カテゴリ:日本伝統芸能( 19 )

e0036980_2333386.jpg残暑で蒸し暑い日々が続いていますね。昨日から遅めの夏休みを取っています。今日は午前11時から第一部の納涼歌舞伎を観て、国立近代美術館工芸館の三輪壽雪展へ。その後再び歌舞伎座に戻り第三部「南総里見八犬伝」を観る予定だったのですが、明日遠出をするので早めに帰宅をと思い、チケットは譲ってしまいました。

第一部はどれも納涼歌舞伎らしくスカッとするもので、暑さが吹き飛んでしまう爽快なもの。特に「慶安太平記」の橋之助による大立廻りは迫力満点。サーカスも真っ青、「おー!(スゴイ)」と思わず叫んでしまいそうになりました。「たのきゅう」は新作舞踊劇、演出&衣装がポップで目新しく、お子様向けにいいのでは。

三輪壽雪(萩焼)の感想はまた後に…。     
→国立近代美術館工芸館
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歌舞伎座で夜の部を鑑賞。
今月の歌舞伎座はオール泉鏡花作品で、鏡花ファンの私には嬉しい限り。しかも、鏡花作品に精通している玉三郎丈の監修で、願ってもない企画。鏡花の描く幻想世界は、歌舞伎の世界にも通じるものがあって、相性が合うはずだと思っていました。特に、魔界のお姫様は、女形ならではの浮世離れした雰囲気で演じられるのにぴったり。そして、なんといっても台詞が魅力的。雅やかな、美しい日本語。台詞自体が艶やかな着物をまとっているよう。

戯曲中の最高傑作と言われる『天守物語』、主人公の天守夫人富姫(魔界の女主人)は玉三郎の当たり役、なんの不足もありません。でも、相手の海老蔵が役にはちょっと不足でしょうか。気概に溢れた若々しい青年という役作りは分かるのですが、一本調子で深みがないのです。恐れと驚愕に始まり、富姫に魅せられ、人間界と魔界の間を揺れ動く…、そのさまが伝わってきません。そのためか、玉三郎との掛け合いが、しっくりこない。2人が恋に落ちる場面で、台詞も美しい、見せ場の一つと思われるところがあるのですが、なんとそこで観客席から笑いが…。漫才のオトボケシーンのようになっていて、私は眩暈がしてしまいました。そんなことが数回。

でも、演出、衣装ともに美しく、鏡花の世界を堪能することができました。
また観たいもの。
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三連休の最終日はあいにくの雨。ですが、あれこれ会場をはしごする一日となりました。

歌舞伎座の泉鏡花作品は楽しみにしていたもの。今日は昼の部『夜叉ヶ池』『海神別荘』のみ鑑賞、後日に夜の部で本命の『天守物語』を観る予定です。玉三郎丈は幽艶そのもの…、海老蔵は魔界の公子という役どころですが、演技を観るとまだ人間界から脱却するには至ってないよう。でも、若々しい魅力に溢れた公子で、斬新な衣装がピッタリお似合いでした。

その後のウイーン・アンサンブルでのメストレ(ウィーン・フィルのソロ・ハープ奏者)、演奏も見事でしたが、モデルさんのようなハンサム。こちらもハープがピッタリお似合い。ハープが似合う男性っているんですね、久し振りにまるの目もうっとり。
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e0036980_23144066.jpg今日は宝生能楽堂へ舞台鑑賞に。まずは狂言、人間国宝の野村萬さんによる「八句連歌」。本当に芸達者、所作の一つ一つにオーラが醸し出されていて上手いの一言です(これ以上の表現ができない私)。楽しく笑わせていただきました。
「花ざかりごめんなれかし松の風」「桜になせや雨のうき雲」と、ちょうど見頃を迎えている桜にかけた句が出てきたりして、嬉しかったです。

お能の演目は「景清」。「平家物語」に典拠し、武勇を誇った平家の武士、悪七兵衛景清を主人公に置いています。捕えられた後、源氏の繁栄をみるのを拒み、自ら両目をえぐったという悲劇的英雄で、多くの伝説が残っているそうです。生きながらにして地獄を味わい、昔の勇士の姿もなく乞食となっている老人の姿を描いた、悲壮感漂う演目です(オイディプス王を連想させます)。
主人公を現役能楽師最高齢(85歳)の今井泰男さんが演じていましたが、哀れさを誘うというより、老いても凛とした勇者という感が強かったです。このお年でスゴイなぁと、素直に思いました。

e0036980_2317438.jpg2つとも私にはもったいないような演目。見ることができて良かったです(でも隣の方は軽いイビキをかいていました。どうしようかと思いました)。
鑑賞後は北の丸公園へ花見に。桜より人を見に来たような!ものすごい人出でした。でもやはり桜は見事ですね~。一人でのんびり散策しました。
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先日鑑賞したお能について、感想は述べられずとも作品内容ぐらいは記憶に留めておこうかと。この「高砂」は披露宴での「たかさごや~」で有名なもの。
「脇能と呼ばれる一番目物の代表。高砂と住吉にありながら相生の松と呼ばれ、その精の老夫婦がともに心を通い合わせ、和合と長寿を祝福する曲柄。」→これだけではよく分かりませんね(;-;)。

謡でとても気に入った箇所(下線部)があります。
住吉明神が神舞を舞う前のもの。「現れ出でし。神松の。春なれや。残んの雪の浅香潟。玉藻刈るなる岸陰の、松根に寄って腰をすえば、千年の緑。手に満てり。梅花を折って頭に挿せば。二月の雪 衣に落つ」
→現代語訳「自分は筑紫の青木が原の波間から表れ出た住吉の神であるが、今は春のこととて、雪がわずかに消え残っているこの浅香潟、玉藻を刈るという岸影の、松の根元に寄りかかって腰をさすると、千歳変わらぬ松の葉がこの手にまで一杯になるようだ。そしてまた梅の花を折って頭に挿すと、花びらが散って、春の雪が衣に落ちかかったようだ…」
この箇所、もともとの出展は『和漢朗詠集』の漢詩からとのこと。奥深すぎ(^ー^;)。

春景色の面白さに打ち興じる情景がとても素敵です。特に梅の花を春の雪(二月の雪)に例えるなんて…。梅見に行きたくなりました。
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e0036980_044718.jpg今日は宝生能楽堂にて「高砂」「千手」を鑑賞。
私はお能についてまだ、全く感想を述べることができません。白州正子さんの「お能の見方」では「世阿弥は目智相応しなければよい見手とは言われないと言います。鑑賞家は自分に対して見栄を張るために、自分の芸術的陶酔を感じるだけで満足するに終わってはなりませぬ。そう心得た上で、さてはじめて能を楽しみ、自分を満足させるのは、…それは私の知ったことではございません。」という言葉が胸に刺さってしまうのです。

タイトルは白州正子さんが、お能と西洋の古典舞踊(バレエ)を比べて述べた言葉です。私にとっては、この比較はとても興味深いものでした。「お能とバレエほど見た目に違うものはありません。芸術の高峰は分水嶺となって、この二つの流れを東西に分かちます。分かれた二つの流れがしめそうとするものは、しかし同じひとつのものです。」

「現在バレエは日一日と発展しています。そのゆくすえはどこまで伸びるが見ものです。しかし、太陽のもとにけっして真に新しいものはありえません。目をそばだてるほどの新しいものを取り上げても、美の法則はつねに不変です。これを変えることは人間にはできません。どんな革新家であっても我にもあらず、この法則に従っているのです。」
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e0036980_14544369.jpg昨日の能舞台の余韻に浸っています。この本は以前に求めたもので(能については全くの素人です)、パラパラと見たりしていましたが、鑑賞後また取り出して開いてみると、また面白いです。
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さて今日は水道橋の宝生能楽堂にて能を鑑賞。この能楽堂は初めてです。席は正面で3列目のど真中という最適の場所。囃子と地謡による音楽&シテの舞を堪能できて嬉しかったです。今まで観た舞台芸術の中ではこの「能」に最も非日常を感じました。まさに「幽玄」の世界で、あの世とこの世にまたがっているよう。間に挟まれる狂言が現実(この世)に引き戻してくれました。狂言ではTVや映画、舞台で活躍している野村萬斎さんが出ていたので、ドキドキ。ミーハー気分でした♪
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e0036980_20443518.jpg前日のカルミニョーラ&VBOの余韻が冷めやらずでしたが、近郊の和光市民文化センターでの落語名人会に出かけました。これは落語好きの同僚に誘われたもの、私はライブでは初めてです。出演は桂文珍に春風亭小朝、三笑亭夢之助と知名度の高い豪華メンバー。
会場の大ホールは大入り満員でこれにはビックリ。
トップバッターは夢之助、次の小朝は風刺と毒の効いたピリッとしたもので、私はこれが一番おもしろかった!文珍も飄々とした味わいで個性的ですね、ベテラン勢はさすが話しっぷりがこなれていて上手い…、充分笑わせてもらいました。
休憩を挟んだ後は、林家正蔵の襲名披露で、出演のメンバーがそれぞれ口上を述べました。「頑張れ~」と皆暖かい拍手。そして真打ちの林家正蔵が登場、身の回りの笑える小話から始まって、古典落語(?と言うのでしょうか)に移行。ホロッとさせられる人情話でした。一生懸命さは伝わりましたが、ベテランが醸し出しているような余裕というか懐の深さを感じるにはまだまだなのでしょうね。
初めての落語、楽しかった♪今度はもっと小さい寄席で楽しみたいです、紬(着物)の普段着で行ってもいいかな。
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