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 アヴィタルのマンドリン演奏を聴いて思い出したのが、ヴェネツィアの音楽博物館。サン・マルコ地区の教会(アカデミア橋の近く)にあり、偶然通りかかった際に発見。
 展示テーマは「アントニオ・ヴィヴァルディと彼の時代」。ヴェネツィア音楽の代名詞であるヴィヴァルディの名前が掲げられている。入場は無料で、中に入るとアルテミオ・ヴァザーリなる人物のコレクションである歴史的楽器がズラッと並んでいて壮観。
 もちろんマンドリンも豊富。この美しいマンドリンを見て!19世紀もの、うっとり。
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 ヴェネツィアのナポリ人会のマンドリンだろうか、どんな音がするのだろう。こうした歴史的な楽器で聴いてみたいな。
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 来日の度に聴かずにはいられない、楽しみにしていたヴェニス・バロック・オーケストラの公演へ。
 今回はマンドリン奏者のアヴィタルがソリスト。曲はもちろんヴィヴァルディがメイン!ヴィヴァルディがマンドリンのために作曲した協奏曲を実際に聴くのは初めて。というか、マンドリンは愛好者も多いポピュラーな楽器でありながら、オーケストラとの共演を含め、演奏自体を聴くこと自体が滅多にないので、そうした意味でも、マンドリンの響きに触れるのを楽しみにしていた。

 ヴェニス・バロックの音、鳴った瞬間からみるみる空気が変わっていくような味わいはいつもながら。明るく艶のある、ヴェネツィアン・サウンドとはこのこと。軽やかでありながら、そこはかとない哀愁が漂い、夢うつつの境地に誘ってくれる。イタリア(ヴェネツィア!)の風を感じるがごとくで、すっかり気持ちは憧れの地へ。
 オーケストラの精度としては、前半は今一つだったかもしれないが、このオケ&曲でそれをいうのは全く野暮というもの。エヴィソンの合奏協奏曲はポリフォニックな味わいで、オケ自体の表現力もアピールしようとする心意気が伝わってきた。
 
 そしてアヴィタル、これはもうマンドリンしゃない!と思わせてしまうほどダイナミックでエキサイティングな演奏。まず、音自体がよく響いて、こんなに輝かしい音が出るのかと驚いてしまった。そしてオーケストラ相手に一歩も引けをとらない音量と迫力。表現の幅が広くて、繊細なピアニッシモの甘やかさにもうっとり。マンドリンでここまでできるなんて!
 最後に演奏されたヴィヴァルディ《四季》〝夏”は、ヴェニス・バロックの十八番中の十八番だが、聴くたびにこの曲自体の斬新さに打たれてしまう。当時はさぞかし衝撃的だったろうと納得がいく、奇跡の一曲。
 一番気に入ったのは、パイジェッロのマンドリン協奏曲。オペラ・ブッファを想い起させる、生き生きとした躍動感があり、とっても魅力的だった。雰囲気がヴェネツィアというより、やはりナポリっぽくて、楽しいこと!

 マンドリンを情熱的にかき鳴らすアヴィタルは、とても素敵で、これで愛の歌でもうたわれようものなら、全ての女性がコロッと参ってしまいそう。若さの勢いがあっていいな、と。

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 C.P.E.バッハによるフルート協奏曲をパユ&ピノックで。
 パユは実際に何度か聴いていて(最近は一昨年のコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲で。フルートの音色に「うわっ、誰?」と、オペラグラスで確認したらこの方だった)もうかなり前のことになるが、このデュオの来日公演でJ.S.バッハを聴いたことを思い出す。
 この時はモダン・フルートとチェンバロの組み合わせにどうも違和感があったのだけれど、このCDではアンサンブルなので音のバランスもよく、何よりC.P.E.バッハのギャラント様式は、パユの華麗な技巧を存分に生かすのにはうってつけ。鮮やかで切れのある演奏を楽しませてもらった。やっぱり「ベルリンのバッハ」は意表を突く展開が斬新で、カッコいい!

 特に気に入ったのが、ニ短調Wp22の第一楽章。「手本となる傑作、素晴らしい対位法」とパユが語っているが、私はやはりこうした曲が好きなんだなぁと、再認識...。気に入ると何度も繰り返して聴いてしまうため、この曲が耳タコ状態。
 第二楽章はこの闊達さから打って変わってエレガントな曲想、その優美さに浮かびあがるのはサンスーシ宮殿しかない。このロココな雰囲気と曲がぴったり重なってしまうのも、C.P.E.バッハのまた凄さ。
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 一昨年の秋に訪れたサンスーシ宮殿。
この公園は広大で、一日かけても回り切れないほど。

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桜が散ってしまうと、いよいよ薔薇の季節だ。
「今、この瞬間を生きる」が花言葉のカルピティーム。
シックなアンテイークカラーで、クラシックなフォルムがいい。
花選びでも、自分の好みがやはり出るものだ、と。
気分が落ち込むと、花に元気をもらいたくなって、つい散財。
ダイニングに飾ると、その周りが見違えるように生き生きとする。
薔薇に活力をもらって、ルーティーンの家事も乗り切ろう。
GWはのんびりと過ごして、英気(?)を養いたいな。

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 評価の高いジョン・アダムズ《シェへラザード.2》を、世界初演時と同じ指揮者、ソリストで体験できるということもあって期待していたコンサート。真打ちはこの曲なのだろうが、前半でのラヴェル《マ・メール・ロワ》が、素敵だった。
 精巧なガラス細工でできたおとぎの国の主人公たちが、動くたびに光を反射して煌めくような音の響き、繊細な表現。聴いているうちにだんだんと童心に還っていくようで、終曲では子供の頃大好きだった世界の民話の本(人魚とか、魔法使いとかも...)までもが浮かび上がり、懐かしさで胸が一杯になってしまった。
 ラヴェルは私にとって付き合いの長い作曲家。10代の頃、勧められるままに《亡き王女のためのパヴァーヌ》《ソナチネ》とレッスンで弾いてから、その独特なニュアンスのある音楽に夢中になった。特にピアノ協奏曲に心奪われてしまって、2楽章を弾きたいがために、スコアまで購入してしまったことを思い出す。

 そして《シェへラザード.2》。アダムズの作品は十年以上前に東京で上演されたオペラ《エル・ニーニョ》で初めて接し、一昨年には東京オペラシティで《サクソフォン協奏曲》を聴いた。洒脱でエキサイティングな流れ、オーケストラをフル活用した構築的な音楽が魅力的で、さすがだな、と。《クリングホファーの死》も、ぜひMETライブビューイングで観たかったが、残念。

 《シェへラザード.2》は、ソリストの気迫溢れる演奏と指揮の息もぴったりで見事だった。
 曲としての完成度も抜群で、過去から学んだという彼自身の語法が強く感じられる(ミニマムに流れない)のが、とても好ましい。音楽に対して真摯であることの証明だと思う。
 でも、ここで表現しようとしているテーマを考えると―この曲は美しすぎる、と。現在の「シェヘラザード」たちが置かれている状況は、夢物語とは程遠く、さらに過酷さを増しているのではないだろうかと。
 昨年に聴いたバーンスタイン《カディシュ》が、当事者の叫びが脳裏に蘇り、胸になにか重いものが覆いかぶさるのを感じながら、会場を後にした。

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       「夜は全てお前のもの...お前が一番美しい...
          もう、いつまでも夜だ...、夜...、夜...」
              (《青ひげ公の城》終結部より 台本:ベラ・バラージュ)

 今だに「ああ、もう一度聴きたい」と余韻の残る、圧倒的な演奏で素晴らしかった《青ひげ公の城》。
 バルトークは室内楽(ヴァイオリン・ソナタなど)では何度か実演に接して感銘を受けてきたけれど、オーケストラ(オペラ)作品は初めて。映像で昔に観ているが実演で接してみると、こんなにも凄い作品だったとは目から鱗。緊張感みなぎるドラマに引き込まれ、魂が異次元に吸い込まれていくような心持ちになった。この作品、大好きだ。

 バルトークは、伝説や寓話でよく知られるこの物語を、耽美で倒錯的ともいえる愛の形に置き換え、男女の濃密な心理劇として、くっきりと鮮やかな輪郭で描いていく。その背景は、禁じられた扉を開くたびに見えてくる、どこまでも幻想的な美の世界だ。
 全編を通して現れる血の動機に感じるのは、滴る鮮血の氷のような熱さ。冷え冷えとした流れの中から、時折泡立つように浮き上がってくる色彩が、どんどん鮮やかになっていき、胸が締め付けられる。そして徐々に無色に近づき、最後は永遠の闇だ...。

 ユディットはそれまでの人生全てを投げ打ち、青ひげ公に嫁いできた。すべてを知ってはならないという青ひげ公の懇願を受け入れず、「口づけをおくれ...」という愛の求めにも応じず、「すべての扉を開けてほしい」と要求する。
 愛という名のもとに(愛しているがゆえに)、相手を支配しようとする女と、その望みを受けいれようとする男。でも、女がその望みを果たそうとするその時に、関係は逆転してしまう。男女の愛は、かくも謎めいて不可思議なもの…と、改めて感じたエンディングだった。
 
 これが演奏会形式であったのは幸いだったな、と。
 観客それぞれが自分のイマジネーションを自由に膨らませられる。この壮大で幻想的な世界を舞台で表現するのは、至難の業だと思う。

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 すっかり春爛漫の陽気。イースターを明日に控えたこの時節にふさわしい、前半のプログラム。
 メシアン《忘れられた捧げもの》は、本格的な作曲を開始した頃のもので(20代前半)、初期からカトリックの信仰に貫かれている姿勢が明確。イエスの憐みとそれを忘れてしまった人間の罪がテーマであり、イエスの「十字架」「聖体の秘跡」と人間の「原罪」のコントラストが心に響く。最後に弦で奏でられたピアニッシモ、このかすかな一筋の光線のような表現は、やはりメシアンでこそのもの。この敬虔な想いを、自分は生かされているのだという感覚を忘れないようにしたい。

 そしてドビュッシー《聖セバスティアンの殉教(交響的断章)》。これは初めて聴く曲だったので、楽しみにしていたもの。ダヌンツィオからの依頼と作詞ということもあるからだろうか、第1曲〝百合の園”開始のファンファーレがジャポニズムの感覚がかなり強かったので驚いてしまった。題材はもちろん殉教した聖セバスティアンなのだが、私の中ではプッチーニ《マダム・バタフライ》《トゥーランドット》と音楽が被ってしまった。ドビュッシーは音楽のジャポニズムの第一人者だが、ピアノ曲や《ペレアスとメリザンド》等でも、ここまでくっきりと感じたことがなかったので...。
 第2曲「法悦の踊り」から終曲「良き羊飼いキリスト」では、ドビュッシーの真骨頂ともいえる、神秘的な雰囲気に包まれて、殉教の魂も鎮まるような穏やかさ。この2曲を通して宗教的静謐さに満ちた前半から、後半のバルトークの歌劇《青ひげ公の城》へ。このバルトークが素晴らしくて!オーケストラを聴く醍醐味を存分に味合わせてくれた壮絶な名演、また改めて記したいなと。
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ジョヴァンニ・ベッリーニの描く美しすぎる聖セバスティアン。
ヴェネツィアのアカデミア美術館にて。


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 ヴァティカン絵画館の入り口。博物館には世界中から観光客が集まってくるため、ともかく凄い人出で、入場予約をしないと待ち行列に並ぶことになる(同時期に行った知人は予約を忘れ、本当に2時間並んだとのこと)。今回は朝の9時半に入り、閉館時間まで見学していたので、丸一日がかり。金曜日だったので、夜間入場(夜11時まで開館!)も考えたけれど、サン・ピエトロにも寄らないと来た意味がないので、それは諦めた...。
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 ギャラリーで目を惹いたマルコ・パルメッツァーノをパチリ。かなり大型サイズ、彼独特のタッチ。色彩の鮮やかさと聖母マリアの高貴な佇まいに(硬質な表情がいい)、天使の羽や衣装の質感もなんとも言えない色合い。背景の情景も細やかに描かれており、素敵だった。

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絵画館前通路から望むサン・ピエトロ。どこも人で一杯...。

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 今月初めまで開催されていた《ティツィアーノとヴェネツィア派展》で、昨年のヴァティカン&ヴェネツィアで出会って惹かれたマルコ・パルメッツァーノの名前を見つけたときは嬉しかった。今回の美術展では、さすがヴェネツィア派、ティツィアーノやベッリーニ、ティントレットという巨匠のほかにも、様々な画家がひしめいていて層の厚さを感じずにはいられない。
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 ここでのマルコ・パルメッツァーノは2点。どちらもヴィチェンツァのキエリカーティ宮絵画館からのもの(ヴィチェンツァ、行きたかったな...)。この作品もマルコ・パルメッツァーノらしさがよく表れているけれども、ヴェネツィアで観たものは、色彩と聖人たちの佇まいが際立って美しく、目を奪われてしまった。
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 構図はジョヴァンニ・ベッリーニの《ピエタ》に明らかに由来しているとのことで、ヴァティカンで観たその《ピエタ》を。こうしてみると、ジョヴァンニ・ベッリーニは、ただただ素晴らしい。

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 毎年のことながら、年度末から年度初めは何かと気忙しく落ち着かない日々が続く。仕事中心の日々なので致し方ないとはいえ、こちらのブログも放置状態だ。
 今年の桜はあいにく天候には恵まれず、また改まって桜見物に出掛ける余裕もなかったが、近所を車で少し回るだけでも花見が楽しめて満足。
 コンサートや美術展へ行く機会も減ったが、無理をしないでカジュアルに自宅で音楽を聴いたり、本を読んだり、近所のシネコンで映画を観たりと、できるだけ時を忘れて楽しめる機会を持つようにしたいなと。

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 最近読んだ本から。

 内澤さんの本は『身体のいいなり』が評判になった際に、初めて手に取った。私と同じように大病をされたこと、ヨガに嵌まったというところに(私が勝手に)共通点を感じて、興味深く読んだことを覚えている。身体のダイレクトな変化とともに精神面も変化していくところが、内澤さんの表現で率直に綴られていて、そのストレートさには爽快感さえ感じられるほど。女性として、こうたくましくありたいと思わせてくれる骨太な生き方がカッコいいなぁ。

 先月の新聞の読書欄に、内澤さんによる移住についての寄稿文とお勧めの本が載っていたが、この『漂うままに島に着き』は都会から地方へ移住した体験のエッセー。
「いつのまにか、地方よりも都会が、東京が、ディストピアになってしまったのだと思う」という一文に深くうなづかされた。私も一応東京生まれ、東京育ちだが、この見渡す限りのコンクリートジャングルに埋もれていると、なんと自然というものから遠く隔たってしまっているのかと、唖然とすることがある。そして時折感じる息苦しさ、人間も自然の生き物なのに。
「家の石垣に腰かけて、ヤギのカヨとカヨの息子のタメと、青い青い海を眺めていると、綺麗すぎて、自分は実はもう死んでるんじゃないかとすら思う。…楽しすぎるんだけど、これ夢じゃないの?とも」。読者として、そのシーンを想像しただけでも、まるでユートピアのよう。本当の豊かさとはいったい何を指すのだろうか?実体験に基づいたリアルな洞察が、そこにはある。

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# by marupuri23 | 2017-04-09 22:02 | | Comments(0)