今日は仕事明けから、そのまま徹夜状態でマチネ公演に(14時開演)。この日しか都合がつかなかったので強行軍、このツケが明日以降に来そうです。体調管理に気をつけねば…。

この作品を始めて聴いたのは、4年前の東京フィルによるオペラコンチェルタンテ公演。その日は体調が絶不調で、公演には行ったものの音楽を聴くどころではなく…。あれからもうそんな月日が経ったとは(唖然)。

24歳のモーツァルトによる渾身の作、10代の時のセリア(ルーチョ・シッラやミトリダーテ)に比べると、当然のことながら音楽の充実さが格段に増しており、若さの勢いもあって上り調子が感じられる、素晴らしい作品だと思います。オペラ・セリアというと、アンシャン・レジームのイメージが強いですが、もうこの頃になると(フランス革命まであとわずか)、伝統的なセリアの形を取りながらも、登場人物の性格付けや振る舞いが、それまでのものと比べ近代的な印象が。
特にタイトルロールのイドメネオ。神にひれ伏すのではなく、「それは神の誤りである」と敢然と挑むところなど、時代の新しさを感じます。

フランスのトラジェディ・リリック(カンプラ作曲)がベースになっているので、フランスの古典悲劇に近いのが嬉しい。エレットラの方が、存在感強く、訴えかけてきます。ラシーヌの「アンドロマック」のエルミオーヌ、「イフィジェニー」のエリフィール、そしてラモーのオペラにも登場するいわゆる悪役のヒロイン、どうしてこちらの方が、いつも圧倒的な存在感を持って迫ってくるのでしょう。
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続いてまたバッハ…。チェンバロ協奏曲の1番(BWV1052)はとても好きな曲で、コレギウム・アウレウムの演奏で初めて聴いた時から「おお、なんてかっこいい曲だ!」と一聴惚れ。バッハらしい、細かな描写ですが、それでいて大胆。あれよあれよという間に曲がどんどん展開し、いったいどこまで行くのだろうと思わせられるような奔放さ。

以前コンサートで接したレツボールのメッセージ「バロック音楽とはファンタジーのためのファンタジーである。即興という形でしかあり得ないほどの自由さを持ち、人間の感情の世界を表現することをテーマとする―」、バッハの曲を聴くと、この言葉がその通りだなぁと感じ入ります。

e0036980_2328984.jpg先日、ガーディナーのカンタータ・シリーズを聴いていたら、146番《われらあまたの苦難を経て神の御国に入らん》のシンフォニアでこの協奏曲の第1楽章が使われていてびっくり。こちらの方が有名なのですね。カンタータはほとんど聴いたことがないので…。
チェンバロがオルガンになっていますが、そうなると、さらにスケール感が増してスゴイ迫力。これが教会で演奏されたら、私なぞは神様を思うより、曲の凄さでもう恍惚(!)としてしまいます…。曲自体はカンタータの名の通り、苦難を乗り越えていくような、毅然とした意志が感じられるものですが。
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以前古楽レクチャーで聴いた「インヴェンション解体講座」で、一番印象に残った曲の解説が、《シンフォニア15番》BWV801。この曲集の一番最後です。
カンタータ136番《神よ、願わくばわれを探りて》の5曲目のアリアとの類比を指摘されていました。カンタータの内容は、罪の穢れが大いなる血潮(キリストのもの)で清められるといったもので、その血潮の流れが16分音符から32分音符の下降形で示されているのですが、そのモチーフがそのままシンフォニア15番にも見てとれることに驚きました。ドラマチックでまさに血潮が流れ出ているような描写、教育目的の曲集とはいえ、内容的にはもう何かしらの特定された言葉や概念に近づいているのです。十字架の形が見え隠れしたり、そんな曲だったとは、ただただ唖然。

目から鱗です…。なので、今、練習中。
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今日18時から、宝生能楽堂での鑑賞。狂言『武悪』は一時間ほどもある大作。ユーモアの効いた、ちょっとシニカルな感じの喜劇。立ち合いの派手な場面が多く、見せ場もたくさん。人間国宝の野村萬さん、やはり出てきただけで空気が変わります。重厚感が加わり、劇の厚みが増すんです。実演に接するのは3回目ですが、すっかりファンに (^-^)/

能『梅枝』は眠気に襲われてしまい、まさに夢幻の世界となってしまいました…。後半の舞になって目がパッチリ。能は見る側の器量がかなり問われるので(抽象的だし)、私にとっては遠い遠い世界です。嗚呼…。
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今日は午前中から美容院へ行き、カット&パーマ&染めをお願いしましたが、4時間もかかってしまいました(ストレートパーマは時間がかかります…)。その後すぐ歌舞伎座へ向かい、夜の部を鑑賞。先月に観た文楽版『仮名手本忠臣蔵』と比べてみたかったのです。
今回の歌舞伎座では『仮名手本忠臣蔵』の5、6段目のみ(先月の文楽では大序から最後の11段目まで、ほぼ全て上演していました)。

歌舞伎と文楽はそれぞれの味と見所があり、比べて観るものではないと思いますが、歌舞伎だとなんとなく物足りなさを感じてしまいました。それはなぜか、大阪では文楽を「見に行く」のではなく、「聴きに行く」というそうですが、語り物音楽である浄瑠璃を語る太夫と三味線の演奏によって話が進む文楽は、歌舞伎よりも音楽性が強い。そして私はこれが好き。オペラ(アリア)にかなり近いものを感じます。
太夫が聞かせどころを語った後に沸き起こる拍手は、ちょうどオペラ歌手が見事にアリアを歌いきった後に沸き起こる拍手と同様のものだなぁと。

『仮名手本忠臣蔵』後の『梅雨小袖昔八丈』は観ずにチケットを譲り、神保町の書店へ。来年受験の社会福祉士試験問題集を求めて帰宅。勉強せねば…。あれこれ観にいっている場合ではありませんが、今月はなんだかコンサートなどの予定が多いのです。これでは試験に落ちること間違いなし…。
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