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―ヴェニスをその街にふさわしく愛する方法はただひとつ、その街にしばしば触れさせる機会を与えることであり、そのためにはぐずぐずとその街に居据わって長居し、どこかに飛んで行って、また舞い戻ってくることだ―『郷愁のイタリア』ヘンリー・ジェイムズ著/千葉雄一郎訳
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 ヘンリー・ジェイムズは私の好きな作家。私も実際にここを訪れて、彼が愛したヴェネツィアの面影が、今でもそのままに感じられるのは嬉しかった。ヴェネツィアでは、夜も音楽鑑賞のため出歩いていたので、必然的に3日間とも22時過ぎまで街中を横断していたことになる。
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 こうしたメインストリートは夜でも艶やかで、雰囲気を十分に味わうことができるのだが、私の泊まっていた宿はサン・マルコ広場の裏手にあり、迷いやすい場所。夜になると、細い路地が入り組んでいるため、位置が分かりにくくなり、人っ子一人いない薄暗い路地(しかも一人がやっと通れるぐらいの狭さ)をドキドキしながら駆け抜けることが数回あった。
 でも、そうした迷宮的なところこそ、今まさにヴェネツィアにいるのだということを実感した瞬間でもあった。ボーッとオレンジのライトで照らされている誰もいない狭い路地と、小さな橋のかかったいくつかの運河を超えて宿に戻るのだ。
 ヘンリー・ジェイムズの言う通りに、いつか、あの迷宮へまた舞い戻ってきたい。

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 今回のイタリアの旅では、美しき女性の聖人にたくさん出会うことができたのだが、ヴェネツィア・アカデミア美術館でのジョヴァンニ・ベッリーニの女性像には、一目で心を奪われてしまった。数百年前とはとても思えない、最近描かれたような新鮮さには、驚きすら感じる。
 この《聖会話》では聖カタリナの真っ直ぐな瞳と、乙女の初々しいさを感じさせる描写にうっとり。
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そして聖母子。こちらはまだ初期ルネサンスの硬質さが感じられるところがいいなと。
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 ここ最近はバロック&古典派中心のレッスンなので、たまには息抜きで系統の違う小曲を弾きたい…と思ってコルンゴルト《死の都》から大好きな「リュートの歌」。
 「サラッと弾きたい」…のつもりだったのに、結構難度が高いことが分かり、適当にごまかしながら練習中。先生に聴いてもらったが、この曲を聴いたことがない先生は「??」と感想も言えない感じで、コルンゴルトにも先生にも申し訳なく…。自分的にはうっとりしているのけれど、少しでも人様に伝わるように頑張りたい。
 先月にウィーン・フォルクスオーパーでは《ヘリアーネの奇跡》が上演(演奏会形式)。実際に聴いてみたいので、羨ましいなと。CDで聴いたときは作曲当時のコルンゴルトの心情と重なるように思え、胸が詰まった。時代に翻弄されながらも、その時代からこそ作り得た音楽でもあるのだろう、と。

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サンタ・マリア・デラ・サルーテ聖堂前から見るカナル・グランデの眺め
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 ヘンリー・ジェイムズは、この聖堂を「サロンの敷居に立つすばらしい淑女のような姿」「サルーテ教会はかつて画家たちが語ったよりも一層豊かであり穏やかで、扉口も落ち着いて見えるのだが、丸屋根に渦巻型の装飾があり、扇型の控え壁と彫像群がはなやかな王冠をなしていて、広い階段がさながらローブの裾のように水面に達している。この絶世の美女のような風格…」と褒め称えている。
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 中の空間は思ったよりも広々。この主祭壇はロンゲーナが構想し、ジュスト・ル・クールが制作したもの。ほか、ティツィアーノやティントレットの名画もあるが、今回は観れず残念。

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 音楽との運命的な出会いというのは大げさかもしれないが、そうしたものを今までに何度か体験してきた。メシアンもそのうちの一つだ。曲を実際に聴いたのは、ここ最近のこと(昨年のコンサートにて)。
 そのときは、メシアンの曲が目当てではなかったが、プログラムに入っていた《世の終わりのための四重奏曲》に、強烈な印象を受けた。これほどまでに生と死の境目が限りなく薄くなっていくような「彼岸」の世界を感じさせてくれる体験は初めてで、それから、メシアンは私にとって特別な作曲家の一人となった。この世界は、実際に奏でられる音を聴かなければ、体験できなかったかもしれない。そう、メシアンの音楽は「聴く」というよりも、「体験(その響きの世界を身体全体で感じる)」として捉えるのが、私にはぴったりとくる。

 今回は3回目のメシアン。
 現代音楽に共通する部分かもしれないが、メシアンの曲は伝統的な音楽構成の要素を否定しながらも、音楽の持ちうる力—時を操作しようとする意思をとても強く感じる。時を流れゆくままにさせるのではなく、時と空間を歪ませて(もしくは広げて)、現世ではない別次元の世界に引き込むような…。
 今回の〈彼方の閃光〉では、確かに永遠を感じさせるものが聴こえていた。「私が彼岸を、永遠を信じているからです」とメシアンは語っていたそうだが、そうでなければ、これほどまでの説得力を持つ音楽は生まれてこないだろうと思う。
 武満さん曰く、メシアンは大変な理論家で、「かなり数理的な操作で曲を作っているようだけど、実際には、直感的に作曲していたんだと思うんです。」(『武満徹・音楽創造への旅』立花隆著 より)

 〈彼方の閃光〉の第5楽章〝愛の中に棲む”は、とても不思議な感覚、何か大いなるものの胎内にいるような安らぎと陶酔感だった。第8楽章〝星たちと栄光”で奏でられるコラールは、声楽は入っていないのに、トゥッティの壮大な響きに包まれ、生きとし生けるもの全てが天に向けて謳いあげているような感覚で、身震いしてしまいそうに。
 私にとってはまだまだ未知のメシアン。今後も体験する機会を楽しみにしたい。

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