バーンスタインによる死者のための祈り《カディッシュ》を聴いて、胸中は様々な想いで溢れているのに、それをどう表現してよいのか分からないでいる。何かを語ろうとしても、ホロコースト~人類最大の悪という現実、そして、なぜこれを見過ごしたのかという神への問いかけの前には、どんな言葉を連ねても、あまりにも軽薄にすぎるように思える。
しかし、これだけはーこの曲は、今、この時代にこそ、聴かれるべき音楽であることは間違いないー
音楽によって普遍的なメッセージを、人種と宗教を超えて平和と民主主義を願う人々へ、強く呼びかけることが可能なのだと、音楽の持つ力を改めて確信した。

語りのテキストはホロコーストを生き延びたサミュエル・ピサールが独自に付けたもの。もともと、バーンスタインがピサールにテキストを依頼していたのだが、「ホロコーストのオペラ化など、考えられない」と辞退していたそうだ。
しかし、9.11の同時多発テロの衝撃を受け、過去の悲劇を繰り返さないという強い信念に基づき、ピサールが改めて語りのテキストを付けたものを、今回インバル指揮、東京都交響楽団および語りと独唱ソプラノ、合唱付きという壮大な演奏で聴くことができた。気迫に溢れた演奏で、まさに名演であった。

ピサールは率直な言葉で、自分の体験した、あまりにも壮絶な記憶からくる神への問いかけ、葛藤を語っていく。ストレートな言葉だけに、胸をえぐられるような苦しみが伝わる。
そして、自分が救われたという奇蹟(自分だけが生き延びたという罪悪感も描かれる)を語り、最後は神への信仰を「新しい約束を!アーメン!」という希望を託す叫びで曲を終える。
もっともっと、この曲が演奏され、平和への連帯を生み出す一つの絆となることを、強く望まずにはいられない。
(この想いのこもったテキストを、記録として残しておきたいが、プログラムには掲載されていないので残念)
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春の夜更けに、フォルテピアノのまろやかな響きが心地良いCDを。
18世紀ベルリン楽派のグラウン、ヘッセ、そしてC.P.E.バッハ。すでに対位法は過去の遺物(どころか、否定されるもの)となりつつあり、世は新しい音楽~ギャラント様式に大きな喝采を送るようになる。
ちょうどこの時期に次世代の楽器、フォルテピアノも広まっていく。フリードリヒ大王はこの新しい楽器に夢中になり、あらゆるタイプのものを手に入れようとした結果、なんと15台ものフォルテピアノがポツダム宮殿のあちこちに置かれていたそうだ(『音楽の捧げものが生まれた晩』ジェイムズ・R・ゲインズ著より)。

ジルバーマン製作モデルによるフォルテピアノ、ダンパーペダルの機能を使用して演奏されるC.P.E.バッハのアダージョは、夢うつつになりそうな、甘く柔らかい響きに包まれている。このまま眠りにつけば、優しい夢が見れそうな…。
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佐藤俊介&鈴木優人の共同企画で「21世紀のコンセール・スピリチュエル」と銘打たれた意欲的なコンサートを、三鷹芸術文化センターで。
コンセール・スピリチュエルの精神~新しいレパートリーと聴衆を開拓し、演奏家達に自由な音楽活動の場を与える~の再現を目指したそうだが、クラシック音楽の世界ではなかなか難しいコンセプト。そのためか、集客に苦戦したのだろう、内容は良かったのに、かなりの空席があったのは残念。

今回の公演は、シェイクスピア『テンペスト』の世界を、音楽劇(ダンス&演奏)に仕立てたもの。
『テンペスト』自体は上演機会が多く、演出も様々で、私もオペラや映画化されたものをはじめ、一年の間に2回違うプロダクションで舞台を観たことも…。
「復讐」から「赦し(人間の行為のなかで最も難しいものの一つだ)」を描いた『テンペスト』をはじめ、シェイクスピアの世界感の大きさは、古今東西どの劇作家よりもずば抜けて高いと思う。そのスケールに匹敵するような世界観を、演奏で創り上げており、センスの良さが光る選曲だった。

この公演の白眉は、なんといってもメシアンの2曲。
《世の終わりの四重奏曲》から「鳥たちの深淵」、クラリネット・ソロ(吉田誠さん)。その特性を最大限に生かしつつ、新たな可能性までも追求したような音の世界。舞台が暗転した中の演奏で、まさに深淵を覗き込む感覚に驚く。そして「イエスの不滅性への賛歌」。これはプロスペローの赦しと対応するもので、ヴァイオリン・ソロの演奏だったが、これを聴いて、なんという曲をメシアンは作るのだろうと、圧倒されてしまった。生と死の境目がどんどん薄くなり、溶け合わさっていく…。

この曲は、メシアンが大戦でドイツ人の捕虜になった際に作曲され、収容所にて初演された。それを知ったとき、心から納得した。やはり、そうした曲だ。メシアンを聴くのは初めてだったが、とても惹かれる。これからも聴いていきたいと思える作曲家に出会えたのは、嬉しいこと。

そして、C.P.Eバッハ!今までCDで聴いても、あまりピンとこない演奏が多かったが、佐藤俊介さん&鈴木優人さんによるヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ、最高だった。
C.P.Eバッハの才気とパッションがビシバシと伝わり、即興性も申し分なく、気分が盛り上がる。楽しかった~、こうした演奏をもっと聴きたい。C.P.E.バッハ・プロを是非!

佐藤俊介さんは、なんとジーンズにソックス!というカジュアルさ(演奏は期待通り見事)。他のメンバーも軽快な身のこなしで、《テンペスト》の世界を体全体で表現していた。
ヴィヴァルディからモラヴェック、メシアンまでとバラエティに富んだ内容、シリーズの第2弾も期待している。
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観終えた後に「ああ、もう一度観たいな…。」と思わせてくれるオペラに出会える機会はそう多くはない。今回、そう思える作品に出会えたことを喜びたい。
これまで、ヤナーチェクはフォークトで聴いた《霧の中で》ぐらいしか(10年前!)覚えがなく、オペラは初めての経験。今までその音楽を積極的に聴こうと思ってこなかったが、友人の勧めもあり、今回接することができて本当に良かった。
正直言って、1幕目は「どこにでもあるような話…、音楽も垢抜けない…」という印象だったのだが、ドラマが動き始める2幕に入ってくると、その悲劇が切実に胸に迫ってきた。
因習が支配する、閉鎖的な村社会で、婚前の過ちから生まれた命を保身のために消し去るという惨い内容だ。家族だからこそ、愛憎も複雑で、より強いものになる。

この《イェヌーファ》は、オペラという名から一般的にイメージされる、華やかで美しい恋愛悲劇や、誇り高い英雄の活躍からは、とても遠い位置にある。そこに描かれているのは、人間の弱さや脆さ、愚かさであり、生きるということの思い通りにならぬ人生の複雑さだ。
世界は残酷で、痛みに満ちているという現実を、真正面から突き付けてくる。こうした題材で、オペラを創り上げるというのは、作曲家としては勇気がいることではなかったかと思う。

登場人物をこれほどまでに身近に感じることのできるのも、人間のどうにもならない脆さと愛を描いているからだろう。ラツァも、コステルニチカも、シュテヴァも、そしてイェヌーファも、私であり、あなたでもある…。

この現実の痛みを救う光となるのは、やはり信仰なのだろうか。
ヤナーチェクが描いた、イェヌーファによる神への祈りは、痛みを包み込むように、たとえようもなく暖かく柔らかいものだった。ここまで宗教性の高い作品だとは思わなかったが、この救い(赦し)が、オペラをストーリー的にも音楽的にも素晴らしいものにしているのだろう。
ヤナーチェクの音楽は、後期ロマン派の薫りも漂う、大変聴きやすいもの。演奏にもうすこしメリハリがあってもよいのかもしれないが、音楽を味わうのには十分であったと思う。

演出をするうえでは、いろいろとコンセプトがあったのだろうが、あまり気にならない部分が多く、ドラマの進行を妨げないシンプルな方向だった。
このオペラは、すでに高い現代性を持ち合わせているので、作品が伝えようとしているものに、異なる視点を求めるような過剰な演出は必要ないだろう。
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今日は和楽器による公演~筝と三味線、語りで構成された舞台を鑑賞してきたのですが、帰宅後アーノンクールが亡くなったことを知りました。アーノンクールたちが撒いた種、「古楽」は進化しながら後の世代に確実に引き継がれています。そしてこれからも…。

「近い将来、古楽シーンの自由に行動する精神が19世紀のレパートリーの演奏にまでおよんでくると、クラシック音楽はついにその冷たい大理石のような外見を脱ぎ捨てることになるだろう。」(アレックス・ロス著『これを聴け』より)

日本公演での《メサイア》での指揮、ピアニッシモから始まるハレルヤの合唱を忘れることはないでしょう。どうぞ、安らかにお眠り下さい。私にとって音楽は生きることと同様です。素晴らしい音楽をありがとう。
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早くも今年度の展覧会の目玉である「カラヴァッジョ展」が開催。
2001年に庭園美術館で観たカラヴァッジョの衝撃は忘れられない。光と影で描かれた劇的なドラマに息を吞み、惹きこまれて、時を忘れた。
あの日から、彼は私にとって忘れがたき画家の一人に。それから15年、再び日本でカラヴァッジョ展が開催されることになり、嬉しい限りだ。

ちょうど今、カラヴァッジョと同時代に活躍した作曲家スヴェーリンク(オランダ)のチェンバロ音楽を聴いている。
カラヴァッジョが「ルネサンスを超えた男」ならば、音楽では誰が当てはまるのだろう。「アムステルダムのオルフェウス」と言われたスヴェーリンク、その音楽はすでにバロックの完成形だ…(ファンタジア、素敵)。
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昨年、ベルリンを訪れた際に絵画館でのカラヴァッジョを楽しみにしていたが、貸出し中だったのか無い!…残念だったが、ポツダムのサンスーシ公園内の絵画館にて《聖トマスの不信》を観ることができた。
画はすぐに分かったが、展示(保存)状態が無造作な感じで「本当にカラヴァッジョなんだろうか…」と少し心配に。リストを見ると、確かにカラヴァッジョだが、直接窓からの光線が当たって観にくいこと…。
ただ、かなり間近で観ることができ(高さが目線に近い)、画家の息遣いまで感じられるような気がしたのは良かったなと。

日本での展覧会は混雑が予想される。混まないうちに早めに行かなければ(と思うが、なかなかそうもいかない…)。
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先日の休日に渋谷へ。イギリスのTVドラマ映画版《SHERLOCK/シャーロック 》から、《英国の夢 ラファエル前派展》へ。図らずもヴィクトリア朝繋がりとなってしまった。
ラファエル前派では、ミレイが好きなのだが、惹かれるのはフランドル絵画を模範としていたこともあるからだろうか。有名な画は《オフェーリア》をはじめ多々あるが、私のお気に入りは《ユグノー教徒》。
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マイヤベーアのオペラ《ユグノー教徒》に題を取ったといわれるこの画は、私にとって理想的なオペラの再現。
サン・バルテルミーの虐殺を背景とした堂々たるフランス・グランド・オペラ、悲劇の恋人たちである、カトリックのヴァランティーヌとプロテスタントのラウル。第5幕でヴァランティーヌが、ラウルの命を守るため、カトリックへの改宗を説得し、必死の思いで白いスカーフ(カトリックであることを意味する)をその腕に巻こうと試みる。しかし、ラウルは自ら死を選び、ヴァランティーヌも共に死ぬことを覚悟する…。そして、まさに虐殺の只中へという壮絶な最後で幕が降ろされる。

映画《王妃マルゴ》でもサン・バルテルミーの虐殺がクライマックスとなっていたことを思い出す。オペラのストーリーもダイナミックだが、音楽もロマン派に属するだけに、ボリュームがある。
ヴァランティーヌとラウルを歌うためには、ドラマティックな声質が求められるのだろう。音楽自体は好きだが、そこからは、この画で表現されているような若々しい、繊細な恋人同士の図を想像することが難しいので、少し残念…。
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あとのお気に入りは《イェフタ》。こちらもヘンデルのオラトリオが想い出されて嬉しい。イェフタを題材とする絵も多いが、私にはこれがイメージ的にぴったりとくる。
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