カテゴリ:opera( 50 )

公演最終日の鑑賞でした。
オペラに興味があって、今日がオペラ初体験の同僚と一緒。ありがたいことに同僚は数ヶ月前から大変楽しみにしていてくれて、期待に胸膨らませての鑑賞だったようです。

この作品は、ワーグナーの中ではコンパクトですし、音楽も分かりやすい。男性向け(同僚は男性)でもあると思って推薦。結果、「カッコいい音楽だ!やはり生は迫力が違う。次はリングを見てみたい」と、だいぶ気に入ってくれたようです。初めてのオペラでつまらない思いをすると、後へは続かないので、良かった良かった。一安心。

私の感想はというと、序曲の出だしから金管が不調、音が揃っていなかったので、「これは《さまよえるオランダ人》ならぬ《さまよえるオーケストラ》では…」と不安モードに(こんな言い方で申し訳ないですが)。
後半その不安は解消されましたが、不満は残りました。演出はセンスが良いとは言えませんが、この演奏には合っていたような。変にゆがめてしまう演出よりはいいと思います。今時珍しいほどオーソドックスでした。
エリック役のヴォトリッヒが印象的、切々とした歌がとても良かった!私がゼンタならば、迷わずオランダ人よりこちらに身を捧げます(^-^;)

この作品について思うことは、その時代=ロマン派の思想の流れにあるのかもしれませんが、「女性の自己犠牲による救済」というテーマが、現代にあってはどうもピンとこない気が。つまり、古さを感じてしまいます。まあ、ワーグナーの作品はこうしたテーマのものが多いですが。
ワーグナーの初期の作品なので、音楽的には前の時代を引き摺っているような感じを受けますが(以前聴いたマルシュナー《吸血鬼》が浮かびます)、やはり音楽はワーグナーのもの。十分人を惹きつける力があるものだと思っています。
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昨日にブリテン《アルバート・ヘリング》を鑑賞。
新国立劇場オペラ研修所の公演ですが、とても研修公演とは思えない質の高さでした。本国でも、なかなか上演されないような、マイナーなオペラだと思うのですが、こうしたものを取り上げたところにセンスの良さを感じますし、結果、見事な成果を挙げていたと思います。チームワークの勝利といったところでしょうか。音楽劇として、キャストの動きもよく考えられており、演出が冴えてました。舞台美術、衣装もこのオペラにマッチしていて、遊び心のある、なかなか洒落たもの。歌のアンサンブルもまとまっていて、よく練られたあとが窺えました。

そして「やっぱり、ブリテンのオペラはいい作品だ」というのが、私の感想です。ブリテンの最も有名なオペラ《ピーター・グライムズ》は、大変好きな作品ですが、楽しめるというよりも、心の奥底へ突き刺さって、痛みを覚えるような、重く圧し掛かるものがあります。ブリテンの視点というのは、弱者への意識というか、集団へ帰属しようと思っても、そこから外れてしまう、マイノリティーへの共感があるような気がして、そこに惹かれます。
この《アルバート・ヘリング》は、青年の成長物語といった趣。少々皮肉と風刺を織り交ぜながら、軽快なタッチで描かれた短編小説のよう。その後味は、爽やか。そして心にポッと灯火が点ったような暖かさが残りました。

ブリテンの音楽、悪いわけがありません(私は好き)。オケも良かったと思います。心に残ったのが、主人公のアルバートが、自分の人生を求める心境を歌う曲。「希う心」がそのまま音楽になっています、共感。
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ここのところあれこれとありまして、なかなか書き込めず、ほぼ一ヶ月振りの投稿となりました。舞台&音楽鑑賞は今年に入り《アンナ・ボレーナ》、J.S.バッハ《チェンバロ協奏曲》、ドゥアト《バッハへのオマージュ》、そして映画「マリー・アントワネット」(アントワネットやヴェルサイユには惹かれませんが、ラモーのオペラシーンがあるので…。アントワネットはグルックとの結びつきが強いのですが、こちらは全く出てきません。グルックはヴェルサイユというイメージではないのでしょう。ラモーに対抗した、ルソーのオペラも登場)

昨日は二期会の公演へ。若手中心のニューウェーブ公演(バロックオペラ)を除くと、4年ほど前の《ニュルンベルクのマイスタージンガー》以来でしょうか。

《ダフネ》はシュトラウスの晩年に作られた、前衛的ではないものの、円熟さを感じさせる作品。私はシュトラウスの作品についての知識はあまりありませんし、作品も特定のオペラ以外はほとんど聴いていませんが…。
私の感じ方ですが、シュトラウスのオペラは後のものになればなるほどに、時代を遡って昔に戻っていくようです。時代背景とも関係しているのでしょうが、時代の先端、前衛を追い求めるのではなく、周りと調和しつつ、自分の世界を完成させていくような円満さを感じます。特に、最後のオペラ《カプリッチョ》は、本人の遺言的な作品。心に響くメッセージがストレートに伝わってくる、シュトラウスのオペラの中では最も好きな作品です。このオペラから作られたチェンバロ組曲、スコア欲しいです(弾きたい)…。でも見つからず。

今回の公演ですが、演奏については、シュトラウスの円熟さを表現し、このオペラの魅力を引き出していたようには、あまり感じられませんでした。波のうねりのように、大きくこちらに寄せてきたかと思うと、すーっと退いて行く…、そうしたダイナミックなうねりが無い。まるで津波のように押し寄せてくるばかり。これではうるさいだけになってしまいます。
シュトラウスのオペラで忘れられないのは、4年前にコンロン指揮で聴いた、パリオペラ座管の《サロメ》。うねりが素晴らしく、目から鱗でした。引き際のピアニッシモの響き…、これを日常的に聴いている人たちが本当にうらやましかったです。

そしてダンス、もっと身体自身の動きで勝負して欲しかったと思います(道具を使わず)。下半身の動きがあまり無いのは(メインダンサーも)、動きが限定=表現が限定されてしまう印象。ダンスでの身体表現には、やれることがもっとたくさんあるはずです。そして音楽との相関性が感じられない、つまり、音楽はシュトラウスでなくても、なんでもいいのでしょう。
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まる(ネコ)は今日、足を捻挫してしまい病院へ駆け込みました。ドクターから、「太りすぎ。3キロが適正なのに、4キロ以上。痩せないと駄目」とお叱りを受けました。そんなに太っているとは、全く感じていなかったのでショック。食事もドライフードでカロリー控えめにしていたつもりなのに…。今日から食事制限開始です。急に減らすとよくないそうなので、徐々に。かわいそうなことをしました。足はひどくなさそうなので、ホッとしています。

まるも、やっと落ち着いて眠りに。その後、NHKでヴェネツィアの紹介番組が放映されていたので、見ていました。ちょっとした旅行気分に(ここには行ったことが無いので嬉しい)。
繁栄を誇った軌跡を、その迷宮のような都市風景を織り交ぜながらの解説で、1000年にもわたる歴史に想いを馳せることができました。ラグーナの広がりも紹介されていましたが、華麗なヴェネツィアの都市とは対称的な静けさを見せ、なんとも不思議な所です。

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←一昨年あたりに出版されたものですが、ゴルドーニについても触れられています。昨年ハイドン《月の世界》の台本作者として接し、印象深かったのですが、この文献によると、軽薄でただ当たりを取りたい一心で書き飛ばしていく傾向の作家とみなされています。




「啓蒙主義時代のフランスとは全く相容れないけれども、同時代のヴェネツィアの人々の心のありようを代表するものといってよい。であるからこそ、彼の役割はまさにペンにおけるカナレットだったのである。彼は18世紀ヴェネツィア社会を克明にスケッチした記録者で、しかも鋭い観察眼で見抜いていた。…しかし彼には18世紀のヴェネツィアで確立した時代の精神というものがまるで存在しなかった。気まぐれな民衆のどたばた傾向しか目に入らなかった。そのため祖国を失い、フランス宮廷の寄生虫で終わらなければならなかった。リアルト橋のたもとのゴルドー二広場に立つ像は、その孤立を象徴している。」
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今年はコルンゴルトが亡くなってちょうど50年目とのこと(1957年没)。10年前は生誕100周年だったのですが。
写真は2004年ザルツブルグでの《死の都》の舞台(綺麗に載せられずごめんなさい)。デッカーの演出が大変よくできたもので、忘れられない公演の1つです。デノケのマリー=マリエッタ、凄みの利いた熱唱、素晴らしいの一言でした。私はコルンゴルトが、特にこのオペラが好きで(このオペラの中の《リュートの歌》、名曲)。これを聴くためだけにザルツまで行ったようなものでした…。
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北とぴあでの鑑賞でした。
このオペラ、まずゴルドーニの台本がすごいと思いました。名前は有名ですが、実際の作品には初めて接したことになります、度肝を抜かれました。この笑いのセンスというか、世界の捉え方、モリエールと合い通じるものがあるのではないかと思います。イタリア演劇の改革者というのも、深くうなづけました。
この《月の世界》、コメディア・デラルテの精神ー世界のパロディ化、価値観がひっくり返るというところを、もうそのまま表現していますね。来年は生誕300年にあたり、日本でもゴルドーニ関連のイベントが企画されているとのこと、ぜひ他の作品にも接してみたいと思います。

この機知に富んだ台詞に付けられたハイドンの音楽が、これまたぴったりはまっていて楽しい。モーツァルトの師とも言えるハイドン。モーツァルトのように、人の心の奥底までも、見てはならないようなものまで表現してしまう深みは感じられないのですが(時代背景もあるでしょうが、もしくは私にハイドンの音楽が分かっていないからそう感じるのか)、とても上質なものを感じます。そんなにかしこまっていなくて、居心地の良い、もてなし上手のレストランに来た感じ。作品として、よくできていると感心しました。

演出は、この作品の楽しさを変な方向へゆがめてはいないようでしたが(あの悪夢のような《セルセ》を思い出します)、流行を追った、安易な方法で作品の印象までもチープにしてほしくありません。この作品は演奏会形式でも、十分に楽しさが伝わるものと思いました。

オケは、以前のラモーではフランス・ロココの雰囲気が感じられませんでしたが、今回は演奏しやすい曲だったのでしょうか、悪くはない印象です。キビキビとした溌剌さ、鋭さが加わると、ピリッと薬味が効いて更にブッファの醍醐味を味わえたように思えます。歌手の方、森さんは守ってあげたくなるような可憐さですね、ひたむきな歌唱が心に残りました。野々下さんは安定した歌唱、もっとも重要なブオナフェーデ役のベッティーニ、芸達者振りに拍手です。

こうした公演を、よくまあ北区独自で企画運営していると感心。こうした内容のもの、新国立劇場も見習ってほしい…。
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今日は仕事が終わった後に「いなごの会」。同僚と囲碁、まだ全然ダメです…。対局まではまだまだ遠い道のり、でも楽しい。

ラモー《レ・パラダン》を観た次の日、ペルゴレーシ《スターバト・マーテル》を聴きに行ったのですが、この偶然の繋がりに、ブフォン論争が浮かんでしまい、なんだか時を越えた運命の悪戯のようなものを感じてしまいました。私が勝手に思い込んでいるだけですが…。

いったいラモーは《レ・パラダン》を通して、何を言わんとしていたのだろう、何を表現したかったのだろう…、それが私の中で曖昧模糊としています。《レ・パラダン》が上演されたのはブフォン論争が吹き荒れた後なので、それからの影響も考えられるのでしょうが…。確かにイタリア・ブッファの形式に似ています、そのパロディということなのでしょうか。そして最後に歌われる「自由バンザイ」、王侯貴族から市民へとパワーが移り変わっていく流れが感じられるようにも思えます。

なんだか、あれこれと考えてしまいました。その当時にどう受け取られたのかということは、今となってはどうでもいいことかもしれません。重要なのは、ラモーの音楽が現代でもバッハやヘンデル、モーツァルトなどと同じように生き続けており、現在でも大いに楽しむことができるということなのでしょう。今回の《レ・パラダン》のような素晴らしい舞台が上演されたことを、ラモーはきっとあの世で喜んでいるでしょう。
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昨日はそんな1日でした。これから仕事なので、感想はあれこれと書けないのだけど…。

来月10日までのベルギー王立美術館展、フランドル・バロックの作品からクノップフらの象徴派、そしてマグリッドなどのシュルレアリスム作品まで、ほぼ400年の歴史が展望できるものでした。有名どころの画家も多く、ベルギーの歴史の重みも感じることができる、見ごたえ十分のもの。展示の解説や音声ガイドもこれまでになく充実したものとなっており、驚きました。特に音声ガイド、画像も観れる!すごい進化。
おまけで嬉しかったのは、音声ガイドのBGMが、ガブリエリ、J.S.バッハ、テレマンらバロックづくし。バロック音楽やオペラに造詣の深い朝岡聡さんの選曲によるもので、作曲家、演奏家、CDタイトル&レーベルまで詳細に案内がありました。ガブリエリのカンツォーナ、いいですね。初期バロックも聴いてみようかな(^0^)♪

そして時間ギリギリで《レ・パラダン》へ。
私にとっては今年のオペラ鑑賞、最大のハイライト。海外まで行かず日本で観れる、これが一番嬉しい。でも日本で馴染みがあるとはとても言えないラモーのオペラ。ちょっと不安も抱えつつの鑑賞でした。

私にとってはそれなりにもう身に馴染んでいるラモーの曲、でも斬新な転調部分(アンセルムが登場するシーンや、復讐の神のシーン)にはハッとさせられ、多彩なオーケストレーション(楽器の多彩さは目を見張るばかり)に、改めてアバンギャルドさを感じ…。そしてダンサブル、ラモーの魅力が詰まっていました。でも、これだけがラモーの魅力の全てでは無いけど…。

あと1日観ます。この時はクリスティのすぐそばの席。
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気がついてみると、この公演自体の感想が抜けておりました…。
このオペラ、実のタイトルは《イダマンテ》ではと思えるほど、藤村さんの存在が際立っておりました(やはりというべきか…)。数年前の《カルメン》では、クールで知的なカルメン像を作り上げており、それが、あるべき姿のカルメンであるかどうかは別として、この方の個性が打ち出されており、興味深かったです。世界の檜舞台でも遜色なく主役級を担うことのできるメゾでいらっしゃるので、いつもスズキやブランゲーネ、フリッカではと思いますし、また日本でいろいろなものを歌っていただきたいです。

タイトルロールの方ですが、ちょっとパワー不足。このオペラの要なのですが、今回は完全に息子に持っていかれてしまいました。特に2幕の大アリア「嵐の海からは逃れたものの」は、切迫した心理状態が、モーツァルトらしいパッセージで展開されていく見事な曲で、ドラマの進行上でも重要な部分だと思うのですが、それが伝わってこないのは残念でした。
このオペラ、本当に音楽そのものによって心理的ドラマが展開していくので、演奏がそれをきっちり伝えてくれないと、なかなか見る側に伝わっていかないのではと思います。

そうした意味で、今回の演出は音楽を妨げず、こちらを混乱させないものでした。だからといってそうしたものがベストかなのかと言えば、そうでもないとは思いますが…。
ちょうどノイエンフェルスの演出したこのオペラ、初演は03年ですが、上演の是非について日本の新聞でも大きく取り上げられています。この方のモーツァルト《後宮からの逃走》、観ましたが、ここまでくると私にはもう着いていけません、ごめんなさい。なので、あまり見たいとは思わないのですが、どうなのでしょう。
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今日は仕事明けから、そのまま徹夜状態でマチネ公演に(14時開演)。この日しか都合がつかなかったので強行軍、このツケが明日以降に来そうです。体調管理に気をつけねば…。

この作品を始めて聴いたのは、4年前の東京フィルによるオペラコンチェルタンテ公演。その日は体調が絶不調で、公演には行ったものの音楽を聴くどころではなく…。あれからもうそんな月日が経ったとは(唖然)。

24歳のモーツァルトによる渾身の作、10代の時のセリア(ルーチョ・シッラやミトリダーテ)に比べると、当然のことながら音楽の充実さが格段に増しており、若さの勢いもあって上り調子が感じられる、素晴らしい作品だと思います。オペラ・セリアというと、アンシャン・レジームのイメージが強いですが、もうこの頃になると(フランス革命まであとわずか)、伝統的なセリアの形を取りながらも、登場人物の性格付けや振る舞いが、それまでのものと比べ近代的な印象が。
特にタイトルロールのイドメネオ。神にひれ伏すのではなく、「それは神の誤りである」と敢然と挑むところなど、時代の新しさを感じます。

フランスのトラジェディ・リリック(カンプラ作曲)がベースになっているので、フランスの古典悲劇に近いのが嬉しい。エレットラの方が、存在感強く、訴えかけてきます。ラシーヌの「アンドロマック」のエルミオーヌ、「イフィジェニー」のエリフィール、そしてラモーのオペラにも登場するいわゆる悪役のヒロイン、どうしてこちらの方が、いつも圧倒的な存在感を持って迫ってくるのでしょう。
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