夜が日に取って代わると。確実な喜びは無く、確固たる平和もないー我々人間の知るところでは、この地上では。…》(2幕合唱)
この境地は、晩年だからこそ可能な表現なのだろう。この作品が最後となったことを、本人は悔いてはいないはずだ。

もっと自分が年を経れば、ヘンデルのオペラよりもオラトリオに惹かれるようになってくるのかもしれない…。

★演奏は真摯なもので、この日のために修練を重ねてきたことがうかがえる見事なものでした。一回きりとは本当にもったいない限り。
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年末の片づけ、大掃除を2日かけて夫婦で行い、新年の準備を整えた後、紅白&第九を見ながら年越し蕎麦(今年は天ざる。天ぷらは毎年すぐ近くの実家よりおすそ分け)をいただいて、落ち着いたところ。
あとは、今年の鑑賞生活のまとめを少し。

今年はオーケストラの演奏会が多かった。普段、オーケストラの演奏会にはまず行かないのだが、友人に譲ってもらった1月都響の現代音楽プログラム、日本初演のシュネーベルとカーゲルの作品が素晴らしかった。特にシュネーベル《シューベルト・ファンタジー》では、「今、クラシック音楽を聴くとは、どういうことなのか」=クラシック音楽を聴く「私」とは何なのだろう、と、音楽を聴くという体験そのものを捉えなおすような試みが感じられ、とても刺激的だったー「過去の音楽作品を今日の体験から新しく聴くことができる…音楽が価値ある真に生きたものとして、いかに現代に伝えられるかという受容そのものが問題なのである(プログラムより)」ー。

こうした、新鮮な体験を与えてくれる、目から鱗のような作品を聴きたいなぁ、とそれからは在京オケによるサーリアホのオペラ&クラリネット協奏曲、アダムズ、藤倉大など「日本初演」の曲が多くなってしまった。新しい音楽に身を浸すことで得られる感覚があり、面白い体験でもあるので、来年もこの傾向が続く予感…。

また、久し振りに海外遠征ができたのは、本当にありがたいこと(気軽にはできないことだと思っている、家族&職場に感謝)。
シュターツカペレ・ベルリン&アルゲリッチにドレスデン・ゼンパーオーパー(シュターツカペレ・ドレスデン)、ベルリン・フィルハーモニーと聴いた。
ベルリンフィルの公演については、感想など書きたいのだが(今日は時間が無くて…)。好きなコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲を実際にベルリンフィル&ギル・シャハムで聴けたこと、これまた好きなシュミットの《ノートルダム(インテルメッツォ)》も聴けたのは、嬉しかった。シュミットの歌劇《ノートルダム》、音楽的にドラマチックで惹きこまれる、とてもいい作品だと思う。いつか舞台で観たいものの一つだ(でも、日本ではまず聴けないだろう…)。
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村上春樹さんの新刊(紀行文集)『ラオスにいったい何があるというんですか?』に、ニューヨークのジャズ・クラブ探訪記がある。
「もしタイムマシーンがあったなら、1954年のニューヨークのジャズクラブでクリフォード・ブラウン=マックス・ローチ五重奏団のライブを心ゆくまで聴いてみたい」とのこと。
私はジャズを聴くことがあまりないが、このコンボは大のお気に入りなので、「おお、分かる!」と気分が高揚してしまった。

天才とも言われ、早世したブラウンのトランペットが素晴らしいのはもちろんだが、村上さんが「クインテットとしての質が極めて高い」と書いているように、一人のプレイヤーだけが傑出しているのではなく、五重奏団としての演奏が見事。特にローチのドラムス!バロック音楽でも通奏低音好きなので、もう堪らない…。凄い、カッコいいとしか言いようがない。私も思わず音に合わせてエア・ドラムを叩きたくなってしまうほどだ。

このコンボを聴いていると、私の中にどうしてもバッハが浮かんでくる。音楽としての表現方向が似ているのだ。決まったテンポと様々な和音(コード)の上にテーマと変奏、そして即興!最後はまた円を描く様に戻ってくる。ジャズとバッハの共通点が多く見出せるのは、よく言われることかもしれないが…。

「一期一会・全力投球をモットーとしたクリフォード・ブラウンのステージ」のように、クラシックの室内楽でもこうした熱いステージに巡り合ってみたい、と想いを巡らしてみる。調和していながらも、お互いが丁々発止でぶつかり合う、そんな生きた音楽を味わいたい。
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これぞ生きる喜び!カルミニョーラ&ヴェニス・バロックは、やはりヴィヴァルディが最も素晴らしい。まさにイタリアの風、明るい大気、鮮やかな海と空が浮かび上がります。生きるということは素晴らしいという肯定感に満ち満ちて、これほどまでに今を生きるという多幸感に溢れたコンサートは滅多にありません。

昨年はジャルスキーとのバロック・プロで、陶酔の一夜を聴かせてくれたヴェニス・バロック。今年はカルミニョーラとのゴールデンコンビ、しかも定番のヴィヴァルディにバッハのコンチェルト(大好きだ…)をいよいよ弾くとなれば、これを聴かずにはいられましょうか。
カルミニョーラがコンチェルト・ケルンと共演したバッハのコンチェルト集(最新盤)を聴いていましたが、こちらは、ついにここまできたかと思わせるようなアヴァンギャルドさ、人によっては拒否反応もあるでしょう。
ですが、今回の共演はヴェニス・バロック。また違ったバッハを聴かせてくれるだろうと楽しみにしていました。

コンサートでは、バッハのコンチェルトが3曲演奏されましたが、ポリフォニックな要素が強いバッハはやはり手強い。今回は低音部(コントラバスやチェロ)、通奏低音にボリュームがない=重さが足りない。下から音を積み上げて構築し、お互いの丁々発止に、コンチェルトでは即興の要素もないとバッハとしては物足りない。カルミニョーラもバッハになったとたんに響きが曇ってしまって、ハラハラ。
そして、バッハはどうしてもバッハ…。ヴィヴァルディになりたくても、どうしても「イタリアの風」にはなれない…。
それは今回よく分かりました…。

演奏を聴きながら、そんな歯がゆさを感じていましたが、最後のBWV1041(特に3楽章)は会心の出来映え!ここで勢いに乗ったのでしょう、その後のヴィヴァルディはまさに水を得たような新鮮な響き。カルミニョーラの鮮やかな手腕といったら、もう怒涛のごとく…。その勢いのまま、アンコール4曲(オール・ヴィヴァルディ)が続き、最高の盛り上がりに。観客の反応を受け止める感性も素晴らしい、ライブの醍醐味。

本当に、ここまでの演奏はなかなか聴けませんので、次回もまたイタリア・バロックで!コレッリを是非聴いてみたい(きっと、素敵だろうなと…)。
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毎年開催されるゴールデンウィーク中の音楽祭、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(熱狂の日)。
今日から3日間、東京国際フォーラム内の複数のホールが会場となる、いわばクラシック音楽の“お祭り”。
お祭りにかかせない屋台もあり、ちょうど気候の良い時期ですので、野外で飲食も楽しめます。各コンサート時間も短く、値段も抑えているので、気軽に体験するにはぴったりの機会。

クラシック音楽というと、私は同僚などから「高尚な趣味」(嫌味なのかもしれませんが…)などと言われてしまうことがありますが、「音楽を楽しみたい」「感動を味わいたい」という誰もが持っているであろう、シンプルな欲求が基本にあって、好きになるのに理由はありません。この音楽祭が、クラシック音楽に馴染みがない方にとっても、今に生き続ける、生命力溢れる音楽の魅力に触れられる機会となれば、私も嬉しいのですが…。

11年目となる音楽祭ですが、私にとっては3回目の“お祭り”
今回はバッハが多く、なかなか実演の機会がないものもあって、プログラムをチェックしていたら嬉しくなってしまいました。その勢いで、1日に6つのコンサートを詰め込んでしまうという結果に…。朝の10時から夜の10時まで、ほぼオールバッハ・プロ。文字通り「熱狂の日」となってしまいました。

最後の6つ目のコンサートが、楽しみの一つだった佐藤俊介さんによるバッハのヴァイオリン・コンチェルトでしたが、期待以上の素晴らしさ!
勢いとキレのある、ガッチリとした構成と表現力はもちろんのこと、なんといってもバロックに欠かせない装飾の入れ方が本当に見事。演奏後は「ブラボー」の声が飛び交い、やはりバッハはこうでなくては、と思わせる胸のすくような演奏でした。
昨年のジャルスキーのリサイタル以来、久し振りにバロックを聴く愉悦を感じさせてくれて、まだ興奮気味…(6公演の疲れも吹き飛びました)。だから、コンサート通いは止められない…。
次回は是非、コンチェルト・ケルンでの来日公演をお待ちしています。
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コンスタンチン・リフシッツのピアノ・リサイタルへ。
「J.S.バッハの宇宙」と称した全3回のオール・バッハ・プログラム。今回は第1回目で《平均律クラヴィーア曲集第1巻》全曲。
昨年エマールによる、スタインウェイの艶やかな音色でのラグジュアリーな《平均律クラヴィーア曲集第1巻》を聴きましたが、時を置かずして、違った個性のピアニストによる演奏を聴けるのは、滅多にない機会。

《平均律クラヴィーア曲集》は鍵盤音楽の旧約聖書と言われますが、全曲通しのプログラムは珍しいです。弾くのも大変ですが、聴く方もかなり気合が必要。
バッハが好きで、バッハの曲に取り組んでいる私にとっても、全曲通して聴くとなると、これは大変という気持ちが…(もちろん、そうでない方もいると思いますが)。
それは、やはりプレリュードとフーガの組み合わせで24曲続くということが大きいのでしょうが、自分で弾いていても感じるのが、どれも個性豊かな発想が組み合わされてできているということです。教会オルガン曲を思わせる壮大なものから、ロココ調の優美可憐なもの、そして燃えたぎる情熱が放たれるものまで、それこそ人間が感じうる全てのものが表現されているかのよう。
その多様性は、とてもバッハという一人の手によって為されたとは思えないほどです。バッハの曲を弾くたびにそう思うのです、「凄いなぁ」と…。

リフシッツのバッハ、声部を弾き分けて構成を伝える、曲から曲への滑らかな流れを創るという基本はきっちり押さえながら、独自の解釈を打ち出していく、目の覚めるようなバッハでした。
1番ハ長調のプレリュードは最初の曲ということもあり、どのように弾くか難しいところだと思いますが、初めのフレーズをいきなり強音で、その後同じフレーズを弱音で弾いたのには驚きました。アフタートークの礒山先生の話だと、これはバロック音楽の特徴であるエコー効果とのことで、なるほどと…。勉強になります。
一つ一つの音を噛みしめるように奏でるリフシッツ。音色のコントラストをつけるために、ペダルを駆使しており、その効果がとてもよく出ていました。
私が感銘を受けたのは8番変ホ短調。まるで彼岸から聴こえてくるような響き、これは祈りだ…。

使用ピアノはベヒシュタイン、落ち着いた重厚な音。
このピアノとリフシッツでブラームスも聴きたいなと思ったら、アンコールでブラームス《カプリッチョ》を弾いてくれました♪嬉しいおまけ。
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先月のフランス・バロックオペラ《プラテ》に続き、今月は17世紀末のロンドンの劇音楽を味わいに。
バロック時代の雰囲気を再現すべく、無数のキャンドルで囲まれた舞台に、シノワズリの装飾が施されたチェンバロが佇む様子は、なんとも夢幻的で、それだけでも別世界へ。
その中で演奏される音楽は、「劇音楽の黄金時代」と呼ばれるのも納得の、ヘンリー・パーセルはじめ、弟のダニエル・パーセル、エクルズを中心としたプログラム。
エリザベス朝時代にシェイクスピアに代表される劇場文化が花開き、同時に劇音楽も様々に生まれましたが、時代の流れで埋もれていったのは致し方ないでしょう。

でも、古楽の演奏が盛んとなった今、演奏者自身が何度もロンドンの図書館に足を運んで発掘し、6名のアンサンブル(ヴァイオリンやリコーダー)の編成で演奏された曲の数々は、当時の劇場の熱気や活気が感じられ、それは生き生きとしたものでした。
とっても楽しかった!

ペプシュ《乞食オペラ》抜粋を聴くと、その親しみやすさと思わず踊りたくなるような楽しさに(だって曲名もダンシング・マスター!)、当時のヒットナンバーメドレーというのも納得。これではヘンデルが負けるのも仕方ないかも…。今でいう、クラシックと人気ポップスの違いと同じくらいに曲調の差がありすぎます。
今年は、この《乞食オペラ》に基づいたブレヒト&ワイルの《三文オペラ》も実際に観たので、参考になってよかった。

嬉しかったのは、大好きなコレッリの曲(ヴァイオリン・ソナタ作品5-3)も入っていたこと。いうまでもなくイタリア・バロックの大家ですが、イギリスでも大人気だったそうで、よく幕間の余興に演奏されたとのこと。
コレッリが演奏されると、一瞬でイタリアの風が吹き抜けていきます。

ロンドンの「劇場」をつかのま味わったひと時。
演奏自体もリコーダーの水内さんはじめとても見事なもので、是非、第二弾を望みます!!
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先日、生演奏付きという贅沢なドイツ・リートを味わう講座へ。この暑さを爽やかに和いでくれるような、清々しい曲の数々に触れることができて、リフレッシュ。

今回はゲーテの詩による曲が中心。ゲーテ以前のゲーテと言われるヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデから、ハイネも取り混ぜて。
一番印象に残ったのが、ハイネとシューマンの組み合わせによる《詩人の恋》から《美しい5月に》。
初めて聴きましたが、その美しさに圧倒されてしまいました。その昔、シューマンの《子供の情景》からいくつか弾きましたが、その生涯からあまり良いイメージがなくて、積極的には聴いてきませんでした。目から鱗。
詩行の最後の韻が、ピタリと嵌まって、もちろんのことですが詞だけ読んでも、響きの美しさが感じられます。

ドイツ・リートの起源はミンネ・サング。そして時代の流れで啓蒙主義、疾風怒濤を経てロマン派へ。ロマン派はゲーテがいたからこそ。
ゲーテといえば『ファウスト』そして『若きウェルテルの悩み』(両方ともオペラになっている…)。

ゲーテついては『若きウェルテルの悩み』や、わずかな詩にしか接したことがありませんが…、自然科学者としての視点が作品にも表れているのにはさすがだと思わされます。私にとっては、自然描写の見事さがまず印象的でした。

そしてゲーテとモーツァルトによる《すみれ》。これはリートというよりは、まるでオペラ・アリアのよう。
また有名な《野ばら》をシューベルト、ヴェルナー、ブラームスと聴き比べ。詩はやはり韻や強弱のリズムがよく組み立てられています。ブラームスの《野ばら》は初めて。ブラームス好きにとっては、実際に聴くことができて嬉しい驚きでした。

これを機会に、リートもより楽しく味わえそう。ドイツ語の美しさに触れることのできたひと時でした。
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先日、ラモーやモンドンヴィルのグラン・モテを聴きましたが、なんだか今年はフランス・バロックづいているのでしょうか、先月は宝塚歌劇のミュージカル《太陽王~ル・ロワ・ソレイユ~》に。
太陽王と称されたルイ14世の生涯を描いたフランス・ミュージカルで、日本初上演。2005年の初演以来、フランスの最高興業記録を打ち立てた作品です。

ウィーン・ミュージカル《エリザベート》も宝塚歌劇で日本初演でしたが、宝塚バージョンとなったように、こちらもオリジナルから変更があるとは思います。ですが、なにしろダンス主体の作品、バレエ好きだった「太陽王」のイメージとマッチしています。それこそ太陽王が愛したコメディ・バレは今で言うミュージカルに近いものですし…。
太陽王を演じた柚希礼音さんのキレあるダンス、スタイリッシュで見惚れてしまいました。

狂言回しはモリエール。この辺りもツボでしょうか。リュリは出ませんが…。ルイ14世の女性遍歴を中心としてストーリーが進みます。ストーリー的には娯楽大作の王道ですね。第1幕のマリーとの悲恋は、ラシーヌを想い起こさせるもので、せつなさが。心に残りました。

インパクト大だったのは、道化役とも言えるムッシュー(太陽王の弟フィリップ)。女装を好み、アクセサリーで着飾っていたという話そのままの出で立ちにはうなりました…。紅ゆずるさんのコミカルな演技で、軽薄さを持ちながらも世の中を皮肉る姿が冴えてました。
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それにしても、観客の一体感は凄い!ミュージカルの幕が下りても、フィナーレのレビューが続き大喝采。たっぷりと宝塚を満喫した舞台でした。
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