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新国立劇場《ガラスの動物園》~R4.10.1_e0036980_22502608.jpg
「かわいらしい銀の靴のようなお月さま。…さあ、ローラ、お願いしなさい!」
「なにをお願いしたらいいの、母さん?」
(声はふるえ、目は突然涙にあふれて)しあわせを!あんたのしあわせをだよ!」
『ガラスの動物園』小田島雄志 訳

 秋は劇場シーズンの始まり。フランス国立オデオン劇場からの招聘公演へ。
 テネシー・ウィリアムズによる、あまりにも有名な戯曲。更に有名な『欲望という名の電車』は強く印象に残っているが、この『ガラスの動物園』は初めての体験。ということで、鑑賞前に新潮文庫の訳書を読んだが、当然、自分なりのイメージが出来上がってしまう(ありがち…)。そのことが、今回は裏目に出てしまった。

 母親アマンダ役の主演ユペールは熱演で、その生活感に乏しい華やかな美しさが、この役には合っていたのだろう(私のアマンダのイメージとは遠いのだが)。さすが、フランスのトップ俳優のオーラ出まくりで、美しすぎるユペールに驚愕。彼女を観るだけでも価値あり。
 アマンダは『欲望という名の電車』のブランチと同様に゛かつては華やかな暮らしをしていた”゛美貌の持ち主である(だった)”など共通点が多く、まるで精神的な姉妹のよう。過去に縋り、現状を受け入れることができないという悲劇的人物である。

 でも、私のなかでの『ガラスの動物園』の主人公は、なんといっても若い娘のローラである。ローラの持つ障がい(歩行がままならない)が、彼女の性格を更に内向きにさせているのだが、今回の舞台では、その表現が曖昧なのが一番気になった。障がいをどのように表現するか、というのは演出として大変難しいと思うが、この部分はローラという人物を形作るうえでは外せないものである。
 また、ローラのコレクションにあるガラスのユニコーンは、彼女自身の象徴。ユニコーンには角があり、幸福をもたらす奇跡の存在だが、ローラは角を普通の馬と違う、つまり欠点だと思っている。ユニコーンが床に滑り落ち、角が取れた際には「角をとってもらって、この子もやっとー普通になれたと思っているでしょう!角のないほかの馬たちと、これからはもっと気楽につきあえるでしょう…」と話すのだ。角は彼女の個性で、普通と違うことこそが、彼女を彼女たらしめているのだが、そのことを負い目に感じている彼女の思いに、胸が締め付けられる。
 あと、友人もできないほど人見知りをするローラが、兄ならともなく、いくら好きだった同級生とはいえ、数年ぶりに合った男性に、しきりと抱き着くようなことをするわけがない。
 …現代的に表現しているのかもしれないが、原作とは乖離しているのではないかと(それで良いのか悪いのかは分からないが)、自分のなかでは疑問符のまま、鑑賞を終えた。

 この戯曲は、その後のアマンダとローラについては述べられていない。それは、観客の想像に委ねられている。ウィリアムズの実在の姉とは違う未来に進んでいったことを強く願う。

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海水浴の人達で溢れかえるビーチ
アマルフィ海岸にて

 ラヴェッロから30分程バスに揺られて下界=アマルフィへ。下に降りていくほど乗客が多くなり、終点のアマルフィに着く頃は満員状態。そして、バスを降りたとたん、ビーチに人がひしめき合っているのに圧倒される。シーズン真っ盛りのアマルフィは、凄いことになっているのだった。
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 これはいくらなんでも無理(のんびりできない)と呆気にとられるが、気を取り直してドゥオーモへ向かうことにする。まず迎えてくれるのは「海の門」。
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 この「海の門」はレナート・ロッシのデザインによる陶芸作品で、鮮やかな色合いが南国気分を盛り上げる。ここを通り抜ければ、すぐにドゥオーモのある広場となる。

ヘンデル・フェスティバル・ジャパン《セメレ》~R4.5.15_e0036980_19504044.jpg
 これぞバロックオペラ!!
 コロナ禍となってから外出自体を躊躇しがちとなっていたが、やっぱり大好きなヘンデルをどうしても聴きたくて、当日券でヘンデルのオラトリオ《セメレ》へ。遂に日本でもここまできた感の素晴らしい演奏に感無量。行って本当に良かった…。
 オラトリオだけど、世俗的とあるように、オウィディウスの神話『変身物語』から題を取り、ゼウスらが登場する中身はオペラそのもの。最後はアポロンがバッカスの誕生&愛を讃えて幕。
 4時間の長丁場だったが、歌手ではカウンターテナ-中嶋さんがクリアな美声で印象的。何よりオーケストラが集中力を切らさないアグレッシブさで上手い!大成功で拍手の嵐、私もスタンディングオべーション。
 ただ、観客は普段オペラを観ない方も多いのだろう、このオペラ的な作品(なにせ謳い文句が「淫らなオペラ」だ)を、バッハのカンタータを聴くがごとく「きちんと正座して拝聴せねば」的な雰囲気なのである。いやいや、オペラは娯楽であり、観客が喜んでこそなんぼである。このご時世で、Bravo等の声掛けは難しいが、その分、素晴らしかった歌い手さんへは、独唱後に盛大な拍手を送り、その意を伝えていく。そのやり取りで、どんどん場の雰囲気がほぐれ、盛り上がっていく。「いいぞ!」という観客の熱気が奏者をさらに鼓舞させ、演奏が高みに上っていくという相乗効果が生まれていた。これは、生の舞台でしか味わえないもの、舞台の醍醐味である。

 全国紙でも大絶賛「その魅力をようやく日本の音楽家たちが十全に示せる時代になった」(朝日夕刊)。それなのに、残念ながらこの団体では同規模の公演を今後行わないそう。
 …これから私は一体どこでヘンデルのオペラを定期的に聴けるのやら。毎年パリやらハレやらヨーロッパまで行けということなのか(泣)。

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ヴィラ・チンブローネの帰りに寄ったリストランテで
優しい野菜のお味に癒される
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 朝からのんびりとヴィラ・チンブローネを散策していたら、ちょうどお昼時。午後はアマルフィに行くつもりなので、ヴィラを後にして、ホテルに戻る途中のリストランテでプランゾ。時間が早いためか、空いており、窓際のテラス席へと案内される。のどかな風景を眺めつつお昼ご飯。
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東京二期会《エドガール》~R4.4.24_e0036980_17554819.jpg
数年前のピッコロ・レージョのホワイエにて
ここで再構築初演された公演DVDの展示が
(タイトルロールはホセ・クーラ)
 
 プッチーニ好きとしては、もちろん気に入っている作品だが、上演自体が極端に少なく、実際に聴くのは初めて(CDでしか聴いたことがない)。
 プッチーニの初期の作品だが、すでに彼特有の旋律美がそこかしこに感じられることに加え、ヴェリズモ的な熱量の高いストーリーと音楽。ストーリー自体にかなり無理があるのは承知のうえだが、あまり聴くことのできないプッチーニの作品である。聴き逃せないと渋谷のホールへ。
 指揮は3年前に北京で聴いて以来のバッティストーニ。コロナ禍ゆえ、オケと歌手はオール日本人だが、これまでの経験の積み重ねによるこなれた感があり、充実した演奏を聴くことができた。テンポはゆったりめで、ストーリーの内容からメリハリ(緊迫感)がもっとあってもよかったかも。今回は、私の好きな1幕最終場を実際に聴けただけでも、嬉しい。
 ただ、いろいろと難のある作品である。今後も上演自体は難しいだろうなぁと。
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 初演はスカラ座なので、以前ここを訪れた際に撮ったプッチーニ像を。名前はラテン語表記(PVCCINI)。