お誘いを受け、友人のリサイタルへ。
ドビュッシーやショーソン、フォーレ、オッフェンバック、そしてラモーまでのフランス歌曲、久し振りに楽しませていただきました。
懐かしいラモー《イポリートとアリシ》!ガルニエを想い出します…。
そして今日はフォーレの誕生日とのこと。
偶然にも、最近気に入って流しているCDが、このフォーレ《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》。
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フォーレといえば《レクイエム》、そしてピアノ曲は有名な《シシリエンヌ》など弾いたことがありますが、ピアノ曲以外はほとんど接したことがなく…。
そしてたまたまこのCDを手に取ったのですが、対照的な2つのヴァイオリン・ソナタの魅力的なこと!
聴いているとプルースト『失われた時を求めて』のヴァントゥイユのソナタが想いだされるのです。
調べると、なるほどフォーレはプルーストと同時代で、フォーレの曲をモデルにして本に登場させているそうなので、繋がりを感じるのは当然でしょうか。

…そしてスワンがはっと気がついて、「これはヴァントゥイユのソナタの小楽章だ、聴いてはだめだ!」とみずからに言い聞かせるより早く、オデットが彼に夢中だったころのすべての思い出、その日まで彼が自分の存在の奥深く、目に見えないところになんとか押しこめてきたすべての思い出は、愛しあっていたころの光が突然またさしてきたのだと思いこみ、その光にだまされて目をさますと、はばたいて一気に空へかけ上がり、現在の彼の不幸などお構いなしに、狂ったように、忘れていた幸福のルフランを歌いはじめた…
『失われた時を求めて 第一篇 第二部 スワンの恋』 (鈴木道彦訳)より

これは本の中でも印象に残る場面で、音楽による記憶の甦りを鮮烈に描いた、大変好きな箇所。

フォーレの室内楽曲に触れるいい機会となりました、これからも聴いていきましょう。
来年はこのCDのデュオでオールフレンチ・プロの日本公演があるようですし、これもめぐり合いですね。
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『失われた時を求めて 第一篇 第二部 スワンの恋』 (鈴木道彦訳)より

…彼女は若いころに、くねくねと途方もなく長くのびた首のようなショパンの楽節を愛撫することを覚えたのである。

その楽節は実に自由な、実にしなやかな、手に快くふれるようなもので、出発のときの方向とはまるではずれた、もっと遠いところ、とうていこの軽やかな愛撫が届くとは人の予想していなかったようなはるかな地点に、まず自分の場所を求め、その場所を試してみようとするのだが、しかしこのように遠い幻想の地にたわむれるのも、いっそう決然と戻ってきて、人の心を感動させるためにほかならなかった…

…けれども今日ではこのようなショパンの音楽の美しさは流行おくれになり、新鮮さを失ったかに見えた。数年前から音楽通の尊敬を失ってしまったショパンの音楽は、すっかり名誉も魅力も消失し、音楽の分からない人たちでさえ、あえて口にしようともせぬつまらない楽しみしかそこに感じていなかったのだ。


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『失われた時を求めて 第一篇』を読み終えたところですが、すっかりプルーストの魅力に捕われてしまいました。
生における芸術の意味、その探求がテーマの一つとなっていると思いますが、その「芸術」の中にはもちろん音楽も含まれています。
この小説が、こんなにも音楽について取り上げているとは、全く知らずにいましたので、大きな驚きでした。

ショパンの音楽について、その独特な表現で魅力的に語っています。
「しかしこのように遠い幻想の地にたわむれるのも、いっそう決然と戻ってきて、人の心を感動させるためにほかならなかった」のくだりに共感。

プルーストの時代には流行遅れだったショパン(ワーグナーが最先端)ですが、プルースト自身の考えが窺えて興味深いです。
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