カテゴリ:イタリアへの旅  2016( 34 )

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 アカデミア美術館で思わず心揺さぶられたティツィアーノ《ピエタ》。
 これはティツィアーノの遺作で、音声ガイドによると、キリストにすがりつくような老人(聖ヒエロニムス)は、ティツィアーノの自画像と思われるとのこと。死を意識し、自らのために描いた作品に、晩年の境地が痛いほどに伝わってきた。さらに感動的なのは、画面右下に描かれている小さな奉納画。これはペストからの救済を祈願しているティツィアーノ本人と息子だ。こうした思いは、今も昔も、そして国が違えども、人が抱く根本的な願いであることに変わりはない。
 こうして、最後は自らの人生に捧げるかのように、自らの人生をも一つの芸術作品とするかのごとく、創作へ向かい、生を終えようとする芸術家のあり方に、首を垂れる思いだ。
 そう、ルネサンス音楽の巨匠、ギョーム・デュファイも晩年のモテット《めでたし天の女王》で、自らの死を意識し「死がやってこようとも、どうかたじろかずにいられますよう、心安らかでいられるよう、神よ守り給え、デュファイを憐れみ賜え」と詩に織り込めた。
この《ピエタ》を見て、そのあまりにも清らかで美しいモテットが脳裏に蘇り、しばらくこの絵の前から離れられなかった。

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 今回、アカデミア美術館で一番観たいと思っていたのが、名高いジョルジョーネの《嵐》。期待に胸膨らませていたが、なんと貸し出し中。
 しかし、《老婆》があった。これを間近で観て、その凄まじい描写力に驚愕。衝撃を受けた。これは美しいとか、綺麗だとかいうレベルのものでない、遙かにそれを超えている。こちらへの迫り方が、尋常ではない。この絵は生きている。
時代を感じさせない現代性があり、天才と呼ばれるのも納得の凄さ。直接見なければ分からなかっただろう、脳裏に焼き付いてしまった。
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 そして、この美術館にはボッスが3点あり(ドメニコ・グリマーニ枢機卿のコレクションだったそうだ)、観れるだろうと期待していたが、新しく改修した場所(企画展)にあったようで、そこまで辿り着かずに時間切れ…。貴重な機会だったのに、最初に観れば良かったと後悔。
 16世紀初頭のヴェネツィアには、ボッスの絵が何点ももたらされ人気を博し、ジョルジョーネもその影響を受けたと考えられているとのこと。(宮下規久郎『ヴェネツィア 美の都の一千年』より)《嵐》の世界も、そう思えば確かに、と思う。

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~AMOR,IO PARTO~
  Dal《Lamento d’Arianna》di Monteverdi,alle《Fonti del pianto》di Vivaldi
~愛の神よ、私は去りゆく~
  モンテヴェルディ《アリアンナの嘆き》からヴィヴァルディ《涙の泉》へ
Lieselot De Wilde,soprano
Fabiano Merlante,tiorba

 ここは、フェニーチェ劇場内のアポロンの間と呼ばれる、ごく小さな広間。テオルボとソプラノのデュオ・リサイタルには最適だった。開演前の舞台には、ファツィオリピアノとテオルボが。今回はピアノの出番はなかったものの、音色を聴いてみたかったと(ファツィオリと聞くと、ヒューイットを思い出す)。ファツィオリが制作されているサチーレはヴェネツィアのすぐ近くだ。

 《AMOR,IO PARTO》は、カッチーニの《Nuove Musiche》(新しい音楽)から。そう、新しい音楽だ!モノディ様式、バロックそしてオペラの始まり...。今回のプログラムは、この新しい音楽スタイルに捧げるとのこと。この新しい音楽は、フィレンツェで産声を上げ、ヨーロッパ諸国に伝わり発展していった。そしてオペラは現在まで生き残っている。
 また、このスタイルはそれぞれの国と時代に合わせた表現で、内容を刷新していく(例えば、ドイツのリートなど)。そうした幅広い視点から組まれたプログラムは、イタリア&イギリスの楽曲を交互に演奏するもので、歌の迷宮をアリアンナ(アリアドネ)の糸が導いていくようなイメージ。
 カッチーニ自身がテノール歌手だったそうで、歌唱については感情の表現に重きを置き、特にテキストを重要視していたとのこと。これは、現在も全く変わりないものだ。
 
 イギリスからは、初期バロックのアルフォンソ・フェッラボスコ(息子)とニコラス・ラニアー、パーセル、そしてブリテンの《聖体のキャロル》まで。このブリテン、バロックの中で聴くと異質な感じだが(でも素敵)、それは幻想的で印象に残っている。
 イタリアからはカッチーニ、メールラ、モンテヴェルディ、ヴィヴァルディという錚々たる顔ぶれ。メールラの《Folle,e ben che si crede》(そんな風に思うなんて)は愛らしくて好きな曲。しかしカッチーニとモンテヴェルディは、morire(死)そして苦しみといった歌詞が初めから満載で、濃い情念のほとばしりに「うわー」と思ってしまう。いえ、やはり凄いのですけれど…。
 ヴェネツィア生まれのカプスペルガーのリュート曲は、歯切れのよいトッカータで楽しかった。

 アンコールは、カッチーニ《アマリリ麗し》。このプログラムには、まさにふさわしい幕切れ。この馴染み深い、美しいメロディーと、初めてのイタリアの体験が重なり、思わず目頭が熱くなった。私のイタリアのオペラへの旅も、これで閉幕だ。
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 ティツィアーノ《ペーザロの祭壇画》、フラーリ聖堂にて。

 イタリア・ルネサンスの作家、アリオストが『狂えるオルランド』で、古代ギリシャの画家達を「その名声は、たとえクロト(運命の女神)の手によってその肉体が滅び去り、次いでまたその作品も消えうせようとも、いつまでも消えることなく、人々が読み書きを行う限り、物書き達の手によって、この世に命を保つであろう」と書いている。
 それは、「また当代に生きたる者や、今もなお生ある者たち」とダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロと並んで「カドーレの誉れティツィアーノ」も同様と、その作品の素晴らしさを称えている。
 ティツィアーノはアリオストと交流があり、肖像画も描いている。この肖像画もアリオストの人となりが伝わるような、魅力的な描き方だ。
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 ティツィアーノはドロミティのピエーヴェ・ディ・カドーレ生まれ。ヴェネツィアのベッリーニ工房にて学び、ジョルジョーネの助手を経て、このフラーリ聖堂の《聖母被昇天》を制作し名声を得た。
 そして、この聖堂にはティツィアーノが埋葬されている。記念碑には《聖母被昇天》が刻まれており、やはり、なんといってもこれがティツィアーノの代表作だ。その祭壇画は、聖堂の窓から差し込む光の中に浮かび上がり、まるで現実の出来事のようにリアルな感触を与えてくれる。


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 主祭壇にティツィアーノ《聖母被昇天》(画面奥)を掲げるこの聖堂は、壮麗な絵画や彫刻に彩られている。ゴシック様式の聖歌隊席も素晴らしく、祭壇画のティツィアーノやベッリーニ、ヴィヴァリーニ、そしてカノーヴァの墓碑などを眺めていると、時が経つのを忘れてしまう。
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 そして、この聖堂内部から少し外れた参事会室には、ヴェネツィア絵画の祖パオロ・ヴェネツィアーノによる《ダンドロの半円飾り》がある。パオロは、アカデミア美術館に《聖母の戴冠》、サン・マルコ大聖堂に《フェリアーレ祭壇画》があるが、優美なロレンツィオ・ヴェネツィアーノに比べると、ビザンツの影響がさらに強く感じられ、古風な印象。燃え立つような金色に浮き上がる色彩の華やかさに、目を奪われてしまう。
 この聖堂だけでも、ヴェネツィア絵画の流れを目の当たりにできるのが嬉しい。


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サン・マルコ大聖堂のバルコニーから

 先日、テレビ東京「美の巨人たち」でサン・マルコ広場が紹介されていた。
 友人が「見た?世界で一番美しい広場だと、何度も言っていたのが印象的で...。あなたも何度か通ったのかしらと思っていたのよ」と嬉しそうに伝えてくれた。
 そう、4日間の滞在で、何度ここを往復しただろう。宿から広場を通って劇場や美術館、教会へ繰り出し、また広場を通って宿に帰ってくる日々。昼間の観光客で活気に満ちた広場から、深夜の落ち着いてしっとりした広場まで体感し、自分がここにいるなんて、今思えば夢のようだった。
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 先月公開された映画『インフェルノ』でも、ほんの少しサン・マルコ広場が登場。サン・マルコ大聖堂のファザードにある青銅の馬が、謎かけの一つになっていた。コンスタンティノープルから略奪してきた彫刻で、こちらはレプリカ。本物は内部の博物館で見ることができる。ヘレニズム時代のものだが、本物の馬と見紛うばかりだ。
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 このときは、広場がアックア・アルタ。9月にもあるんだな、と。この程度で良かったけれど、サン・マルコ大聖堂の前には、歩行専用の高台通路がズラッと並べられ、私もそこを通過することとなった。

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 この祭壇画の聖母マリアを見て、「あ、観音様だ」と思ってしまった。ビザンツ様式の名残がそう感じさせるのだろうが、なんと東洋的なのだろう。光背(頭光)や宝冠、頭部を覆うベールと体にフィットする衣の感じが、観音様そのものだ。西洋と東洋は、やはりあるところで繋がっている。絵画においても、歴史を遡れば遡るほど、そう思えてならない。
 それにしても、650年前のものとは信じられないほどの優美さに、ただ茫然と見入ってしまう。
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 これはアカデミア美術館の初期ヴェネツィア派(14世紀後半)の間にある、ロレンツィオ・ヴェネツィアーノ《リオン祭壇画》。ヴェネツィア絵画の祖である、パオロ・ヴェネツィアーノを継承し、10点近い作品が現存しているとのこと(宮下規久郎著『ヴェネツィア 美の都の一千年』より)。ロレンツィオは、パオロよりも人物描写が自然でたおやか、表現的にも洗練されている。そして、この華やかな色彩が、いかにもヴェネツィアらしい。素敵だ…。

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 今回のヴェネツィア訪問での心残りが、スキアヴォーニ同信会館とコッレール美術館にあるカルパッチョを見れなかったこと。私はカルパッチョが好き。ラスキンが「細部におけるファン・エイク、色彩におけるティツィアーノ」と称えたのもよく分かる。
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 アカデミア美術館にある《リアルト橋における聖十字架の遺物の奇跡》も、いくら見ていても飽きない。当時のヴェネツィアの風俗が手に取るように伝わってくるが、コンパニア・デッラ・カルツェ(直訳するとタイツ・クラブ。二十歳前の若者で構成され、クラブごとにタイツが違うとのこと。塩野七見さんの著書より)と思われる、当時流行の装いをした青年たちを見るのも、また楽しい。
 この腰まで届く金髪に大胆な柄違いのタイツ!カルパッチョの描く艶やかな装いの青年は、なぜか後ろ姿が多い。彼の目の前にいる人物たちも、一人ひとりが丁寧に描き分けられていて、面白い。視線はバラバラ、彼らは一体どこを見ているのだろう?
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こちらもやっぱり後ろ姿。お尻のラインを見せるのが大事なよう(^^; スタイルがいいですね。こちらの雰囲気はエキゾチック。
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 こんな柄(レースのホーザリー)、今ちょうど流行っている気がする。ちょうど足首のあたりが、アンクレットならぬバングルのような感じのところも。

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  ヴェネツィアの宿は、サン・マルコ広場の近く。
 ヴェネツィアの夜は静かだ。時々、かすかにサン・マルコ広場で奏でられているバンドミュージックが流れてくる程度で、それも0時をまわると営業終了となる。この静けさのおかげで、夜はぐっすり良眠(ローマの宿がテルミニ駅に近く騒がしかったので、よけいにありがたい)。
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 朝、目覚めて窓を開けてみると、朝日を浴びてそびえる鐘楼が見える。ヴェネツィアのシンボルの一つである、この鐘楼をここから見ることができるなんて、なんと幸せなのだろう。ひととき、ヴェネツィア人になったような...。
 宿は直接運河と繋がっていて、裏手にもう一つ入口がある感じ。ここでゴンドラが行きかうのを眺めていると、本当に別世界に迷い込んだよう。
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 この辺りは運河が通っていて、狭い路地も入り混じり、すぐ迷子になってしまいそうだが、日が暮れるとそれは幻想的。泊まってみたいと思わせる魅力的なアルベルゴがあちこちにあって、いい雰囲気だ。

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 カルパッチョを見るのは楽しい。ヴィヴァルディを聴いたサン・ヴィダル教会では祭壇画を、そしてここヴァネツィアのアカデミア美術館には《聖ウルスラ伝》の連作が並ぶ展示室があり、それは見応えがある。
 カルパッチョの醍醐味は、なんといっても細部の描写にある。特に人物については、一人ひとりに実際のモデルがいたのではないかと思わせるほどのリアリティで、当時の風俗が手に取るように伝わってくるのが面白い。
 今回、アカデミア美術館を訪れた際には、午後の遅い時間帯だったためかガラ空きで、カルパッチョも独り占め。
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 「カルパッチョ」という前菜でお馴染みのメニューがあるが、もともとは生の牛肉を薄切りにしたものだそう。カルパッチョの絵画の赤を思い起こさせるところから名付けられたそうだが、その絵を見ると、確かに赤が特徴的なアクセントとなっていることを実感。赤でも様々な色合いがあり、光の当たり具合によって微妙に色彩を使い分けるところなどは、さすがに素晴らしいなと。
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 《聖ウルスラ伝》の「イングランド使節の到着」から。青年の肩に届くほどの金髪が陽に輝いて、鮮やかだ。その衣装や胸飾りもお洒落、タイツが左右色違いなのはもちろんで、流行最先端ではないかと(^^;) もっと派手な装い(青年の華麗な装いのバリエーション)も、他の絵には描かれていて、「へぇ~こんなの着ていたのか」と思わず見入ってしまう。
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 こちらも金髪青年。背中を向けているポーズが、なんとも粋ではないか。この帽子のデザインといったら!正面から見たらどんな青年かなぁと興味をそそられる。カルパッチョのセンスが生き生きと伝わってくる名画だ。

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