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 世界的に有名な美術館や劇場、芸術家を取り上げたドキュメンタリー映画は今までにいくつか観ているが、この《メットガラ》は中でも出色の出来!面白かった。
 舞台はNYのメトロポリタン美術館。「鏡の中の中国」展(中国をテーマとした服飾展)と、それに絡めた《メットガラ》と呼ばれるセレブパーティ開催までの経緯を描いている。ヴォーグ誌編集長アナ・ウィンターの采配ぶりを目の当たりにできるのも面白いけれど、見どころはキュレーターのボルトンが「鏡の中の中国」展にこぎつけるまでの獅子奮闘ぶり。
 ここで繰り返し問われるキーワードが「ファッションは芸術か?」。芸術といえば絵画、彫刻、建築を指すものだという意見が映画でも出てくるが、生活に密着しているものこそ、美しくあるべきだし、美しくあってほしい。
 それがアートに発展していくのは当然だし、服飾はもちろん器や家具なども同様だ。日本にも芸術性の高い伝統工芸品が山ほどある。私は香りが好きだが、香水だって芸術品と呼べなくはない。特にファッションや香水は、ファンタジーに溢れていて、身にまとった瞬間に、何か別な世界が開けていくように思えることも…。
 また、ファッションには知性が必要。映画でのデザイナー達の見事なドレスを目の当たりにすると、これが芸術でなくて何なのだろうか、と。
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 シノワズリのドレス。この辺りの時代から「鏡の中の中国」は始まるのかな。ポツダム・サンスーシの中国館を想い起させる、これはまた他の機会に。

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 喪失に伴う痛みと再生を驚くべき寓話性で描き上げた、なんという美しい映画!思わず涙が溢れてしまった。
 監督はナポリ出身で、まだ30代のエドアルド・デ・アンジェリス。パオロ・ソレンティーノ監督がアカデミー賞のイタリア代表作品に強く推薦したほか、ダヴィット・ディ・ドナテッロ賞の最多6部門で受賞したとのこと。それも納得の作品。
 
 舞台は海辺の貧しい田舎町(撮影場所はガゼルタ。寂れた感じの描写も素晴らしい)。移民も多く、貧困はすでにありふれたものとなっている。そんな町で、統合性双生児のヴィオラとデジーの姉妹は、まるで珍しい見世物のようにパーティーなどで歌を披露し、家族のために生計を立てている。
 もうすぐ18歳になろうとしている二人の自我がぶつかり合うのは当然で、デジーは分離手術をして〝普通”になることを強く願っている。しかし片方のヴィオラはあまり乗り気ではない。いや、デジー無しでは生きてはいけないという不安の方が強く、なぜ分かれる必要があるのかと反発する。そんな二人(二人で一人ともいえるけれど)が、分離手術を受けるために家出を...というストーリー。

 主演の二人は実際の姉妹だが、初めての演技とは信じられない!ティーンエイジャーらしい憧れと無邪気さが溢れ、明るい歌のシーンから、絶望的な境遇での思い詰めた場面まで、実に自然で胸を打つ演技。そして、より二人の無垢さを際立たせる両親、神父を演じた俳優たちも見事だった。もちろん映像も美しい。
 また、この監督の次回作を是非見たい!

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 アンコール上映されたマルコ・ベロッキオ《夜よ、こんにちは》。アンコール上映だが、今回の映画祭で観た中ではマイ・ベスト。
 エンディングで流れたシューベルト《楽興の時(有名な第三番)》の明るさと、殺害されたはずのモーロ元首相が解放されて街を歩いていく姿が、まるで映画の題名のように矛盾を強く感じさせるもので、印象に残った。
 この映画で描かれているのは、実際に起きた「赤い旅団」による元首相モーロ誘拐殺害事件(1978年)。「赤い旅団」のテロリストたちの、誘拐監禁から殺害に至るまでの経緯を追っていく。このテロリストたちによる論理は、現在からみればいいようのない不可解さがある。でも、それは現在のテロリスト達とも似てはいないだろうか?
 ベロッキオは、ただ史実を描こうとしているのではなく、映画ならではの技法を駆使して、夢という形でもう一つの真実を描こうとしているところ、これが素晴らしかった。こうした夢と現実の交差の描き方が、私はとても好き。緊迫感のあるカメラワークも秀逸。
 イタリアの歴史を変えた事件でもあるので、これは見た方がいいと勧めてくれた知人に感謝。

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 トリノが舞台と聞いて、観たくなってしまった作品。
 上映後の監督への質疑応答で「なぜ、ミラノでもフィレンツェでもなく、トリノを選んだのか?」との問いに「始めは舞台をパリにするつもりだったが、その計画が頓挫したので、パリに雰囲気の近いトリノを選んだ。イタリア人にとってトリノは魔法のような街。光が独特で、この映画ではトリノの街自体が主役にもなっている」と。
 映像では、トリノの晩秋を彩る黄金色が映え、この街がまさに主役級の存在を放ち、情感を盛り上げていた。思っていたより(やはりというか)大きな都市。主人公たちを取り巻く人間関係も、フランス人や東欧出身など多様性がある。
 物語は「すべての女性に捧げる」という監督の言葉から窺えるように、女性に対する暴力(DV)をテーマにしているが、暴力を受けるのは女性だけではない、それは弱いものへ、弱いものへと流れる(子供や移民まで)。そして暴力も様々な形をとっていく。そこから立ち直るのは、容易なことではない。

 主人公である母親は夫のDVから逃れるためにローマからトリノへ移り住む。13歳の息子と共に。知らない土地(文化)に住むことも容易でないことは明らか。全てを捨てマイナスの状態から生活を再構築していく過程が、丁寧に描かれている。人は人によって傷つけられるけれど、人を救うのもまた人であると再認識。

 マルゲリータ・ブイは、生活に疲れた50代女性という設定なのでノーメイクで出演。抑えた表情のなかに感情を滲ませ、リアリティのある演技。そして素晴らしかったのが13歳の息子ヴァレリオを演じたアンドレア・ピットリーノ!天才じゃなかろうかと思った。

 印象に残ったのが音楽。フランチェスコ・チェラージによるもの(先月聴いたエイナウディと似ている)で、ミニマル・ミュージック的だが、この作品にとても合っていた。監督によると、自身が音楽好きということもあって、気を配っているとのこと。今回も、俳優に音楽を聴いてもらいながら演じてもらったそうで、だからああした演技が出るのかな、なるほど。

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 イタリアで話題になった作品とのことで(日本未公開)上映会へ。
 監督&主演はイタリアで数々のヒット映画に主演している、ローマ出身のエドアルド・レオ。
 脚本もレオで、物語は近代都市であるミラノ(これ重要だな、と)が舞台。フリーランスのエンジニアであるクラウディオ(レオ)がクラウドファンディングで資金を調達するため、目標額に達したら恋人のアンナとの究極のプライベート映像(夜の営み)を中継すると、酔った勢いでネットに載せてしまう。その後の騒動を描くコメディなのだが、現代社会への風刺がかなり効いていて、鋭い考察を苦い笑いで包み込んだもの。見終えた後に、身につまされるというか、他人ごとではないかも、という漠然とした危機感を覚えてしまった。 
 主人公の置かれている境遇(非正規雇用)も現代性があり、映画のテーマとなっているインターネットから受けている恩恵は計り知れないが、負の側面にスポットを当てると、これほど恐ろしいものはないな、と改めて感じてしまう。

 上演後の質疑応答でレオが登場。「映画は撮る人に似ている。タランティーノも、スコセッシも、ティム・バートンも、受ける印象と映画が一緒だと思う。だから私の映画も私に似たものになっているはずだ」とのこと。自分で脚本を書いたので、台詞は一字一句全て覚えているそうだ、才能あるなぁ。映像でも、洒落が入っていて凝っているし。

 アンナを演じたフォリエッタは、真面目な教師役にぴったりの演技。コメディに華を添えるのは、美しい女優だけではなく味のある脇役も大事。アンナの伯父を演じたロッコ・パパレオの芸達者なこと、登場するだけで面白さを醸し出せるのは凄い!

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 アヴィタルのマンドリン演奏を聴いて思い出したのが、ヴェネツィアの音楽博物館。サン・マルコ地区の教会(アカデミア橋の近く)にあり、偶然通りかかった際に発見。
 展示テーマは「アントニオ・ヴィヴァルディと彼の時代」。ヴェネツィア音楽の代名詞であるヴィヴァルディの名前が掲げられている。入場は無料で、中に入るとアルテミオ・ヴァザーリなる人物のコレクションである歴史的楽器がズラッと並んでいて壮観。
 もちろんマンドリンも豊富。この美しいマンドリンを見て!19世紀もの、うっとり。
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 ヴェネツィアのナポリ人会のマンドリンだろうか、どんな音がするのだろう。こうした歴史的な楽器で聴いてみたいな。
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 来日の度に聴かずにはいられない、楽しみにしていたヴェニス・バロック・オーケストラの公演へ。
 今回はマンドリン奏者のアヴィタルがソリスト。曲はもちろんヴィヴァルディがメイン!ヴィヴァルディがマンドリンのために作曲した協奏曲を実際に聴くのは初めて。というか、マンドリンは愛好者も多いポピュラーな楽器でありながら、オーケストラとの共演を含め、演奏自体を聴くこと自体が滅多にないので、そうした意味でも、マンドリンの響きに触れるのを楽しみにしていた。

 ヴェニス・バロックの音、鳴った瞬間からみるみる空気が変わっていくような味わいはいつもながら。明るく艶のある、ヴェネツィアン・サウンドとはこのこと。軽やかでありながら、そこはかとない哀愁が漂い、夢うつつの境地に誘ってくれる。イタリア(ヴェネツィア!)の風を感じるがごとくで、すっかり気持ちは憧れの地へ。
 オーケストラの精度としては、前半は今一つだったかもしれないが、このオケ&曲でそれをいうのは全く野暮というもの。エヴィソンの合奏協奏曲はポリフォニックな味わいで、オケ自体の表現力もアピールしようとする心意気が伝わってきた。
 
 そしてアヴィタル、これはもうマンドリンしゃない!と思わせてしまうほどダイナミックでエキサイティングな演奏。まず、音自体がよく響いて、こんなに輝かしい音が出るのかと驚いてしまった。そしてオーケストラ相手に一歩も引けをとらない音量と迫力。表現の幅が広くて、繊細なピアニッシモの甘やかさにもうっとり。マンドリンでここまでできるなんて!
 最後に演奏されたヴィヴァルディ《四季》〝夏”は、ヴェニス・バロックの十八番中の十八番だが、聴くたびにこの曲自体の斬新さに打たれてしまう。当時はさぞかし衝撃的だったろうと納得がいく、奇跡の一曲。
 一番気に入ったのは、パイジェッロのマンドリン協奏曲。オペラ・ブッファを想い起させる、生き生きとした躍動感があり、とっても魅力的だった。雰囲気がヴェネツィアというより、やはりナポリっぽくて、楽しいこと!

 マンドリンを情熱的にかき鳴らすアヴィタルは、とても素敵で、これで愛の歌でもうたわれようものなら、全ての女性がコロッと参ってしまいそう。若さの勢いがあっていいな、と。

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 C.P.E.バッハによるフルート協奏曲をパユ&ピノックで。
 パユは実際に何度か聴いていて(最近は一昨年のコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲で。フルートの音色に「うわっ、誰?」と、オペラグラスで確認したらこの方だった)もうかなり前のことになるが、このデュオの来日公演でJ.S.バッハを聴いたことを思い出す。
 この時はモダン・フルートとチェンバロの組み合わせにどうも違和感があったのだけれど、このCDではアンサンブルなので音のバランスもよく、何よりC.P.E.バッハのギャラント様式は、パユの華麗な技巧を存分に生かすのにはうってつけ。鮮やかで切れのある演奏を楽しませてもらった。やっぱり「ベルリンのバッハ」は意表を突く展開が斬新で、カッコいい!

 特に気に入ったのが、ニ短調Wp22の第一楽章。「手本となる傑作、素晴らしい対位法」とパユが語っているが、私はやはりこうした曲が好きなんだなぁと、再認識...。気に入ると何度も繰り返して聴いてしまうため、この曲が耳タコ状態。
 第二楽章はこの闊達さから打って変わってエレガントな曲想、その優美さに浮かびあがるのはサンスーシ宮殿しかない。このロココな雰囲気と曲がぴったり重なってしまうのも、C.P.E.バッハのまた凄さ。
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 一昨年の秋に訪れたサンスーシ宮殿。
この公園は広大で、一日かけても回り切れないほど。

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桜が散ってしまうと、いよいよ薔薇の季節だ。
「今、この瞬間を生きる」が花言葉のカルピティーム。
シックなアンテイークカラーで、クラシックなフォルムがいい。
花選びでも、自分の好みがやはり出るものだ、と。
気分が落ち込むと、花に元気をもらいたくなって、つい散財。
ダイニングに飾ると、その周りが見違えるように生き生きとする。
薔薇に活力をもらって、ルーティーンの家事も乗り切ろう。
GWはのんびりと過ごして、英気(?)を養いたいな。

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 評価の高いジョン・アダムズ《シェへラザード.2》を、世界初演時と同じ指揮者、ソリストで体験できるということもあって期待していたコンサート。真打ちはこの曲なのだろうが、前半でのラヴェル《マ・メール・ロワ》が、素敵だった。
 精巧なガラス細工でできたおとぎの国の主人公たちが、動くたびに光を反射して煌めくような音の響き、繊細な表現。聴いているうちにだんだんと童心に還っていくようで、終曲では子供の頃大好きだった世界の民話の本(人魚とか、魔法使いとかも...)までもが浮かび上がり、懐かしさで胸が一杯になってしまった。
 ラヴェルは私にとって付き合いの長い作曲家。10代の頃、勧められるままに《亡き王女のためのパヴァーヌ》《ソナチネ》とレッスンで弾いてから、その独特なニュアンスのある音楽に夢中になった。特にピアノ協奏曲に心奪われてしまって、2楽章を弾きたいがために、スコアまで購入してしまったことを思い出す。

 そして《シェへラザード.2》。アダムズの作品は十年以上前に東京で上演されたオペラ《エル・ニーニョ》で初めて接し、一昨年には東京オペラシティで《サクソフォン協奏曲》を聴いた。洒脱でエキサイティングな流れ、オーケストラをフル活用した構築的な音楽が魅力的で、さすがだな、と。《クリングホファーの死》も、ぜひMETライブビューイングで観たかったが、残念。

 《シェへラザード.2》は、ソリストの気迫溢れる演奏と指揮の息もぴったりで見事だった。
 曲としての完成度も抜群で、過去から学んだという彼自身の語法が強く感じられる(ミニマムに流れない)のが、とても好ましい。音楽に対して真摯であることの証明だと思う。
 でも、ここで表現しようとしているテーマを考えると―この曲は美しすぎる、と。現在の「シェヘラザード」たちが置かれている状況は、夢物語とは程遠く、さらに過酷さを増しているのではないだろうかと。
 昨年に聴いたバーンスタイン《カディシュ》が、当事者の叫びが脳裏に蘇り、胸になにか重いものが覆いかぶさるのを感じながら、会場を後にした。

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