教会暦では今日から降誕祭。私はクリスチャンではありませんが、西欧の文化芸術に近づこうとするならば、聖書やギリシャ神話の知識は必須のもの。でも、そこまで深めていくのは、クラシック音楽や西洋絵画が好きであっても、なかなか難しいことです…。表面に描かれている美しさの根底にある精神までをも、理解するなんて、私にとっては、もうそれこそ一生かかっても難しいような気がします。

e0036980_1444970.jpgラ・トゥール《キリスト降誕》。この画家による《大工の聖ヨセフ》の図版が、なぜか家にあり、小学生の頃、早朝の時間つぶしに布団の中でよく眺めていました。そのリアルな炎の描写に「まるで写真みたい…」と感嘆の想いでした。静寂さが支配する、時が止まったような別次元の世界。
数年前に本物の《大工の聖ヨセフ》をルーブルで観た時は、もう感激。別の画家がコピーしたものが、昨年ラ・トゥール展で日本に来ましたが、質は高いものの、やはり比べものになりません。ストックホルムでも真作の1つ《聖ヒエロニムス》を観れたので、嬉しかった。


人間の内面性まで描き出した、厳しい観察眼が窺える絵が多いです。カラヴァッジオとは異なった光と闇の世界を表現しています。私の中ではカラヴァッジオはヘンデル的、こちらはどちらかといえばバッハ的(静謐さが強い)かな。

e0036980_1429254.jpgガーディナーによるクリスマス・カンタータ。このジャケットの赤ちゃん、つぶらな瞳がなんとも微笑ましい。なんて愛らしいんでしょう!子供は光。
BWV151《甘き慰め、わがイエスは来ませり》の1曲目のアリアが素晴らしい。イエスが今生まれたのです!という喜びを、しっとりした甘美なメロディーで表現。

オーボエ・ダモーレが、〈ダモーレ=愛〉そのままに、イエスへの愛を歌っています。それにからむオブリガート・フルートの軽やかさ、まさに天国的。
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北とぴあでの鑑賞でした。
このオペラ、まずゴルドーニの台本がすごいと思いました。名前は有名ですが、実際の作品には初めて接したことになります、度肝を抜かれました。この笑いのセンスというか、世界の捉え方、モリエールと合い通じるものがあるのではないかと思います。イタリア演劇の改革者というのも、深くうなづけました。
この《月の世界》、コメディア・デラルテの精神ー世界のパロディ化、価値観がひっくり返るというところを、もうそのまま表現していますね。来年は生誕300年にあたり、日本でもゴルドーニ関連のイベントが企画されているとのこと、ぜひ他の作品にも接してみたいと思います。

この機知に富んだ台詞に付けられたハイドンの音楽が、これまたぴったりはまっていて楽しい。モーツァルトの師とも言えるハイドン。モーツァルトのように、人の心の奥底までも、見てはならないようなものまで表現してしまう深みは感じられないのですが(時代背景もあるでしょうが、もしくは私にハイドンの音楽が分かっていないからそう感じるのか)、とても上質なものを感じます。そんなにかしこまっていなくて、居心地の良い、もてなし上手のレストランに来た感じ。作品として、よくできていると感心しました。

演出は、この作品の楽しさを変な方向へゆがめてはいないようでしたが(あの悪夢のような《セルセ》を思い出します)、流行を追った、安易な方法で作品の印象までもチープにしてほしくありません。この作品は演奏会形式でも、十分に楽しさが伝わるものと思いました。

オケは、以前のラモーではフランス・ロココの雰囲気が感じられませんでしたが、今回は演奏しやすい曲だったのでしょうか、悪くはない印象です。キビキビとした溌剌さ、鋭さが加わると、ピリッと薬味が効いて更にブッファの醍醐味を味わえたように思えます。歌手の方、森さんは守ってあげたくなるような可憐さですね、ひたむきな歌唱が心に残りました。野々下さんは安定した歌唱、もっとも重要なブオナフェーデ役のベッティーニ、芸達者振りに拍手です。

こうした公演を、よくまあ北区独自で企画運営していると感心。こうした内容のもの、新国立劇場も見習ってほしい…。
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これから仕事なのですが、昨日の温泉が効いて体がポカポカ。あまり力が入らない感じ…。岩盤浴だとこうしたことは無いのですが。

e0036980_13381180.jpg大御所アニェス・メロン&マシュー・ホワイトによる18世紀イタリアの聖母マリアへの宗教曲を聴いています。ホワイト(カウンターテナー)、柔らかさがありながら芯の通った美声、素敵です。
ヴィヴァルディ《スターバト・マーテル》
A・スカルラッティ《サルヴェ・レジーナ》、ヘンデルのカンタータ《ああ、あまりにも不釣合いな!》
フェルランディーニのカンタータ《マリアの嘆き》が収録。

A・スカルラッティ《サルヴェ・レジーナ》、一度実際に聴いたことがあるのですが、ペルゴレーシの《スターバト・マーテル》とメロディーが大変よく似ています。スカルラッテイの方が技巧的ですが。同じナポリ派なので、この類似もうなづけるのですが、ペルゴレーシが真似をしたのではないかと思ってしまいます。
一番気に入ったのがヴィヴァルディの《スターバト・マーテル》、あえて華麗な技巧性を排した、何ともいえない情緒的なメロディー、いいです…。
ヘンデルのカンタータ《ああ、あまりにも不釣合いな!》はイタリア遊学中に作られた、若かりし日のもの。冒頭を聴いただけで、「ああ、これはヘンデルだ」と思わせられる曲。押し出すような力強さがあります。
フェルランディーニはまだよく聴いていませんが、ヘンデル作と思われていたそう。ヴェネツィアの作曲家です。
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今日は仕事が終わった後に「いなごの会」。同僚と囲碁、まだ全然ダメです…。対局まではまだまだ遠い道のり、でも楽しい。

ラモー《レ・パラダン》を観た次の日、ペルゴレーシ《スターバト・マーテル》を聴きに行ったのですが、この偶然の繋がりに、ブフォン論争が浮かんでしまい、なんだか時を越えた運命の悪戯のようなものを感じてしまいました。私が勝手に思い込んでいるだけですが…。

いったいラモーは《レ・パラダン》を通して、何を言わんとしていたのだろう、何を表現したかったのだろう…、それが私の中で曖昧模糊としています。《レ・パラダン》が上演されたのはブフォン論争が吹き荒れた後なので、それからの影響も考えられるのでしょうが…。確かにイタリア・ブッファの形式に似ています、そのパロディということなのでしょうか。そして最後に歌われる「自由バンザイ」、王侯貴族から市民へとパワーが移り変わっていく流れが感じられるようにも思えます。

なんだか、あれこれと考えてしまいました。その当時にどう受け取られたのかということは、今となってはどうでもいいことかもしれません。重要なのは、ラモーの音楽が現代でもバッハやヘンデル、モーツァルトなどと同じように生き続けており、現在でも大いに楽しむことができるということなのでしょう。今回の《レ・パラダン》のような素晴らしい舞台が上演されたことを、ラモーはきっとあの世で喜んでいるでしょう。
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昨日はそんな1日でした。これから仕事なので、感想はあれこれと書けないのだけど…。

来月10日までのベルギー王立美術館展、フランドル・バロックの作品からクノップフらの象徴派、そしてマグリッドなどのシュルレアリスム作品まで、ほぼ400年の歴史が展望できるものでした。有名どころの画家も多く、ベルギーの歴史の重みも感じることができる、見ごたえ十分のもの。展示の解説や音声ガイドもこれまでになく充実したものとなっており、驚きました。特に音声ガイド、画像も観れる!すごい進化。
おまけで嬉しかったのは、音声ガイドのBGMが、ガブリエリ、J.S.バッハ、テレマンらバロックづくし。バロック音楽やオペラに造詣の深い朝岡聡さんの選曲によるもので、作曲家、演奏家、CDタイトル&レーベルまで詳細に案内がありました。ガブリエリのカンツォーナ、いいですね。初期バロックも聴いてみようかな(^0^)♪

そして時間ギリギリで《レ・パラダン》へ。
私にとっては今年のオペラ鑑賞、最大のハイライト。海外まで行かず日本で観れる、これが一番嬉しい。でも日本で馴染みがあるとはとても言えないラモーのオペラ。ちょっと不安も抱えつつの鑑賞でした。

私にとってはそれなりにもう身に馴染んでいるラモーの曲、でも斬新な転調部分(アンセルムが登場するシーンや、復讐の神のシーン)にはハッとさせられ、多彩なオーケストレーション(楽器の多彩さは目を見張るばかり)に、改めてアバンギャルドさを感じ…。そしてダンサブル、ラモーの魅力が詰まっていました。でも、これだけがラモーの魅力の全てでは無いけど…。

あと1日観ます。この時はクリスティのすぐそばの席。
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気がついてみると、この公演自体の感想が抜けておりました…。
このオペラ、実のタイトルは《イダマンテ》ではと思えるほど、藤村さんの存在が際立っておりました(やはりというべきか…)。数年前の《カルメン》では、クールで知的なカルメン像を作り上げており、それが、あるべき姿のカルメンであるかどうかは別として、この方の個性が打ち出されており、興味深かったです。世界の檜舞台でも遜色なく主役級を担うことのできるメゾでいらっしゃるので、いつもスズキやブランゲーネ、フリッカではと思いますし、また日本でいろいろなものを歌っていただきたいです。

タイトルロールの方ですが、ちょっとパワー不足。このオペラの要なのですが、今回は完全に息子に持っていかれてしまいました。特に2幕の大アリア「嵐の海からは逃れたものの」は、切迫した心理状態が、モーツァルトらしいパッセージで展開されていく見事な曲で、ドラマの進行上でも重要な部分だと思うのですが、それが伝わってこないのは残念でした。
このオペラ、本当に音楽そのものによって心理的ドラマが展開していくので、演奏がそれをきっちり伝えてくれないと、なかなか見る側に伝わっていかないのではと思います。

そうした意味で、今回の演出は音楽を妨げず、こちらを混乱させないものでした。だからといってそうしたものがベストかなのかと言えば、そうでもないとは思いますが…。
ちょうどノイエンフェルスの演出したこのオペラ、初演は03年ですが、上演の是非について日本の新聞でも大きく取り上げられています。この方のモーツァルト《後宮からの逃走》、観ましたが、ここまでくると私にはもう着いていけません、ごめんなさい。なので、あまり見たいとは思わないのですが、どうなのでしょう。
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今日は仕事明けから、そのまま徹夜状態でマチネ公演に(14時開演)。この日しか都合がつかなかったので強行軍、このツケが明日以降に来そうです。体調管理に気をつけねば…。

この作品を始めて聴いたのは、4年前の東京フィルによるオペラコンチェルタンテ公演。その日は体調が絶不調で、公演には行ったものの音楽を聴くどころではなく…。あれからもうそんな月日が経ったとは(唖然)。

24歳のモーツァルトによる渾身の作、10代の時のセリア(ルーチョ・シッラやミトリダーテ)に比べると、当然のことながら音楽の充実さが格段に増しており、若さの勢いもあって上り調子が感じられる、素晴らしい作品だと思います。オペラ・セリアというと、アンシャン・レジームのイメージが強いですが、もうこの頃になると(フランス革命まであとわずか)、伝統的なセリアの形を取りながらも、登場人物の性格付けや振る舞いが、それまでのものと比べ近代的な印象が。
特にタイトルロールのイドメネオ。神にひれ伏すのではなく、「それは神の誤りである」と敢然と挑むところなど、時代の新しさを感じます。

フランスのトラジェディ・リリック(カンプラ作曲)がベースになっているので、フランスの古典悲劇に近いのが嬉しい。エレットラの方が、存在感強く、訴えかけてきます。ラシーヌの「アンドロマック」のエルミオーヌ、「イフィジェニー」のエリフィール、そしてラモーのオペラにも登場するいわゆる悪役のヒロイン、どうしてこちらの方が、いつも圧倒的な存在感を持って迫ってくるのでしょう。
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続いてまたバッハ…。チェンバロ協奏曲の1番(BWV1052)はとても好きな曲で、コレギウム・アウレウムの演奏で初めて聴いた時から「おお、なんてかっこいい曲だ!」と一聴惚れ。バッハらしい、細かな描写ですが、それでいて大胆。あれよあれよという間に曲がどんどん展開し、いったいどこまで行くのだろうと思わせられるような奔放さ。

以前コンサートで接したレツボールのメッセージ「バロック音楽とはファンタジーのためのファンタジーである。即興という形でしかあり得ないほどの自由さを持ち、人間の感情の世界を表現することをテーマとする―」、バッハの曲を聴くと、この言葉がその通りだなぁと感じ入ります。

e0036980_2328984.jpg先日、ガーディナーのカンタータ・シリーズを聴いていたら、146番《われらあまたの苦難を経て神の御国に入らん》のシンフォニアでこの協奏曲の第1楽章が使われていてびっくり。こちらの方が有名なのですね。カンタータはほとんど聴いたことがないので…。
チェンバロがオルガンになっていますが、そうなると、さらにスケール感が増してスゴイ迫力。これが教会で演奏されたら、私なぞは神様を思うより、曲の凄さでもう恍惚(!)としてしまいます…。曲自体はカンタータの名の通り、苦難を乗り越えていくような、毅然とした意志が感じられるものですが。
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以前古楽レクチャーで聴いた「インヴェンション解体講座」で、一番印象に残った曲の解説が、《シンフォニア15番》BWV801。この曲集の一番最後です。
カンタータ136番《神よ、願わくばわれを探りて》の5曲目のアリアとの類比を指摘されていました。カンタータの内容は、罪の穢れが大いなる血潮(キリストのもの)で清められるといったもので、その血潮の流れが16分音符から32分音符の下降形で示されているのですが、そのモチーフがそのままシンフォニア15番にも見てとれることに驚きました。ドラマチックでまさに血潮が流れ出ているような描写、教育目的の曲集とはいえ、内容的にはもう何かしらの特定された言葉や概念に近づいているのです。十字架の形が見え隠れしたり、そんな曲だったとは、ただただ唖然。

目から鱗です…。なので、今、練習中。
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今日18時から、宝生能楽堂での鑑賞。狂言『武悪』は一時間ほどもある大作。ユーモアの効いた、ちょっとシニカルな感じの喜劇。立ち合いの派手な場面が多く、見せ場もたくさん。人間国宝の野村萬さん、やはり出てきただけで空気が変わります。重厚感が加わり、劇の厚みが増すんです。実演に接するのは3回目ですが、すっかりファンに (^-^)/

能『梅枝』は眠気に襲われてしまい、まさに夢幻の世界となってしまいました…。後半の舞になって目がパッチリ。能は見る側の器量がかなり問われるので(抽象的だし)、私にとっては遠い遠い世界です。嗚呼…。
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