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すべては愛によって乗り越えられる~ウィリアム・クリスティ&レザール・フロリサン《声の庭》H28.10.13_e0036980_21322457.jpg
 先日の新聞に、クリスティへの取材記事が掲載されていた。「あらゆる境界を超えるのは、伝えたい、理解したいという思い。その源が愛であることは言うまでもない。愛こそが、聴衆との新たなコミュニケーションの礎」だと。これは、音楽だけに限った話ではない。お互いのコミュニケーションに重きを置く、クリスティらしい言葉。その音楽にも、人間性が表れていると思う。
 今回の来日公演でのプログラム《声の庭》(若い歌手のためのアカデミー第7回)では、未来へ音楽を繋ぐというクリスティの意図が最も明確に示されており、「これを続けているから、私は心身ともに若くいられる」とのこと。頼もしい限り。

 今回の公演は《イタリアの庭で~愛のアカデミア》と題し、イタリア・盛期ルネサンス時代のアリオスト作『狂えるオルランド』をモチーフとしたプログラム。バロック・オペラの題材といえば、まず筆頭にこれが挙がってくるので、納得の構成。それになんといっても名曲揃い。
 『狂えるオルランド』でまず思い浮かぶのがヘンデル《オルランド》。といえば、オルランドの名アリア「冥界の川に住む、邪悪な亡霊たちよ!」これを実際に聴けたのが、まず嬉しかった。ああ、やはりヘンデルは天才。表現の深いこと、オルランドの狂気が伝わってくる。
 そして、ヴィヴァルディ《オルランド・フリオーソ》。こちらはまたヘンデルとは違う表現、空を舞うような華麗さがある。他、初期バロックのバンキエーリ、ヴェッキ、デ・ヴェルト、そしてストラデッラとバラエティに富んだ内容。

 休憩後のプログラムは、悲劇から喜劇モードに。楽しかった!バロックから古典派へ移行して、チマローザ《みじめな劇場支配人》とハイドン《歌姫》のドタバタ喜劇に思わずクスクスと笑ってしまう。こんなブッファ、もっと観たい!ハイドン、楽しい!!モーツァルトのアリエッタは、特別な素晴らしさ。やはりモーツァルト、うっとり。
 最後はやはりこれしかないだろう、ハイドン《騎士オルランド》。私の大好きな作品。

 ストーリー仕立てになっているセミ・ステージ公演で、若手の歌手たちは大熱演。爽やかな余韻が残った。
 極上のクリスティ・サウンドに浸かって、改めて音楽が与えてくれる無限の楽しさ&おもてなしを受けた心地。またの来日を心待ちにしている。

 演奏会前に友人とダリ展へ。最も好きな《狂えるトリスタン》が来ていた。
10代最後の頃、画集で観たこの絵に一目惚れをした。それはもちろんワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》をいやがおうにも思い起こさせるから。私の抱くこのオペラのイメージと、ダリが描く《狂えるトリスタン(とイゾルデ)》の悲劇的なグロテスクさが、ぴったりと重なり合う。

 そしてサントリーホールへ。友人からチケットを譲っていただいた東京交響楽団の定期演奏会。
 プログラムはワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》第一幕への前奏曲から。先ほど観たダリの《狂えるトリスタン》が思い浮かぶかと思いきや、演奏は透明感に溢れ、澄んだ穏やかな渚を進むような静謐さ。天上の世界へ真っ直ぐ向かう雰囲気で、美しかった。ダリが描いた救いの無い、世紀末的な悲劇さからは遠いもの。

 そして、前奏曲の張りつめた静謐さを留めながら、休止なしでデュティーユのチェロ協奏曲《遙かなる遠い国へ》。
 初めて聴いた曲だが、これがもうチェロのヨハネス・モーザーともに素晴らしく、ノットによるプログラミングの妙に感心。
 この曲は、ボードレール『悪の華』からインスピレーションを得て作曲されたもの。曲名は「髪」の一節<遥かな、不在の、ほぼ死に絶えた世界が全て、おまえの深みのうちに、かぐわしい森のうちに生きている>から採られている(プログラムより)。

 現代音楽だけあって、多彩な打楽器に、ハープやチェレスタも入っている。難曲ではあるだろうが、騒然とした曲の作りではなく、むしろすっきりとした印象。打楽器が効果的に生かされており、鐘の音(銅鑼)が、いくつも木霊するなかで、太古の森を思わせる幻想的な世界が広がっていき、まるで魅惑的な魔術にかけられたような心持ちになった。

 第三楽章〈黒檀の海よ、おまえにはまばゆいほどの夢がある 帆や漕ぎ手、長旗、そしてマストの夢が〉(「髪」より)は、ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》にそのまま呼応しているかのよう。そう思うと、よりイメージが広がっていく。なんと艶やかな詩だろう!
 最終楽章の讃歌〈夢を持ち続けよ 賢人は狂人ほど美しい夢はもたないのだから〉(「声」より)に、またダリの《狂えるトリスタン》がよみがえってしまった。ダリのシュルレアリスム世界とも繋がっていくような…。
 
 それにしても、ボードレールの詩は、断片だけでも素晴らしい。そうだ、ボードレールは、ワーグナーについても批評していたのだった。ワーグナーとの繋がりがやはりあったな、と。

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 主祭壇にティツィアーノ《聖母被昇天》(画面奥)を掲げるこの聖堂は、壮麗な絵画や彫刻に彩られている。ゴシック様式の聖歌隊席も素晴らしく、祭壇画のティツィアーノやベッリーニ、ヴィヴァリーニ、そしてカノーヴァの墓碑などを眺めていると、時が経つのを忘れてしまう。
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 そして、この聖堂内部から少し外れた参事会室には、ヴェネツィア絵画の祖パオロ・ヴェネツィアーノによる《ダンドロの半円飾り》がある。パオロは、アカデミア美術館に《聖母の戴冠》、サン・マルコ大聖堂に《フェリアーレ祭壇画》があるが、優美なロレンツィオ・ヴェネツィアーノに比べると、ビザンツの影響がさらに強く感じられ、古風な印象。燃え立つような金色に浮き上がる色彩の華やかさに、目を奪われてしまう。
 この聖堂だけでも、ヴェネツィア絵画の流れを目の当たりにできるのが嬉しい。


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サン・マルコ大聖堂のバルコニーから

 先日、テレビ東京「美の巨人たち」でサン・マルコ広場が紹介されていた。
 友人が「見た?世界で一番美しい広場だと、何度も言っていたのが印象的で...。あなたも何度か通ったのかしらと思っていたのよ」と嬉しそうに伝えてくれた。
 そう、4日間の滞在で、何度ここを往復しただろう。宿から広場を通って劇場や美術館、教会へ繰り出し、また広場を通って宿に帰ってくる日々。昼間の観光客で活気に満ちた広場から、深夜の落ち着いてしっとりした広場まで体感し、自分がここにいるなんて、今思えば夢のようだった。
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 先月公開された映画『インフェルノ』でも、ほんの少しサン・マルコ広場が登場。サン・マルコ大聖堂のファザードにある青銅の馬が、謎かけの一つになっていた。コンスタンティノープルから略奪してきた彫刻で、こちらはレプリカ。本物は内部の博物館で見ることができる。ヘレニズム時代のものだが、本物の馬と見紛うばかりだ。
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 このときは、広場がアックア・アルタ。9月にもあるんだな、と。この程度で良かったけれど、サン・マルコ大聖堂の前には、歩行専用の高台通路がズラッと並べられ、私もそこを通過することとなった。

晩秋の上野にて(国際子ども図書館「こんにちは!イタリア」展)_e0036980_21433271.jpg
 元同僚に誘われ、上野まで。都会の小さな秋を散策。気持ちが解れていくのは、自然の潤いを感じさせてくれるから。
 そして彼女の希望で「ゴッホとゴーギャン」展へ。ゴッホは人気があるので、凄い人出。これだけ人がいるとゆったり鑑賞するのは難しい。ランチでのんびりして、お互いの近況をおしゃべり。
 その後は、国際子ども図書館の「こんにちは!イタリア」展へ。入口に掲げられているヴェネツィアに、もう嬉しくなってしまう。ちょうどギャラリートークが始まり、ラッキーだった。
晩秋の上野にて(国際子ども図書館「こんにちは!イタリア」展)_e0036980_21443593.jpg
 イタリアの子どもの本を紹介している展示室は、絵本と児童文学のセクションに分かれており、ギャラリートークでは、児童文学のお薦めを何点か紹介してくれた。他国の文化を知ることは楽しい。
 中でも現代イタリアを代表する作家であるピウミーニ『光草』、ガンドルフィ『むだに過ごした時の島』は魅力的だった。そして、ダダモ『イクバルの戦い』は児童労働についての告発状にもなっている(イクバルは、そのために12歳で命を絶たれてしまう)。子供だけではなく、大人こそ読まねばならないな、と。
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 絵本の中では、ニコレッタ・チェッコリ『女の子たちの夢』に惹きつけられる。表紙に佇む少女の危うげで物憂いこと、この時期ならではの不安定さが幻想的に表されていて、お洒落。
 この絵本では、片方のページに「トリスタンとイゾルデ」などの昔の恋愛物語、もう片方に様々な女の子が描かれているとのこと。面白そう!

# by marupuri23 | 2016-11-28 21:50 | | Comments(0)