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 カ・レッツォーニコの見学コースは2階の舞踏用ホールから。クロザートによる、だまし絵的(トロンプ・ルイユ)な天井画がいかにもバロック的。天井だけでなく、壁面もそのような設えで、なんともいえない華麗な空間となっている。
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 中国の陶磁器の見せ方が、こちらでは考えつかないないようなもので、ヨーロッパ的なものとの強引な融合に「…凄い」と。
 一昨年ドレスデンでも、日本&中国の陶磁器コレクションと、マイセン(初期の初期のもの)をたくさん見たけれども、それは美への執念が感じられるものだった。お互い、持っていないものに憧れるのは同じだなぁ。

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 ヴェネツィア・バロックの建築家、ロンゲーナによるカ・レッツォーニコへ。
 邸館を正面から眺められなかったのが残念だけれども、内部は1700年代ヴェネツィア博物館となっており、当時の雰囲気をうかがい知ることができる。
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 邸内ホールに一歩足を踏み入れたとたん、豪華な室内装飾に驚愕。フェニーチェ劇場や規模の大きいドゥカーレ宮殿とは違って、住まいの場としての華やかさに満ちている。
 色も鮮やかなヴェネツィアン・グラスのシャンデリアに目が釘付け。ここはオテル・ダニエリかと思ってしまう。ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』のミリーが借りたパラッツォもこんな感じだったのだろうかと…。
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 ―「パラッツォー・レポレルリは、飾り付けをした極彩色の厳めしい偶像のように、いまだにその大きな膝の上に過去の歴史を抱いていた。この宮殿で絵画や骨とう品に取りかこまれ、崇拝され奉仕されているのは、豪華なヴェニスの消し去ることのできない過去だった」— (『鳩の翼』青木次夫 訳より)
 そう、ヴェネツィアは過去の豪華さを、まだ切なく留めようとしているような雰囲気があり、過去に沈む都市というイメージが、私にとっては強い魅力の一つだ。その運河や音楽、絵画全般にノスタルジーを感じてしまう。

 ここはカナル・グランデに面しており、ヴァポレットも泊まるのだが、信じられないほど見学者が少なくて、ゆったり過ごせる。絵画を含めた展示品も見ごたえがあって、思った以上に楽しめる博物館。
 

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 浅草七福神めぐりで立ち寄った隅田川。雨だったので、ゆりかもめも何とはなしに憂鬱な佇まい。
 こんなグレーカラーの日に隅田川でゆりかもめ=都鳥を見ると、「われもまた いざ言問はん都鳥 わが思ひ子は東路に ありやなしやと」と《隅田川》の謡が思い返されてくる。
 悲哀極まる話だが、伊勢物語(東下り)を引き合いに出しての渡し守との掛け合いのくだりは、何とも風流。川岸にはカフェもあって、こんな日こそ、カフェでコーヒーでも飲みながら、ゆったりと景色に浸れれば幸せ。
 それにしても、ゆりかもめはとっても可愛い。都鳥だけれど、「鄙(田舎)の鳥」と言われてしまうのは、まぁ仕方ないか。
 《隅田川》は狂女物だが、オペラでも狂乱の場が見せ所になっている作品がいくつもある。イタリア・ルネサンス文学の《狂えるオルランド》もそうだけれども、この「狂う」という行為に託すものが、東西問わず共通性があるのだろう。ブリテンの《カーリュー・リバー》もあったなぁ、聴いたことがないけれど、今度聴いてみようかな。

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 先週は浅草へ。今度、友人達を浅草名所七福神巡りにお連れするので、一年振りの七福神もうで。この七福神(実際には九ヵ所)、江戸時代後期にはメジャーだったようだが、戦後は一時中断し、昭和52年に復興。
 九ヵ所あるのは「九は数の究み、一は変じて七、七変じて九と為す。九は鳩であり、あつまる意味をもち、又、天地の至数、易では陽を表す」という故事に由来しているとのこと。「七福神」自体の発祥は京都周辺で、室町時代より記述がみられるそうだ。

 一巡り後は、雷門近くの喫茶店「アンヂェラス」へ。ここは〇〇年前に、先輩が好きなお店だということで連れてきてもらった思い出の場所。青春時代の淡い恋(^^;の思い出…。
小さなノエルの形をした名物ケーキ「アンヂエラス」を久し振りにいただく。白と黒があるのだけれど、私は白が好き。今は懐かしいバタークリームの風味がたまらない。私にとってはかなり甘いけれど、時をおくと、また食べたくなってくるのが不思議。
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 今年のコンサート始めも、ヘンデル・フェスティバル・ジャパンの公演から。
 ヘンデルに敬意を表して、演奏は常にノーカットを旨としているのが凄い。この真摯な取り組みが、昨年をさらに超える音楽の充実として実を結んでいるのが伝わってきた。
 この作品はかなりの長丁場だが、傑作という評価に違わず、長さを感じさせない迫真のドラマが展開され、改めてヘンデルのオラトリオの素晴らしさを目の当たりにすることができた。《メサイア》を除いては、日本で上演に恵まれないヘンデルのオラトリオに接することができて、貴重な機会だったのはもちろんだが、大事なのは、それがヘンデルの「珍しい作品を演奏」→「珍しい作品を聴いた」ということが先に立つような内容ではなく、レンブラントの名画以上の、まるで古代にタイプスリップしたかのような、目の前で聖書のバビロニアの世界が展開する感覚を味合わせてくれたことだと思う。
 ドビュッシーがいったように「芸術というものは、"うそ”のうちで最も美しいうそです。…一般大衆も、エリートも、忘我というものを求めて芸術に集まってくるのではないでしょうか。忘我、これまた“うそ”のもう一つの形式でしょう。」そう、我を忘れるぐらいに、その音楽ドラマに惹き込まれてしまった。

 聖書を元にしているオラトリオだが、プログラムにもある通り、主題は「母が罪深い息子に注ぐ愛に映し出される、国家の衰退」で、時代も宗教も超えた普遍的なテーマとなっている。難しいことを考えずとも、誰でもスッと物語に入り込める。観客を楽しませようとするエンターテイメント性が強く感じられ、面白い。やはり大衆向けなのだろう、同世代のラモーのオペラとの違いを感じずにはいられない。

 演奏では、序曲こそ固さが感じられたものの、冒頭に置かれた母親ニトクリスの嘆きのアリアから、あっという間にヘンデルの世界へ惹き込まれてしまった。
 このアリアを聴くだけで、毎度ながらヘンデルは天才だ、と。どうしてこうも心情にぴったりな音楽を付けられるのかと、信じられない思いになる。
 ヘンデルのこうしたアリアの説得力は凄くて、同世代のなかでも、ずば抜けていると感心してしまう。書法自体も、オペラ時代よりさらに表現が細やかに進化しているように思えて、感動。
 来年の公演も、今からとても楽しみだ。

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 今年の弾き始めもバッハから。平均律2巻の3番BWV 872をチョイスしてレッスン中。
 昨年も平均律2巻の1番ハ長調をコツコツ。前奏曲が複雑なあやとりをしているようで苦労したけれど、好きな曲なので頑張った。フーガの方は思ったよりスイスイ進んで楽しいこと!先生からOKをいただいた後、次はどの曲にしょうかと思い相談。

 私「バッハは平均律ばかり弾いているので、フランス組曲などもやったほうがいいでしょうか?」
 先生「そうねぇ、でもあなたはフーガ好きでしょ」
 私「…そうですね、好きです…」
 先生「平均律のフーガにしたら。2巻はまだそんなに弾いていないし」
 私「はい(そうだなぁ、やはり自分の好きな曲を弾こう!)」と、あっさりまた平均律をレッスンすることに。
 
 なにせ24セットもあるのだから、選び放題である。とはいえ、自分の好みの傾向があるので、また雰囲気の似ている曲になってしまったような。
 第3番変ニ長調を選んで「このフーガ、好きなんです(それに3声だし)」とお伝えしたら、「前奏曲が好きなのかと思ったのだけれど、フーガなのね。この曲のどこが好きなのかぁと、不思議」と先生には謎の様子。「このフーガのテンポ感が好きなんです。スキップするような、ノリの良さがあって…(前奏曲も大変美しいけれど)」と説明するのも難しい(^^;
 好きな曲だとモチベーションが上がるので、今回はあっという間に半分まで進んだ。嬉しいが、他の曲がおろそかになってしまうのが、いけない。ベートーヴェンのピアノソナタ31番のフーガも、いつか挑戦してみたいと思う。

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 冒頭、ベッリーニ《清らかな女神よ》が流れる中、スクリーンに開演前の劇場内部が映し出される。その印象は華やかというより「重厚」。これが歴史と伝統の重みということなのだろうか。過去の栄光の残照が、映像からも伝わってくる。
 いや、「過去」というのは、似つかわしくないのか、音楽監督のバレンボイムが、熱を込めて2014/2015シーズン開幕公演《フェデリオ》をリハーサルしている姿が映し出されており、その奮闘ぶりに(一昨年聴いたベルリン・シュターツカペレの指揮ぶりと随分違っていて驚いた)、現在のスカラ座の葛藤も透かし見えてくるようだった。それはこちらの思い込みかもしれないが…。

 私を含めて、日本のオペラ・ファンにとってミラノ・スカラ座は憧れのオペラハウスの一つだろう。その魅力が、スカラ座の歴史と伝統にあるのは言うまでもなく、「いつか行ってみたい」と思わずにはいられない風格がある。映画の中でも「日本の観客にとっては、イタリア・オペラ=ミラノ・スカラ座だ」と、来日公演を指して語られている。
 それもそうだろう、ヴェルディやプッチーニなど、イタリア・オペラの作曲家に所縁が深いのはもちろん、トスカニー二やカラスなどの歴史的な名指揮者、歌手のエピソードの宝庫で、まさにスカラ座とイタリアオペラ自体の歴史が重なっているのだと、感慨深かった。

 エンディングの音楽はトスカニーニ指揮の《運命の力》序曲だろうか(定かではないのだけど)。初めて聴いたのだが、映画の最後に、この超高速の力強い序曲に仰天してしまった。《運命の力》は私が偏愛するオペラの一つ、実際にこんなヴェルディを聴いてみたかったな、と。

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 今年の聴き始めは、ベルリン古楽アカデミーの《Venice:The Golden Age》を。昨年の来日時に、素晴らしいオーボエ・ソロを聴かせてくれたクセニア・レフラーも参加していて、このCDでもヴィヴァルディとマルチェッロのオーボエ・コンチェルトが聴けるのが嬉しい。色彩豊かなヴェネツィアの華やかさとともに、明るさだけではない、微妙な色合いを帯びた柔らかな哀愁も感じさせてくれる。新年にはふさわしい音楽かなと。これを聴きながら、年賀状をのんびりしたためていた。
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 ヴェネツィア音楽の黄金時代、それはオスペダーレ(慈善院)を中心としたものだった。ピエタ、インクラービリ、メンディカンティ、オスペダレットという4つの女子慈善院があり、ヴィヴァルディはピエタに務めていたというのは、あまりにも有名である。ヴィヴァルディのオーボエ・コンチェルトのいくつかは、ピエタのペレグリーナ(という名の少女)に演奏させるため作られたと思われるそうだ。
 また、ヴァイオリン奏者として名を馳せたカルロ・テッサリーニの曲も収められているが、彼もオスペダレットに務めていた。あのガルッピもメンディカンティで合唱隊を指導しており、18世紀のヴェネツィアにおける音楽の盛況は、他に類を見ない性質のものだな、と改めて感じる。

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 この正月は晴天に恵まれ、気持ちのよい三が日だった。いつものように夫婦それぞれの実家に行きご挨拶。夫は墨田出身、浅草寺近くの牛嶋神社が北斎ゆかり(葛飾北斎が生まれ育ったのは墨田区)とのことで、「寄っていく?」と勧められ、初めてのお参り。浅草寺にはそれこそ昔、大晦日から元旦にかけて、家族で初詣に出かけていたが、川を超えてこちらまでは来ないなぁと。
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 地元の方が多いようで、結構並んでいるのにはびっくり。この神社にある北斎の大絵額は、関東大震災で焼けてしまったため、現在は白黒のパネルのみの展示。夫はTVでカラーのものを観たそうだが、この白黒パネルではよく分からないのが残念。が、86歳で描いたとは思えないような、驚くばかりの迫力は伝わってくる。カラーによる復元が行われ、昨年オープンした「すみだ北斎美術館」に展示されているとのこと。見る機会を楽しみにしよう。
 その後は、私の守り神でもある毘沙門天へ。毘沙門天に守られている地域に実家があるのは、やはり縁を感じるなぁ。

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ヴェネツィア・カ・レッツォーニコにて
  
 今年も家族揃って穏やかな新年を迎えることができました。
また、新たな一年が始まります。
皆さまにとっても、よい年となりますように。
どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

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