今月はいろいろと忙しくバタバタしておりましたが、やっと落ち着きました。いつの間にかオリンピックも閉幕…。あまりゆっくり見れず残念。選手の皆さん本当にお疲れ様でした。来月はパラリンピックが開催ですね。出場選手の方々、頑張ってください!!

フィギュアではプッチーニの音楽がよく使われていました。荒川選手はスタイルの良さを生かした演技、華があって大舞台で映えますね。男子フィギュアのゴールドメダリスト、プルシェンコのエキシビジョンは凄い…。これも音楽はプッチーニの<トスカ>から「星は光りぬ」、カヴァラドッシに見えました。ヴァイオリニストがリンクに登場しての生演奏にはびっくり。

e0036980_23361764.jpgテレビでこんなにプッチーニを連日で聴くことができるとは、思いもせず…。ならばと、私もプッチーニを久し振りに取り出しました。好きなアリアをヴォーカルスコアで弾いています。





<つばめ>「ドレッタの夢」、<トゥーランドット>幻想曲、<ジャンニ・スキッキ>「お父さまにお願い」、<ラ・ボエーム>「私が街を歩くと」
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昨日は待ちに待った(←ホント、来日が延期になっていましたから)「バヤゼット」。久々に時が経つのを忘れて聴き入りました…。
これから仕事なのですが、まだ余韻から抜け切れずボーッと夢うつつ状態です。またこうした公演を聴きたいと切に願っていますが、これが日常化したら大変かも…(現実社会に戻ってこれないですね)。
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e0036980_21203831.jpg今日は久し振りに新国立オペラ劇場へ。日本のオペラですが、私には日本語の美感があまり感じられず、ストーリ自体も斬新さに欠けるような。うーん。しかし、琵琶を中心に据えた曲は見事ですっかり気に入りました。その部分では観客も大喝采。
演出は写実的でオーソドックスな印象、可もなく不可もなくといった感じ(音楽を妨げてはいない)。セットや衣装で貧相な感じがしないところは、やはりこの劇場だからですね。しかし日本と唐の描き方にハッとさせるようなものがなく、視覚的にはあまりピンときませんでした。
私としては、せっかく日本語でのオペラなのだから台詞・視覚・音楽と、もっと日本の美(または情感)を感じたかったところです。
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先日鑑賞したお能について、感想は述べられずとも作品内容ぐらいは記憶に留めておこうかと。この「高砂」は披露宴での「たかさごや~」で有名なもの。
「脇能と呼ばれる一番目物の代表。高砂と住吉にありながら相生の松と呼ばれ、その精の老夫婦がともに心を通い合わせ、和合と長寿を祝福する曲柄。」→これだけではよく分かりませんね(;-;)。

謡でとても気に入った箇所(下線部)があります。
住吉明神が神舞を舞う前のもの。「現れ出でし。神松の。春なれや。残んの雪の浅香潟。玉藻刈るなる岸陰の、松根に寄って腰をすえば、千年の緑。手に満てり。梅花を折って頭に挿せば。二月の雪 衣に落つ」
→現代語訳「自分は筑紫の青木が原の波間から表れ出た住吉の神であるが、今は春のこととて、雪がわずかに消え残っているこの浅香潟、玉藻を刈るという岸影の、松の根元に寄りかかって腰をさすると、千歳変わらぬ松の葉がこの手にまで一杯になるようだ。そしてまた梅の花を折って頭に挿すと、花びらが散って、春の雪が衣に落ちかかったようだ…」
この箇所、もともとの出展は『和漢朗詠集』の漢詩からとのこと。奥深すぎ(^ー^;)。

春景色の面白さに打ち興じる情景がとても素敵です。特に梅の花を春の雪(二月の雪)に例えるなんて…。梅見に行きたくなりました。
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e0036980_22573256.gifこれって本当に宗教曲なんでしょうか?とても教会向けとは思えない華麗で技巧的な曲ばかりです。オペラや器楽曲から受ける印象とほとんど変わりません。この華やかさはヘンデル以上、当然バッハとは完全に方向性が違います。以前に聴いたフィオッコ(J.H.Fiocco1703~1741イタリア系)の宗教曲もこんな感じで、びっくりしたのを思い出しました。こうした作りがポピュラーだったのかもしれません。

ソリストはチョーフィ、オケと丁々発止のやり取りで盛り上げています。しかし、これを歌いこなすのは大変でしょうね。聴くほうも付いて行くのが大変(^-^;)
さて、いよいよビオンディ率いるエウローパ・ガランテによるヴィヴァルディのオペラ「バヤゼット」、実演も間近。私にとって今年の目玉です(これが終わったらもう楽しみが…、いや、レザール・フロリサンによるラモーがありました。日本で見れるとは感激で涙です)。
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e0036980_044718.jpg今日は宝生能楽堂にて「高砂」「千手」を鑑賞。
私はお能についてまだ、全く感想を述べることができません。白州正子さんの「お能の見方」では「世阿弥は目智相応しなければよい見手とは言われないと言います。鑑賞家は自分に対して見栄を張るために、自分の芸術的陶酔を感じるだけで満足するに終わってはなりませぬ。そう心得た上で、さてはじめて能を楽しみ、自分を満足させるのは、…それは私の知ったことではございません。」という言葉が胸に刺さってしまうのです。

タイトルは白州正子さんが、お能と西洋の古典舞踊(バレエ)を比べて述べた言葉です。私にとっては、この比較はとても興味深いものでした。「お能とバレエほど見た目に違うものはありません。芸術の高峰は分水嶺となって、この二つの流れを東西に分かちます。分かれた二つの流れがしめそうとするものは、しかし同じひとつのものです。」

「現在バレエは日一日と発展しています。そのゆくすえはどこまで伸びるが見ものです。しかし、太陽のもとにけっして真に新しいものはありえません。目をそばだてるほどの新しいものを取り上げても、美の法則はつねに不変です。これを変えることは人間にはできません。どんな革新家であっても我にもあらず、この法則に従っているのです。」
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