カテゴリ:opera( 51 )

人生の大イベントを終えまして、ようやく日常が戻ってきました(^-^;)
ゆっくりと音楽を聴く余裕も出てきて、ホッとしています。

e0036980_010369.jpg今、目に留まって聴いているのは、ガランチャによるアルバム〈ベルカント〉。
「ベルカント=美しい声」とはよく言ったもの、この手(ベルカントオペラ)の音楽は、四の五の言わず、美声が与えてくれる快楽に身を委ねることが幸せ…。
ベルカントものを聴くのが久し振りでもあり、「ああ、綺麗だな…」と素直に感じます。
まず声ありき、オケは声に奉仕するために奏でるといったイメージですし、人間の声とは、こんなにも惹きつけられる美しさがあるのだと認識されられます。
ガランチャはモーツァルトとオッフェンバックで実際に聴いたことがありますが、ベルカントオペラもぴったり。
ロッシーニやベッリーニの男性役もビジュアル的に凛々しく、舞台映えすることでしょう。

このアルバムには、ドニゼッティのメジャーではない作品《カレの包囲》《ドム・セバスティアン、ポルトガルの王》もあり、選曲に一ひねりの印象(音楽的には「聴いたことあるような…」)。
《カレの包囲》第2幕の二重唱は、ソプラノとメゾによる美声の競演、これぞベルカントといった感。
アルバムで取り上げられている曲の中で、実際に舞台で観てみたいのは《マリア・ストゥアルダ》のエリザベス1世、ヒロインの敵役をどのようにきりっと演じてくれるかしらと、想像が膨らみます。
[PR]
13日の公演を鑑賞。
一昨年の研修所公演《アルバート・ヘリング》は、質の高い舞台に感心しましたが、今回の公演でも立派な成果を見せてくれました。十分に音楽・演技とも練り上げられています。
見事だったのはマダム・ド・クロワッシー(修道院長)の壮絶な死の場面、「死の恐怖」が舞台一杯に迫ってきました。

このオペラは宗教的(カトリック)なテーマを扱っているので、捉えにくい部分があります。重要なキーワードである、「殉教」という概念もあまり馴染みが無い。
そして純白(blanc)のブランシュ(blanche)…、生きることにも、死ぬことにも、あらゆるものに恐怖を抱いている主人公のブランシュ、恐怖から逃れるために修道院に入ったものの、その世界からも逃げだしてしまう哀れなブランシュ。

そのブランシュが、最後には恐怖を乗り越えて、殉教のためにギロチンへ向かう。
ブランシュがこのように穏やかに、そして自ら「死」へ向かうことができたのは何故?
それはオペラの中でははっきりと明示されていません。

これは、受け手である私達が考えなさいということでしょうか…。

(私個人としては、最後の断頭台の場面で歌われる「サルヴェ・レジーナ」(めでたし女王)の対訳を、ぜひ付けてほしかった。このマリア賛歌と、断頭台の悲痛さが合い交わるところが、とても感動的だと思うからです。
〈キリストの臨終の苦しみ〉が修道名である、ブランシュの最後の歌は「栄光は父なる主に、死から蘇えられたキリストに、永遠に、永遠に…」)
[PR]
4日の公演を鑑賞。前日に映画『ブーリン家の姉妹』を観に行きまして、当時の豪華な衣装を脳裏にインプット(朝日では「豪華な衣装に興味のある方にはお勧めする」という酷評…)。2年前の来日公演《アンナ・ボレーナ》の衣装は「うーん…」という印象でしたが、その当時に勝るとも劣らない衣装&装置ができるのは、今やMETぐらいでしょうか。
今回の《ロベルト・デヴェリュー》は演奏会形式ということで、そうした視覚や演出に惑わされることなく(!?)、音楽主体のベルカント・オペラを味わうことができました。

このオペラの序曲はドラマチックで迫力があり、幕開けの期待に満ちた好きな曲なのですが、オケは序曲から停滞気味な演奏で少々不安に。徐々に上り調子になりましたが。イタリアのオペラ劇場のオケだと、また本場のノリで違うのかも、と思ってみたり…。4年前に同オケによる、モーツァルトのコジを聴いたときには、これはもう「お家芸」だ…と、うっとりした気持ちは忘れられませんが。
メインはグルベローヴァ、今だからこそ表現できるといった、気迫に満ちた歌唱で女王エリザベッタを演じていました。全盛期の歌唱と比べると、もちろんほつれは所々ありますが、演じるエリザベッタと実際の本人が重なって見えるような生々しさには、凄みを感じました。
これはキャリアを重ねてきた大ベテランの味わい、若手歌手には望み得ない領域でしょう。

音楽雑誌掲載のグルベローヴァへのインタビューによると、興味のある作品はまだいくつもあるそうで、この意欲は本当に凄いものだと頭が下がります。どこまで行ってもゴールはない、一流であることのお手本のような姿です。ファンが多いのは、こうしたお人柄にもよるのでしょうね。
[PR]
間が空いてしまいましたが…(温泉旅行に行っておりまして)、感想の続きを。

今回の公演、お目当てはデッカーの演出でした。2004年ザルツ音楽祭で観た彼の演出による《死の都》がとても良かったからです。変な読み替えや混乱させるような付け足しをせず、作品のコアとなる部分(特に心理面)を浮き出させようとするスタイルで、結果、全体的には抽象的なものになっていると思います。
《死の都》、美術的には色彩感が目に美しく、本当に夢のようで…。忘れられない舞台でした。

そのデッカースタイル、その《死の都》からほとんど変化は感じられず(空間の使い方も同様、《死の都》のヒロイン役デノケも最後はスキンヘッド&白い下着姿でした…)、少々マンネリ感もないではありませんが、私はこうしたすっきりモダン&色彩感の強い演出は好みの部類。

でも、このオペラは異なる場面の同時進行という作りになっているので、その部分を視覚化するという部分では難しかったのかなと…。
オケですが、もっと凄みを出して迫ってきてほしかったです。

なんにせよ、こうした作品に接する機会はあまりないので、貴重な体験でした。
[PR]
仕事明けで眠い目をこすりこすり向かった本日の公演。1970年に自ら命を絶ったドイツの作曲家、ツィンマーマンによるオペラ《軍人たち》の鑑賞です。

芸術はその時代を映す鏡でもありますが、このオペラも例外ではなく、当時の思想と音楽との照らし合わせが行なわれています。音楽的には、いわゆる「現代音楽」となって表現され、本人曰く「時間の球構造」の音楽化を試みているそうですが…。
ベルクソンなどの理論を知っているならともかく、こうした哲学的なことは私も無知なので、「過去・現在・未来を同時に内包する心理的な時間を想定」と言われても(@0@)となってしまう…。
…勉強します。

実際のツィンマーマンの音楽、イメージ通りの「現代音楽」の枠内。どこにオリジナリティがあるのか、私にはよく分からず…。今はありとあらゆる音楽が溢れている時代です。
でも、その当時はもっと斬新に捉えられたことでしょう。初演より43年、時代のスピードはどんどん上がってきていますので、この作品、もう「現代」とは言えなくなってきているように感じます。

永井荷風によるオペラ雑感に、「ワグネルのオペラは音楽以上の使命を帯びたもの…」とありましたが、ツィンマーマンも表現しようとした「使命」、その達成が叶わずに、理想と現実の間で引き裂かれて、自ら命を絶ったのでしょうか…。
[PR]
本日マチネの鑑賞(やはりシルバー世代が圧倒的に多い)。鑑賞前に友人と劇場近くの蕎麦屋「かわしま」でランチ、この界隈で一番美味しい蕎麦だそうですが、うん、なるほど美味!!その後、笹塚へ移動。天然酵母のパンを焼いているカフェ・トゥルナージュでコーヒーを飲みつつ語らいの時を過ごしましたが、ゆっくりしすぎて開演ギリギリに劇場へ駆け込むことに…。

このオペラの名前は知られていますが、上演される機会の少ない作品。数年前に首都オペラの上演に接して以来の鑑賞です。この時はあまりピンとこなくて、時々うつらうつらという状態、ほとんど内容把握ができず…。今回はリベンジ!と思ったのですが、やはり今回も前半は睡魔に襲われてしまいました。どうやら私とは相性の悪い作品のよう。

というわけで、睡魔が去ってからの鑑賞になってしまいましたが、今回は楽しませてもらいました。まず、演出が素直なもので好感度大。今となっては貴重なオーソドックス路線です。下手な小細工を仕掛けず、しごく「まとも」にこのオペラの世界を表現、観客にも内容が伝わってくる、ということは、この作品は現代にも通じる普遍性を備えているのでしょう。ただ、衣装のセンスが…。意図は分かるのですが、もう少し垢抜けた感じを出せないものでしょうか。

オケ、狼谷のシーンではかなりの迫力でした。ダイナミックな演出効果と相まって、冒険アトラクションを体験しているよう(お金をかけてます)。こうした気分を味わえるとは予想外。アガーテ役のハッラーが、芯の通った美声で聞き応えがありました。
[PR]
今年のオペラ始めは古楽器アンサンブル「アントネッロ」の演奏による《オルフェオ》。オリジナリティ溢れる、いかにも「アントネッロ」らしい《オルフェオ》。好みが分かれるかもしれませんが、私はとても楽しめました。この作品の凄さを、改めて感じることができ良かった!
バロックオペラは下手すると単調に聴こえてしまうと思いますが、工夫を凝らしてアンサンブルを作り上げており、音楽的に飽きさせません。躍動感溢れるスタイルで「乗りの良さ」が前面に出ていました。これだけ見事にモンテヴェルディの世界を表現できるとは、嬉しさ一杯。
生々しい感情とエネルギーが、音楽を通じて表現される、やはりこれはバロックの世界ですね。


(今日、この作品を聴いていて、所々エキソジックな箇所を感じて「あれっ?」と思ったのですが、パンフレットに「アラブ趣味のスパイスが音階などに随所に使われ、異国趣味がかなり流行していたことが予想される」とありました。納得。)
[PR]
爽やかな秋晴れ、自然を感じに山へ行きたい季節ですが、渋谷の雑踏を掻き分けNHKホールへ。できれば訪れたくないホールの一つですが、文句を言っても仕方ありません。

《トリスタンとイゾルデ》は好んで聴く作品ではなく、どちらかと言えば苦手。初めて前奏曲を聴いた10代の時、「こうした音楽を官能的な音楽と言うんだろうなぁ」と思ったものです。それは私にとって心地よいものではなく、なにかしら気味の悪いものが迫ってくるような音の流れで、覆いかぶさられ窒息させられそうになるのです。このオペラのテーマである、官能と結びついた「死」を強く感じるからかもしれません。救済のための死でもなく、愛のための死とも違うような気がする…。初めから死が前提にある。それがダメなのでしょう。

でも、夏にラトル&ベルリンフィル《ワルキューレ》を聴いたので、比べるわけではありませんが、こちらのワーグナーはどうなのかな、と不純な動機で出かけたわけです。
オケは安定感があり、滑らかでフォルムの整った、端正な演奏。熟れた演奏ですが、予定調和的、決まられた道の安全運転という感じで、強く訴えかけてくるものがない。こちらに生々しい感情が迫ってこない=心が揺さぶられない。私にとっては、きれいなだけで終わってしまったという印象です。
そんなに聴きこんでいる作品ではないので(苦手)、内容も熟知しているわけでなく、通の方には申し訳ないような感想ですが、お許し下さい。
[PR]
今週水曜の公演を鑑賞。上演されることの少ないオペラですので、この先、まず実演に接する機会はないだろうと思い、劇場へ。

何の予習もなく、このオペラを初めて観ることになったのですが、「たわいもない西部劇オペラ」などではない、普遍性のある深いテーマを持った作品だと感じました。舞台はゴールドラッシュ時代のカリフォルニアですが、そこに根本的なテーマがあるわけではない。今回の演出は、舞台を現代に置き換えていましたが、テーマに対しての焦点はぶれていなかった。ですので、私にとって違和感は全くありませんでした。

このオペラ、私の中ではスタインベック「怒りの葡萄」と重なってみえました。恐慌のため、貧困にあえぐ農民一家が故郷を捨て、「楽園」と思い描いていたカリフォルニアへ向かったものの、そこはまるで地獄のよう、さらなる苦しみが続いていく。いったい、何処に行けば楽園に辿り着けるのだろう…。このオペラにも、楽園を思い描いてその場所へきたものの、どうにもならない現実に、やるせない思いを抱いている人々が描かれています。今回の演出はその部分に重きを置いたようでした。
最後、愛し合うミニーとジョンソンが結ばれ、「さらば、カリフォルニア…」と遠くの地へ去っていく。楽園=カリフォルニアを捨てて新たな地へと向かう二人。今度こそ、本当の楽園に辿り着けるのでしょうか。そして取り残された人々のクローズアップ、単なるハッピーエンドとは異なる、重い余韻が残りました。

このオペラ、メトロポリタン歌劇場(アメリカ)のために書き下ろした作品ですが、旧約聖書のくだりが出てきたり、楽園を思い起こさせるところは、当然のことながら、やはりアメリカもクリスチャンの国だなぁという印象を受けました。

このオペラがなかなか上演されないのは、インパクトのある独立したアリアがないことが、理由の一つとして挙げられるでしょうか。そしてこのオペラ、アリアで聴かせるというよりも、切れ目なく音楽が流れていくのですが、その流れがスムーズでないような気がします。プッチーニ特有の叙情的な音楽が続いていたかと思うと、突然その流れが切り替わり、いきなり刺々しい押しの強い音楽になる。モーツァルトのような、鮮やかな切り替わりでななく、なんだか唐突。

オケは、とっても良かったです。久々のプッチーニ、堪能しました。
[PR]
e0036980_23103658.jpg
今日は夜勤を終え、そのまま徹夜状態で『清教徒』鑑賞に。さいたま副都心にある映画館でのアンコール上映です。

この上演、ネトレプコの魅力が全開。今、乗りに乗っているソプラノであることは間違いないでしょうね。そのスターぶりにノックアウトされました。素晴らしかった!

もう眠くて仕方ないので、また感想は後ほど載せます…。
[PR]