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 始めて私がヘンデルのオペラ上演に接したのはパリ(シャンゼリゼ劇場)だった。それから10年以上が経ち、こうしてミラノ・スカラ座でヘンデルの上演に接することになろうとは、思いも寄らぬ時の流れ。
 この作品に初めて接したのは10年近く前になるのではないだろうか。ハレで行なわれているヘンデル音楽祭の上演の映像で、ピノック指揮のもの。ヘンデルのこれぞ天才の技ともいえる音楽の迸りに、一目惚れならぬ一聴惚れで、何度聴いても聴き飽きるということがない。台本と歌手に恵まれたオペラ時代のピークに作られ、傑作と言われるのも納得の作品である。
 なんといっても各キャラクターが音楽によって見事に描き分けられているのが素晴らしく、また、従来のスタイルを逸脱するほどの技法を駆使してドラマを創り上げている。そこからは、ヘンデルがいかに説得力をもった人間ドラマを創り上げるかということに主眼を置いていたことがよく伝わってくる。
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 物語は、タタール皇帝タメルラーノと、その捕虜となったトルコ皇帝バヤゼットとその娘アステリアを巡る悲劇。
 演出ではロシア革命に置き換えられていたものの、台本はその時代の定番スタイルに概ね沿ったものであり、どのような演出となっても(ヘンデルの権威であったディーン博士の著書にある「タメルラーノに、最初のアリアの歌い始めに逆立ちさせたり、そのほか考えうる限りの滅茶苦茶をいくつかのアリアに持ち込み、さらにヘンデルがきっぱりと捨てた音楽を元の場所に戻して、第2幕の素晴らしいフィナーレを台無しにしたのである」というような例は、さすがに今では無いと思いたいが)根本的には作品の解釈に影響を与えないように思う。政治的なものより、冷徹な君主に翻弄される恋人達の心情や親子の情愛、誇り高き英雄の嘆きが軸となっているためである。そうした意味では、やはりオペラ(「ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージック」の、つまり商業的な)だな、と。
 ロシア革命の生々しい臨場感はあまり感じられなかったものの、舞台的には大変美しく、衣装もなんとエレガントなこと!スカラ座にはマッチしていた。オーケストラも歌手もバランスが取れており、安定感のあるヘンデルを聴くことができた。

★歌手については、また後日…。

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 イタリアでの音楽の旅を終え、本日無事に帰国しました。トリノ&ミラノでの音楽祭に締めはスカラ座でのヘンデル。
 昨年はローマ歌劇場でパーセルを聴いたが、イタリアまで来ておきながらバロック系を選択してしまうのは好みゆえ、仕方がない...。
 今回の旅はスカラ座の公演を軸に組み立てたが、音楽祭も体験したことで、コンサートの在り方(音楽への向き合い方)の日本との違いにも思いを巡らせざるを得ないような心境になった。いろいろな気づきを得られて貴重な体験をさせてもらった。ありがとう、MITO音楽祭&スカラ座。また、ゆっくりと体験を振り返っていきたい。
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 残暑の気配が濃厚になり、世はお盆休み。
 私もちょっと一休み、家族とイタリアンへ。まずはプロセッコで乾杯!お酒はあまり飲めないけれど、せっかくなので少しいただく。このフリウリ・ヴェネツィアジュリアのもの、爽やかで香り高く、美味しい。スルスルと喉に入っていくため、アルコールの弱い私には危険…。
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 自家製生ハム&クロスティーニ。ナスのクロスティーニが香ばしく、季節を感じさせてくれて嬉しい。オリーブもお酒が進む。
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 東北からの直送ウニを使ったスパゲッティ(イタリア語だとウニはriccio di mare、「海のハリネズミ」というのが面白い。日本語だと「ウニ」の一言で済む。シンプル・イズ・ザ・ベスト!)。ウニ、好き♪今回はこれ目当て。
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ドルチェのジェラートも自家製。蜂蜜、桃、ヨーグルトバナナ、コーヒー。どれも風味豊かで個性的なお味で美味。いくらでも食べられそう。夏には最高。
 セコンドにはお魚をいただいた。こちらも素材を生かしたシンプルな味付けで、私には嬉しい。
 これで精をつけて、残暑を乗り切ろう。

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 先週の休日に、いつもお世話になっている知人宅(秩父方面)へ同僚たちとお出かけ。快晴(猛暑ともいう…)の中、川辺でバーベキュー&ブルーベリー狩り。ちょこっと山にも登ったりして、久し振りに自然を満喫してリフレッシュ!自然遊びは最高♪
 バーベキューのナスも万願寺も自家製のもので、瑞々しい夏野菜たち。美味しくないわけがない。
 
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 ああ、小さい頃を思い出すなぁ。
 私は都会っ子だけど、小さい頃にはお盆の頃になると、父の故郷へ毎年のように訪れていた。奥深い山々に囲まれた、あれこそ本当に「日本の田舎」。毎日のように田んぼのあぜ道を通り近くの川まで行って泳いで、おやつには畑で採れたトウモロコシを食べて、川魚も美味しくって…。夜になると大人も子供も盆踊りだ。盆踊りは地方によって様々だが、父の所もまた独特の節回しで、方言もあって意味はさっぱり分からなかったが...。そうした記憶が強く残っているからだろうか、自然に囲まれるともう嬉しくて!特に山が好き。
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 もちろんブルーベリーも一つ一つ手で収穫。農薬ゼロ。大事に持ち帰って、朝食にヨーグルトと一緒にもぐもぐ。ああ、幸せ。
 在住の知人夫婦は退職後に都会から移り住んだのだが、憧れの「田舎暮らし」も、外から見るのと実際とは全然違くてね、とのこと。それなりの苦労があることはよく分かるが、こうして田舎暮らしを気前よくお裾分けしていただけると、本当にありがたい。感謝。

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 前回の記事で載せたCD「Dolce Vita」繋がりで…。「Dolce Vita(甘い生活)」といえば、あの映画のあの場面、トレヴィの泉を真っ先に思い浮かべてしまうけれど、そのトレヴィの泉での観光客のマナーの悪さに、25日からローマ市が規制強化に乗り出したと新聞に載っていた。マナー違反者には罰金が科されるそう!
 私が昨年ローマに行った際は、観に行くつもりはなかったのだが、パンテオンから急いで駅方面へ向かっている途中で、突然トレヴィの泉が現れてビックリ。いや、なにがビックリって、泉よりも観光客の多さに驚いた。大混雑で、私の前にいた女性は段差で滑って転倒。慌てて皆で助け起こしたけれど、危険…。
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 こんな感じで人がびっしり。規制強化のため、もう泉の縁に座ることはできません…。そういえば、「Dolce Vita」というイタリア語は無い、とのこと(イタリアの方が「甘い生活」って日本語でも無いでしょ、と)。フェリーニが創った言葉で、パパラッチもそうだとは初めて知った。実は映画、しっかり観ていないので(^^;ちゃんと観よう...。

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 夏本番のこんな暑い季節には、南イタリアを感じさせる熱い音楽を。
 ドイツのテノール、カウフマンによるイタリア歌曲集は、ナポリ民謡からイタリアン・ポップスまでと幅の広いもので、《帰れソレントへ》《カタリィ、カタリィ》等の曲からは、誰もが思い浮かべる「これぞ、イタリア」な雰囲気を味わうことができる。
 オーケストラはシチリアのパレルモ・マッシモ劇場管弦楽団、これが思わず笑ってしまうほどのコテコテのイタリア節とでもいおうか、歌謡ショー的な劇的演奏で凄いなぁと。肩の力を抜いて、ショー鑑賞気分で楽しませてもらった。
 カウフマンは明るく抜けるような声ではないけれど、ダークな声質を生かした情熱的な歌いっぷりで、曲の盛り上げ方が上手く、嵌まっている感じ。

 収録曲では《Il Canto》が素敵だった。2003年にパヴァロッティのアルバムのために書き下ろされたもの。《タイム・トゥ・セイ・グッバイ》と雰囲気が似ていて、切なさと新たな旅立ちを併せ持っているところがいい。
 この曲の最後、Vieni,vieni via con me!のフレーズを、こんな感じで歌われたら(答えはもちろんSi!Certo!いえ、この方のファンではないのですが...)クラクラしてしまうかも…。

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# by marupuri23 | 2017-07-19 22:37 | CD | Comments(0)
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 昨年、システィーナ礼拝堂でガイドブック(ミケランジェロの本)と双眼鏡を手にしてフレスコ画に見入っていた際、近くにいた方から「ガイドブックを見せてほしい」と話しかけられた。ガイドブックを手渡して「どこからいらしたのですか?」と尋ねてみると「アルゼンチン」との返事。そうだ、現ローマ法王フランシスコはアルゼンチン出身だったな、と思いがよぎったものの、あまりおしゃべりをしてはいけない場所だったので、残念。

 そんな思い出もあったので、ダニエーレ・ルケッティ監督の《ローマ法王になる日まで》を鑑賞。法王フランシスコの若かりし頃を中心に描いた伝記映画だ。こうした伝記映画は「作られた物語」という面があることは否めず、その内容に縛られてしまうことを恐れて、あえて「観ない」という方もいるだろう。私もよほど思い入れがあれば観ないという選択をしただろうが、カトリック(キリスト教徒)ではないし、好奇心の方が勝って映画館へ。

 撮影のほとんどをアルゼンチンで行ない、アルゼンチンの役者にスペイン語でという力作。圧巻が1976年からの軍事独裁政権での状況で、背筋が凍った。それは「汚い戦争」と呼ばれ、3万人が死亡または行方不明となった暗黒時代である。そうした過酷な状況でのホルヘ・べルゴリオ神父(フランシスコ法王)を、苦悩して行動を選択していく人間の姿として描いているところが、良かったなぁと。
 ルケッティ監督は、無宗教の立場で扱ったそうだが(ご自身はカトリックではないとのこと)、べルゴリオ神父を含む人々と独裁政権との闘いについて、宗教や信仰、無信仰、カトリックか否かを超えた普遍的なプロセスを描いたと語っている。アルゼンチンへの理解を深めることができたのも、大きな収穫だった。
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ヴァティカン博物館のお土産コーナーにて。
パーパ(papa ローマ法王)もいらっしゃいました。

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 人生の意味とは愛し愛されることだ、と感じさせてくれる映画。人を愛することは、人生を照らす光。そのことを声高に謳い上げるのではなく、むしろ淡々とした語り口。ストーリーが進むごとに、ジワジワと幸福感に満たされ、最後は大団円!こうでなくっちゃ♪
 映画の舞台は、これほどまでに恋人たちの姿が似合う街はないだろうと思われるヴェネツィア。ロマンティックを絵に描いたようなところだが、ソルディーニ監督は「これぞ、ヴェネツィア」という撮り方をしない。旅人であるヒロインを取り巻くヴェネツィア住人の視点から、日常風景を描いている。それは迷宮のような路地に小さな広場の井戸、そして運河にかかる橋。いわゆる名所と呼ばれる場所は映っていないが、そこは、やはりヴェネツィア以外の何処でもない。
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 昨年9月、ヴェネツィアにて(劇場から宿に帰る途中、橋の上で)

 ヒロインと恋に落ちるヴェネツィア住人フェルナンド(ブルーノ・ガンツ)が、アリオスト『狂えるオルランド』を暗唱する場面がある。オルランドがメドーロとアンジェリカが結ばれたことを知って狂い悶えるハイライトシーンだ。恋は人を狂わせるもの、思ってもみなかった自分が現れる。そう、アモーレ(愛の神)の技は、過去から現在に至るまで、かくも強烈なのである。

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 シルヴィオ・ソルディーニ監督の《ベニスで恋して》を鑑賞中。
 リーチャ・マリエッタ演じる主婦ロザルバが、初めてヴェネツィアを訪れ、サン・マルコ広場に到着する場面がある。
 監督は直接サン・マルコ広場を撮らず、店のショーウィンドーに反射するサン・マルコ大聖堂の映像、そしてロザルバのサングラスに映り込む鐘楼で、彼女が今、広場に居ることを表現。この撮り方が上手いなぁと。広場を眺めるロザルバの感激した面持ちが、言葉はなくとも広場の美しさを十分に物語っている。
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 私が初めてサン・マルコ広場を訪れたのはヴェネツィア到着日の14時頃。宿から広場を通り、急いでフェニーチェ劇場に向かったたため、ろくに眺めず通り過ぎた。そして舞台がはねた後、一旦宿に戻る際に再び通過。そしてまたゴルドーニ劇場へ。この時はちょうど日暮れ時。
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 夜11時近くだと、昼間は行列だった大聖堂前もこのとおり。ライトアップされていて、これはこれで雰囲気あり。

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 やっと、ヒューイットのバッハを実際に聴ける。それもオール・バッハプログラム(2日連続!)なんて夢のよう、と高ぶる思いで紀尾井ホールに。
〝The Bach Odyssey —バッハ遍歴”の第一弾は2声のインヴェンションと3声のインヴェンションを軸としたプログラム。ピアノを多少なりとも弾いてきたものにとっては、馴染み深い曲集だ。
 
 この記念すべきバッハ遍歴は《幻想曲ハ短調BWV906》から。嵐の前触れを感じさせるエネルギッシュな曲(半音階が効いていて、カッコいい!)を颯爽と奏でるヒューイットに、初めからノックアウト状態、凄い!
この曲は、C.P.Eバッハがソナタ形式を開発するのに、影響を与えたに違いないとのこと。すっかりこの曲に魅せられてしまい、コンサート後にCDで繰り返し聴いている状態。
そして《イタリア風のアリアと変奏BWV989》を経て、《2声のインヴェンション》《3声のインヴェンション》へ。

 私も2声は全曲、3声は半分程度弾いたが、易しい学習用の曲と認識されがちなこの曲集を、ヒューイットはなんと表現豊かに聴かせてくれたことか。一曲一曲の個性がしっかりと打ち出されており、声部の弾き分けはもちろん、装飾音も美しく、丁寧に吟味を重ねた解釈であることが伝わってくる。
 生き生きとして、曲それぞれが色合いの異なる宝石のような輝き。それはヒューイットと同一化しているファツィオリのピアノの音色でもある。現代のピアノなのに金属的ではなく、まろやかで、フォルテピアノのような響き。
 「たった1ページ弾くためには、どれほどの思索、注意かつ知性が必要とされるか理解していただきたい」とレクチャー(DVD)で語っているが、このような真摯な取り組みが豊かな実を結んでいることに、本当に感銘を受けた。

 そして圧倒的だった最後の《幻想曲とフーガ イ短調BWV904》。オルガン曲を想定していると思われる曲で、バッハを聴く醍醐味(もちろんフーガだ)を満喫。無限に続くとも思われる上昇ループに、気分が最高潮に盛り上がる。ヒューイットのフーガは本当に素晴らしい。お父様がオルガン奏者だったそうで、幼少から身に付いた感覚があるのだろう、オルガンを連想させる広がりを感じさせてくれたのも見事。
 今後も度々日本で聴けるとは、嬉しい限り。

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