今週水曜の公演を鑑賞。上演されることの少ないオペラですので、この先、まず実演に接する機会はないだろうと思い、劇場へ。

何の予習もなく、このオペラを初めて観ることになったのですが、「たわいもない西部劇オペラ」などではない、普遍性のある深いテーマを持った作品だと感じました。舞台はゴールドラッシュ時代のカリフォルニアですが、そこに根本的なテーマがあるわけではない。今回の演出は、舞台を現代に置き換えていましたが、テーマに対しての焦点はぶれていなかった。ですので、私にとって違和感は全くありませんでした。

このオペラ、私の中ではスタインベック「怒りの葡萄」と重なってみえました。恐慌のため、貧困にあえぐ農民一家が故郷を捨て、「楽園」と思い描いていたカリフォルニアへ向かったものの、そこはまるで地獄のよう、さらなる苦しみが続いていく。いったい、何処に行けば楽園に辿り着けるのだろう…。このオペラにも、楽園を思い描いてその場所へきたものの、どうにもならない現実に、やるせない思いを抱いている人々が描かれています。今回の演出はその部分に重きを置いたようでした。
最後、愛し合うミニーとジョンソンが結ばれ、「さらば、カリフォルニア…」と遠くの地へ去っていく。楽園=カリフォルニアを捨てて新たな地へと向かう二人。今度こそ、本当の楽園に辿り着けるのでしょうか。そして取り残された人々のクローズアップ、単なるハッピーエンドとは異なる、重い余韻が残りました。

このオペラ、メトロポリタン歌劇場(アメリカ)のために書き下ろした作品ですが、旧約聖書のくだりが出てきたり、楽園を思い起こさせるところは、当然のことながら、やはりアメリカもクリスチャンの国だなぁという印象を受けました。

このオペラがなかなか上演されないのは、インパクトのある独立したアリアがないことが、理由の一つとして挙げられるでしょうか。そしてこのオペラ、アリアで聴かせるというよりも、切れ目なく音楽が流れていくのですが、その流れがスムーズでないような気がします。プッチーニ特有の叙情的な音楽が続いていたかと思うと、突然その流れが切り替わり、いきなり刺々しい押しの強い音楽になる。モーツァルトのような、鮮やかな切り替わりでななく、なんだか唐突。

オケは、とっても良かったです。久々のプッチーニ、堪能しました。
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今日は宝生能楽堂へ。楽しみにしていた『西行桜』の鑑賞。春の季節にふさわしい、華やかな詞章が連なり、絢爛。でも、登場するのは桜の老木の精、華やかな詞章とは対照的に枯れた情緒をかもし出していて、対比の妙が効いていました。

世の桜はほとんど散ってしまいましたが、この舞台で、再び満開の桜を眺めて楽しむことができたような。お能で描かれる桜のなんと美しいことよ、春の夢とはこのこと…。
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今日は夜勤を終え、そのまま徹夜状態で『清教徒』鑑賞に。さいたま副都心にある映画館でのアンコール上映です。

この上演、ネトレプコの魅力が全開。今、乗りに乗っているソプラノであることは間違いないでしょうね。そのスターぶりにノックアウトされました。素晴らしかった!

もう眠くて仕方ないので、また感想は後ほど載せます…。
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千鳥ヶ淵のボートからの夜桜、淡い桜色が夜霧のように浮かび上がって、とても幻想的な風景でした。ひと時、夢幻の世界に。
その時にBGMとして私の耳に蘇って聴こえてきたのが、ヴィヴァルディのモテット「地上に真の平安はなく」のアリア。イエスの愛の中に真の平安が存在するという内容で、暖かい大らかな愛に包まれているような優しい曲。最近聴いて印象に残っていたのです。

e0036980_23295956.jpgその曲が収録されている《amor sacro(聖なる愛)》と題されたヴェニス・バロック・オーケストラ&シモーネ・ケルメスによるCD。ヴィヴァルディのモテット集。一昨年、この組み合わせで来日公演の際、私の目と鼻の先がケルメスさん、超絶技巧アリアを艶っぽさ全開で歌い切っていて、その迫力に私は(@0@)状態でした…。このCDでは、この時とは違う印象(可憐さがあります)。オケは来日時よりアグレッシブ。


曲はどれもヴィヴァルディ節が効いていて、《スターバト・マーテル》を思い起こさせるメロディーや、オペラアリアそのままといった様相。宗教曲という堅苦しさは微塵もありません。
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