e0036980_14544369.jpg昨日の能舞台の余韻に浸っています。この本は以前に求めたもので(能については全くの素人です)、パラパラと見たりしていましたが、鑑賞後また取り出して開いてみると、また面白いです。
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さて今日は水道橋の宝生能楽堂にて能を鑑賞。この能楽堂は初めてです。席は正面で3列目のど真中という最適の場所。囃子と地謡による音楽&シテの舞を堪能できて嬉しかったです。今まで観た舞台芸術の中ではこの「能」に最も非日常を感じました。まさに「幽玄」の世界で、あの世とこの世にまたがっているよう。間に挟まれる狂言が現実(この世)に引き戻してくれました。狂言ではTVや映画、舞台で活躍している野村萬斎さんが出ていたので、ドキドキ。ミーハー気分でした♪
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昨日鑑賞しました。オペラは「総合芸術」と言われるように、オーケストラや歌手、舞台演出(美術)、バレエなど様々な要素が密接に絡み合って創られるもの。そのどれもがパーフェクトな公演はそれこそ奇蹟(これを求めて毎度懲りずに劇場へ向かうわけですが)。今回は舞台演出が印象的で、もっとも重要な柱となる音楽は後退していました。音楽によってドラマが展開するのではなく、視覚によるドラマ。音楽的にはイマイチ、でも視覚的には満足。演出のフィリップ・アルローはさすが舞台美術(照明)の出身、劇場装置や照明、映像などをフル活用して、動きのある舞台を展開し見応えがありました。プロの職人仕事という感じ。
ただフランス革命を背景としたシリアスな内容に、白を中心としたファンタジックな衣装や雰囲気は浮いてしまっている気がしました。このオペラから、現代に通じる普遍的なものを抽出しようとする意気込みは感じられましたが。終幕、シェニエとマッダレーナが二人で死への旅立ちを歌う場面は抽象的なセットで、観念の世界に突入。まるで「トリスタンとイゾルデ」みたいでした…。幕切れも印象的で余韻を残すものでした。現代的な「アンドレア・シェニエ」。
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e0036980_21513096.jpg先週木曜に鑑賞しました。ヴィブラートを極力抑えた古楽歌唱法で、80年代に一世を風靡し「古楽の女王」と称されたエマ・カークビーのリサイタルです。ストレートで澄んだ歌声は、正に「天使の声」。今回はバッハとヘンデルのプログラム。
実際に聴けるのを楽しみにしていましたが、全体的にはアンサンブル含め年齢層が高いこともあり、アグレッシブな若手の演奏と比べると一昔前の古楽といった感。特にヘンデルの技巧的なパッセージをこなすには少々つらさが見えました。ヘンデルにはもっと勢いと張りのある演奏でないと「らしさ」を感じません。しかしテクストの読み込みと表現力の深さは凄いもので、充分技巧をカバーしていました、さすがです!この表現力の深さは若手では無理でしょう。またバロックの歌唱は「語り」に近いものだと再認識。

バッハの「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」からの3つの歌曲には、大変心打たれました。この曲は、バッハと連れ子から妻アンナへの贈り物とした楽曲集からのもので、家庭的なぬくもりが魅力的とのこと。カークビーにはこうした曲調が合っているように感じました。

しかしこうしてヘンデルとバッハを聴き比べると、違いがよく分かります。方向性が異なっているんですね。バッハは地に足の付いた印象を受けますが、ヘンデルは空高く舞い上がる感じ。
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e0036980_0261670.jpgここのところバロックにどっぷりでしたが、違うものが聴きたくなって…。ということで、モーツァルトのオペラ・セリアです。ミラノ王立大公劇場(スカラ座)からの依頼で、16歳の時に作曲されたもの。最近はモーツァルトのセリアも初期のものを含めて上演が多くなりました。そういえば今シーズンのスカラ座開幕公演は「イドメネオ」、来シーズンの新国立劇場開幕もこの作品だったような。古楽演奏がポピュラーになったことや、バロックオペラの復興も影響して、見直しが進んでいるのでしょうか。

ガメッラによる台本はメタスタジオの流れを汲むもので、定石通りの英雄オペラ。ヘンデルの英雄オペラ「ロデリンダ」と設定が瓜二つで、のけぞってしまいました。主要歌手にはカストラートが多く当てられていたので、アリアにつきものの超絶技巧が楽しめます。このあたりはまだバロックを多少引きずっている感じ(だから私にとってはいいのだけど)。16歳の作と言えども音楽は溌溂としたモーツァルトの魅力に満ちています。しかし、この時点においての感情表現の深みや鋭さはヘンデルの英雄オペラに軍配があがると思います。

CDはアーノンクール指揮コンチェンツゥス・ムジクス・ウィーンによる演奏。ソリストはシュライヤー、グルベローヴァ、バルトリ等。これも上質オケ&豪華な声の競演です。
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e0036980_211620100.jpg我が家の薔薇が今年2度目の花を咲かせています。屋上に移してからは、環境が良いようで虫にも食われず伸び伸びしています。以前は1階の庭に置いていたのですが、取っても取っても虫がついてしまいかわいそうな状態でした。









e0036980_21163358.jpg“薔薇”にちなんで今日はA・スカルラッティの「薔薇の園」をBGMに。ダントーネ&アカデミア・ビザンティーナによる演奏です。オラトリオの序曲&ハープシコード協奏曲の組み合わせ。「薔薇の園」はオラオリオ、全曲をいつか聴いてみたいものです。甘いメロディがいつも聴きなれているスカルラッティとは違う感じ。今年、ローマ近郊ヴィテルボを中心としたバロック音楽祭にて蘇演とのこと。またカーティスによるヘンデル「フロリダンテ」イタリア初演も、いいなあ。
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e0036980_11531364.jpgバルトリのニュー・アルバム、モダンなジャケットに「おーっ!」(笑)。オケはミンコフスキ率いるルーブル宮音楽隊。
なぜ“禁断”なのかというと、18cのローマ教皇領では娯楽性の強いオペラの上演は禁止されていたのですが、当時の裕福な枢機卿や貴族などの芸術のパトロンは、私的にオペラを楽しむ隠れ蓑として、オラトリオという宗教音楽劇にすり替えて上演していたそうです。なので内容的には宗教的な題材。
そのオラトリオのアリアを集めた作品集ですが、そうした経緯を辿っているのでオペラアリアと同じ印象。なにしろ、ここに収められているヘンデルのオラトリオ「時と悟りの勝利」からのアリアは同じ時期に作られたオペラ「アグリッピーナ」「リナルド」でも同じ曲が使われています、歌詞が違うだけ。「アグリッピーナ」でのネローネのアリアをバルトリで聴けました(打ち上げ花火のような凄さです。これが「アグリッピーナ」の実演だったら、度肝を抜かれること間違いなし)。「復活」は全曲を昨年ヘンデル協会の公演で聴きましたが、バルトリ&ミンコフスキで聴いてみると最強ですね(天使のアリア、超人的…)。
A・スカルラッティはまだヘンデルのように整っていない荒削りの迫力が魅力的です。

一番の収穫はカルダーラのアリアではないでしょうか。4曲あり全て世界初録音です。
カルダーラはスカルラッティとヘンデルの間の世代。サンマルコ大聖堂でチェロを弾いていましたがウィーンの宮廷に招かれ、そこで作曲や演奏活動をしたとのこと。オラトリオなどの宗教曲や世俗カンタータを多く作ったそうです。
聴いてみると、カストラート向けのような超絶アリアに、叙情的アリアもという多彩な作風。全体的には優美な印象です。
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昨日東京文化会館小ホールで鑑賞しました。4時開演、8時終了の長丁場。バロック・ジェスチャーの研究成果が発揮され、当時の上演様式を彷彿とさせる上演でした。この作品はやはりグリマーニによる台本がよくできているんですね、ドラマとして面白みがあります。モーツァルトもそうですが、セリアよりブッファが面白いのはヘンデルも同じこと。
この上演、ヘンデルのオペラにおける正当な舞台の一つと言えるのかもしれませんが、あくまでも「当時はこうでした」という印象。どうしても数年前に観たシャンゼリゼ劇場におけるマクヴィガーの演出を思い出してしまいます。現代の設定でしたが、違和感が無く(これは凄いことだと思います)音楽を更に引き立てており斬新な感覚で見事でした。ポッペアが眠ったふりをしてオットーネをなじるシーンは、お洒落なカウンターバーで、ポッペアはやけ酒を飲んで酔ったふりをしている設定。加えてそのシーンではバーに設えたピアノ(チェンバロ)で奏者がヘンデル作品の即興演奏を披露し、大喝采でした。

上演で少々物足りなかったのが、ダ・カーポ部分の無いアリアが多かったこと。レチタティーヴォはカット無しでしっかり入っていました(すごい!)。音楽中心というより、ドラマ(音楽劇)としての流れを重視しているようでした。
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e0036980_2349359.jpgカーティス指揮/イル・コンプレッソ・バロッコ演奏によるオペラ全曲版。テキストはコルネイユの悲劇『ロンバルド王』をもとにしたサルヴィの台本を、さらにハイムがヘンデルのために翻案したもの。「英雄オペラ」に属し、主人公ロデリンダの夫に対する忠節な愛情を核としたドラマです。
死んだ夫に貞節を誓い、一人息子を守るロデリンダに、結婚を迫るグリモアルド(夫を死に追いやった張本人)やその腹黒い部下ガリバルドからの試練が襲い、死んだと思われていたロデリンダの夫ベリタルドが実は生きていて、ロデリンダの目の前に現れる…など波乱万丈。またグリモアルドの婚約者もストーリーに絡んで、話は単純ではありません(やはりコルネイユの悲劇をもとにしている感が。高潔すぎる主人公カップルにそのイメージあり)。それぞれの人物描写も複雑な性格描写でリアリティがあり、ドラマとして深みがあります。
このオペラは、ヘンデルがイギリスへ渡り「ジュリアス・シーザー」などの充実した作品を生み出していた時期のもので、音楽的にも内容の濃いものです。主人公から脇役に至るまで、それぞれに充実したアリアがあてがわれており、感心します。
特に印象的だったのはグリモアルドの伴奏つきレチタティーヴォ。オケの伴奏とセリフの掛け合いがドラマチックで、まるでフランス古典悲劇(フランス・バロックオペラ)の台詞のよう。こうした音楽は今まで聴いたヘンデルの中では無かったような、ラモーが思い出されました。

音楽学者でもあるカーティスの演奏はカッチリした手堅い内容ですが、教科書的な印象も…。やっぱりオペラには「色気」を求めてしまいます。そうした意味では、やはりヤーコプスが情感に富んだニュアンスで上手い…。
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昨日はヘンデルのオペラを王子「北とぴあ」で鑑賞。5時開演、終演9時半という長丁場。
若手中心の歌い手さんらはよく健闘していました(一流バロック歌手と比べてはいけない)。オケはバッハ・コレギウム・ジャパン、聴こえてくるのは確かにヘンデルの「歌」で、安心して身をゆだねることができる充実した演奏ぶりでした。しかしソロ楽器が入る部分では(ホルン)あまりの不安定さに「どうなってしまうのだろう…」とハラハラさせられるなど、破綻しかけたところも。またヘンデルのオペラではバロック的な流れというか、留まらずに「前へ前へ」という勢いがないとおもしろくないのですが、それに欠けているような。その勢いのある箇所と、ゆったりとした所の対比が最大の魅力で、まさしくバロック(いびつな真珠)という感じがします。
その対比はやはり光と闇の対比を用いてドラマを描いたカラヴァッジオの絵画とゆっくり重なり合い、結果「やっぱりバロックって素敵」となるのでした。

しかし演出は…。ヘンデルはあの世で嘆いていることでしょう。

「現代におけるヘンデルのオペラ上演での脅威として身勝手な舞台演出家が出現している。彼らはオペラの脈絡に合うかどうかはお構いなしに、オペラを締め上げるコンセプトで武装している。オペラの筋書きをとうてい不可能なものとみなし、ヘンデルの才能の炎のもとで、劇場の中でこそ生命が躍動する、ということを理解せずに、訳の分からないものとして片付ける。こうして歪められた上演は時として技術的には完成している。巧みに娯楽を提供しているので、オリジナルの上演がどういうものか知らず、こうした上演で何が失われたかのか分からない聴衆、そして批評家は容易に喜ぶのである。演出家は作曲家を軽んじ、使い古しの手法で聴衆を言いくるめようとしているのである。
もし演出家が、当時ヘンデルのオペラを上演した劇場の条件についてよく知っていれば、ヘンデルのやり方で、現代の聴衆の心を捕えることができる、ということをすでに多くの上演が証明している。もしヘンデルのオペラ上演がオリジナルな形で今日は受け入れられないなら、過去においても受け入れられなかったはずである…」
(『ヘンデル オペラ・セリアの世界』 ディーン博士著より)
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