カテゴリ:piano( 27 )

             雨には紫陽花、優しい色に心和みます
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久し振りの快晴で仕事はお休みなのに、自宅で持ち帰りの仕事をこなしています…、残念。その合間にピアノ教室へ。バッハの曲、装飾音を上手く入れるのに四苦八苦。あとはショパンのノクターン作品62の2、死の3年前に書かれたもので、深い内面性が感じられる曲です。熱情的な部分を併せ持ち、美しい痛ましさで訴えかけてきます。上手く表現できるよう、頑張ります。
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この紫陽花、昨日銀ブラで見つけました。季節を感じさせてくれるものに、ついつい目が惹かれます。伊東屋でカルトナージュの材料を求めた後、キルフェボンのケーキを手土産にして、通りをブラブラ。ウィンドーショッピングだけで楽しめる街。
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午前に田無まで整体へ。腰の痛み(職業病ですね)があり月1回ペースで通っています。とてもよく効くと同僚らに勧められたのですが、その施術は先生曰く「悪ければ悪いほど痛いです」。
で、おっしゃるとおりに初回は激痛!「うーん、いたたたた」を連発していました。でも、回を重ねるごとに痛みは和らぎ、体も楽になってきました。よかった。鍼もしていますが、気持ちよし。
やはり腰骨がゆがんでいるそうです。あとは首。気長に通います。

整体後はやはり体がだるくなります。それを押して池袋へ向かい買い物。帰宅後はピアノ教室へ。今はショパンのノクターンに重点を置いて練習中。他、バッハ、ラモー、ブラームス。

新居のマンションに移りましたが、自宅からアップライトを持ってくるわけにはいかず、電子ピアノを購入しました。ピアノが側にないと、寂しいから…。私にとっての必需品。タッチや音色は、もう悲しくなるぐらい差が出てしまいますが、仕方ありません。時間を気にせず練習できるのが唯一の利点。
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e0036980_23352450.jpg早朝からの仕事後、ピアノ教室の発表会へ。発表会とはいっても、会場は教室で内輪のもの。大人の生徒さんが中心となり、お互いの交流を兼ねた会となりました。もちろん日頃の成果を一人ひとり披露。私は長年取り組んできたブラームスのピアノ作品118の2《インテルメッツォ》。クリスティアン・ツィメルマンの演奏会で、この曲と初めて出会いました。その曲のなんともいえぬ、ブラームスのロマン的な部分が色濃く出ている世界に惹きこまれ、練習し始めたのです。

私の使用している楽譜には、この曲集をブラームスから受け取った音楽学者シュピッタの言葉が載っています。「…これは、あなたが今までピアノのためにお書きになったものとは全く違っていて、私の知っているあなたの器楽曲のなかで、もっとも内容豊富で、もっとも意味深いものです。これは静寂と孤独の中で、長い時間をかけて吸収するのに適したもので、弾いた後ばかりでなく弾く前の黙想にも適したものです。あなたがこのようなものを《インテルメッツォ》という言葉で暗示しようとしたことを思うとき、私はあなたを正しく理解したと信じます。《インテルメッツォ(間奏曲)》というものは、前提と結論を持っているもので、この場合、それぞれの演奏者と聞き手が、自身でそれを作り出すべきです」

この言葉からも分かるように、非常に深い味わいを持つ曲集ですが、特に2番はメロディーの美しさが際立っています。年月を経れば、今とはまた別の表現が可能であり、深めていくことができるところも、成熟を超えた領域に達した作品群だからなのでしょう。一生お付き合いできる曲がレパートリーになるのは嬉しいことです。

こんな作品に畏れ多くも挑戦しましたが、弾き込んだ作品なので、自分なりの表現もでき、思ったより気持ちよくブラームスの世界を作り上げることができました。シュピッタが「弾く前の黙想にも適した…」と書いていますが、弾く前にはかなりの気構えが必要な曲です。深い呼吸が必要というところでしょうか。そして「前提と結論を持っているもので…」、こうしたロマン的な曲を弾くと(聴くと)、自然になにかしらの情景、思いが引き出されてくるものです。それが上手に表現できれば、これが私のブラームスだと言えるのかもしれません。

しかし、人前で弾くのは中学1年以来です。発表会となると準備も大変ですが、人前で弾くことは、成長のためにもやはり必要なことだなぁと感じた次第…。
他の方からは、「ブラームスの重厚さがよく出ていて、良かったわよ」と、ありがたい言葉をいただきました。良かった。。

他の生徒さんの曲を聴くことも、本当に楽しかった!私の親と同じ世代の方が、「これが弾きたくて始めたんです」とショパンの《華麗なる大円舞曲》を弾く。たどだどしくもそれは、紛れも無くショパンの華やかなワルツの雰囲気で、パリのサロン&舞踏会の情景が浮かぶ。「好きだから表現したい」という気持ちは、技術とは関係なく伝わるんだなぁと感動。
また、ダウン症の学童の方も参加されていて、先生と連弾。頑張っている姿が可愛い。

また、発表会があれば、今度は新曲を披露できるよう、マイペースで練習に励みます。
上の映像、ベランダの薔薇が咲きました。薔薇の名はマチルダ。とても好い香りです。
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秋雨の休日、午前中は日本刺繍を少々、そしてピアノ教室へ。午後は歯科医院で診察を受けてから王子ホールに。フランスの若手ピアニスト、アレクサンドル・タローのリサイタル。

ラモーは私の熱愛対象の一人で(^-^;)、新クラヴサン組曲《アルマンド》《エジプトの女》などピアノで一生懸命弾きこんでいるところ。タローが録音したこの曲集のCDも参考にしています。
リサイタルのプログラムは最新CDとしてリリースしたフランソワ・クープラン作品に加え、クープランの次の世代ラモーの作品を並べたもの。クラヴサン曲を現代ピアノで奏でる、挑戦ともいえる意欲的なプログラムでした。

ピアノでバッハを初めとするバロック音楽を弾く際は、基本的にはペダルを使用せず響きを抑え、タッチ(音の強さ)も均一を保ち、できるだけチェンバロの音質に近づけるようにするのだと思いますが、タローは全く逆。ふんだんにペダルを入れ、タッチに関しても現代ピアノで表現できる幅の広さで豊かな強弱をつけています。でもペダルの入れ方、タッチの強さをよく計算して、コントロールしているのが見事。そうでなければ、曲が全くわけのわからないものになりかねないでしょう。また繰り返しを省略せず、全曲きっちりと入れています。すごい。
装飾音は素晴らしかった!これがクラヴサン曲の命とも言えますが、曲によっては(ラモー《未開人》など)自分でアレンジした装飾音を入れて、洒落た効果を出していました。これには驚き、楽しい。

その現代ピアノ奏法で、豊かな効果を上げていたのはクープラン。繊細でエスプリの効いた世界はそのままに、より色彩が鮮やかになって、ヴァトーのロココの世界から、モネの印象派の世界になったような雰囲気を感じました。特に《バッサカリア》のダイナミックさが圧巻。

ラモーの曲ですが、こちらはクラヴサンで奏でた方が曲の輪郭がはっきりし、アヴァンギャルドさが際立つように思います。ピアノだと響きすぎてぼやけてしまうのです。もちろん曲にもよりますが…。終盤はさすがに疲れが見え(繰り返しもきちんと入れていたので)、崩れが心配になりましたが、最後に大曲《ガヴォットと6つの変奏》を無事弾き終え大喝采。

アンコールのショパン(ワルツ遺作&子犬のワルツ)が、また良し。「間」が上手いです。これはセンスに負うところが大きいのでしょう。

こじんまりとしたホールの親密な空間で、室内楽を聴く秋の夕べ。素晴らしい演奏で幸福感に満たされた夕べとなりました。
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今日は、仕事後に週一回ペースで続けているピアノ教室へ。ひとしきりエクス・アン・プロヴァンス音楽祭などの報告、特にラトル&ベルリンフィルによる《ワルキューレ》の素晴らしさ(私のこれまでの演奏体験の中で最高値)を語り興奮気味に…。

そしていつもの通りバッハから弾き始めたのですが、先生が「旅行前と音が違う!生き生きとして、音がきらめいている」「今日の音と比べると、前のものは疲れているような感じ」とおっしゃるのです。私も、弾き出してから「いつもとは違うノリで弾いてるなあ」と感じていたのですが…。そして先生「良い演奏を聴くと、上手になるって言うわよ。上手い人と一緒に演奏すると、こちらも気分が良くなり上手になるから」とのこと。
演奏にはその人の全て、というか、その時の体調や気分までも出てしまうものなので、私も先生から「今日は気持ちがここにあらずね」などと注意を受けることが多々ありますが…。
今回は、思ってもみなかったところに影響が出てびっくり。聴きにいった甲斐がありました(こんな効果は考えてもみませんでしたが)。
    ↓エクスの町中に掲げられている音楽祭のノボリ
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今のBGMはアルベルティーニ(1644~1685)のヴァイオリン・ソナタ集、就寝前のリラックスムードにぴったりです。

今日もあれこれとバタバタ。朝から上司にいろいろと身につまされるアドバイスを受け、褒められているのか、けなされているのかよく分からない思いに1日捕らわれつつ、仕事をこなし、就業後ピアノのレッスンへ。帰宅後は世界フィギュアを観ていました。《シェエラザード》の曲に乗って滑る、安藤選手の素晴らしい演技に惹きつけられました。トリノオリンピック時とは別人のよう、凄みを感じます。驚き。

仕事後すぐのレッスンだと、頭が疲れてよくまわらないので、バッハやラモーのバロック系、モーツァルトは無理。これらは思考と体の連携を意識して取らないと弾けない。
今日はブラームスやショパンのノクターン、エチュードをさらっていました。レッスンの合間に先生との世間話が入り、いつも一時間半から二時間近く教室に居座っています。
今日は「作曲家をパンにたとえると、どんなパン?」なんて話題が。
私が「ブラームスは重くて大きくて黒い、どっしりとしたドイツパンみたい。噛み応えがあってアゴが痛くなるかも」と言ったのがきっかけ。先生は「そうね。じゃあモーツァルトは、見た目は小さくてかわいらしいパンだけと、意外性のある味がする。」と、次から次へと作曲家をパンにたとえて盛り上がりました。

ラヴェルはドライフルーツがぎっしり詰まったパン、隠し味でドライトマトも入ってます。ラモーは正統派フランスパン…。これは私の想像ですが、いかがでしょ。
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ラモーの新クラヴサン曲集から《アルマンド》を練習し始めて8ヶ月、なんとか通せるようになりました。先月、チェンバロの先生(体験教室)の前で披露したときには、「かなり問題がありますね…。バッハはピアノでもなんとかなりますが、フランスものは難しいですよ。それにこの曲、ラモーの《アルマンド》の中でも一番難しいですし」と、バッサリ言われてしまいました。でも好きなので、自己満足。ピアノの先生には、「まあピアノだし、これで十分では」と慰められ…。装飾音でありながらそうではない(メロディーの一部、意味がある音)、どちらの手でどちらの声部を弾くか、どこを強調するかなど、頭を整理しながら進めていかねばなりません。でも、バロックはそこがおもしろいところかも。

e0036980_1144435.jpg次は《エジプトの女》にしようかと。《アルマンド》よりは易しいですが、テンポが速いので…。表題通りエスニックな雰囲気で、ダンサブル。エジプトの女性が魅惑的なダンスを披露しているイメージです。同曲集の《未開人》はアメリカ・インディアンのダンス、伝統的な舞曲の枠を超えていて、本当にアヴァンギャルド。

弾いていてもウキウキと体が動き、身体的感覚が強いのが、ラモー。バッハの舞曲ではこうはなりません。

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この曲の弦楽合奏版も楽しく、愛聴版です。ルセ指揮レ・タラン・リリクのもの。
クリスティのラモーと比べ、ルセのラモーは重みというか、重力のある感じがします。それぞれのラモー《ゾロアストル》を聴きましたが、テンポにもかなり差がありました。
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以前古楽レクチャーで聴いた「インヴェンション解体講座」で、一番印象に残った曲の解説が、《シンフォニア15番》BWV801。この曲集の一番最後です。
カンタータ136番《神よ、願わくばわれを探りて》の5曲目のアリアとの類比を指摘されていました。カンタータの内容は、罪の穢れが大いなる血潮(キリストのもの)で清められるといったもので、その血潮の流れが16分音符から32分音符の下降形で示されているのですが、そのモチーフがそのままシンフォニア15番にも見てとれることに驚きました。ドラマチックでまさに血潮が流れ出ているような描写、教育目的の曲集とはいえ、内容的にはもう何かしらの特定された言葉や概念に近づいているのです。十字架の形が見え隠れしたり、そんな曲だったとは、ただただ唖然。

目から鱗です…。なので、今、練習中。
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今月1日のBCJの鈴木雅明氏による古楽レクチャー、きちんとまとめておかなくてはと思っていましたが、なかなかそうもいかず今に至ってしまいました。

《インヴェンション》はピアノを習うならば、初歩段階で必ず通る道。ピアノは幼稚園時から初めていますが、この曲集は今まで弾いたことがなく、現在ちょうど行なっているところなのです。なので、嬉しさ一杯で講座へ行きました。
納められている30曲はどれも短い曲で、構成も2声、3声の単純な部類に入るもの。このシンプルさゆえに、かえって、バッハの作曲術の凄さが、そのバッハの曲というものが、それこそ髪一筋のスキもないほどの完成度で作られているということが、よく分かるのではないかと思います。これだけの素材で、よくもまあここまでのものを創れるものだと、感嘆するのみですが。

バッハ作品の中心は、声楽曲(カンタータ等)。ですが声楽、鍵盤作品とも中心のところでは、共通の概念で作られているとのこと。講座を聴いているうちに、「なるほど…」と納得。
この時代では、音楽に対する概念が現在とは違っており(私は違うとは思いませんが、一般的に)、哲学の範疇に入るもので、主義主張を発表する手段、つまり言語に近いもの。これはルターにおける言葉と音楽の関係に結びついてきます。『音楽』は神の賜物。ルターのコラールの導入によって、音楽が重視され、音楽による説教という価値観が確立。「言葉」と「音楽」両者が統合し、創作過程もシステム的に発展。
創作過程は5分野に分類でき、その1番目がInventio(インヴェンション)。これは作品の基となるテーマのこと。このテーマはインスピレーションのみによって得られるものではなく、もっと事務的な(例えば喜びを表現するなら長調を選ぶなど)もので、職人仕事のように組み立てていくもの。テーマは万人に共有の財産であると考えられました。つまり、題材なので、どのようにも発展でき、誰でも分かち合えることのできる共有財産。

だからといって、その与えられたテーマから、誰もがバッハのように曲を発展させていくことができるかと言えば、そうではないですよね…。
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先日見た、志村ふくみさん(染織「紬織」での人間国宝)の作品集の中に、『沈める寺』と題された紬織振袖がありました。同名のドビュッシーのピアノ曲から連想されたのでしょうか、神秘的な紫色の地に、霧がかったような白の格子が入っており、そこからは『沈める寺』で鳴っている鐘の音が響いてくるようです。振袖なので、さらに幻想的な華やかさが加わっています。

ドビュッシーの『沈める寺』は、ブルターニュの海から浮かび上がる、この世のものとも思えぬ美しい都、ディスのカテドラルが描かれ、志村ふくみさんの『沈める寺』では「夢幻の如く池の底から浮かび上がってくるような」華やかなりし平安、平等院の幻影が重なっている…。当時の人々は平等院鳳凰堂を地上に出現した極楽浄土と捉えていたそう。

ちょうど今日のNHK教育「スーパーピアノレッスン」で、この曲が課題となっていました。
微妙な組み合わせの和音が連なって、次々と音響が浮かび上がり消えていく…。
これを夢幻と言わずして何と言うのでしょう。

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