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 カ・レッツォーニコは、ジャンドメニコ・ティエポロとピエトロ・ロンギの美術館といってもよいほど、作品が充実。特にピエトロ・ロンギのこじんまりとした各画面には、18世紀ヴェネツィアの風俗が愛らしく、ユーモアをこめて描かれており、微笑ましい気分になる。
 その人物の描き方はどことなくカルパッチョを連想させ、またカルパッチョと同様に、まるでおとぎ話のような、非現実的な印象があって、それがまたヴェネツィアらしい。
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 絵の中でヴェネツィアらしさを強調するもの、それはなんといっても「仮面(バウタ)」だ。それぞれが仮面を被った演者で、秘密めいた何かを隠しているよう。ゴルドーニの世界の絵画版というのにも、納得。
 この都市は、やはりどこまでいっても劇場の延長線上にある。

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能《猩々》(上)と《羽衣》(下)をモチーフとした掛袱紗。
松に掛けられた羽衣(迦陵頻伽風)は鳳凰の翼のよう。

 以前、日本刺繍に取り組んでいた際、クラスメイトが将軍家の掛袱紗(だったと思う)を図案に起こし、再現していたことがあった。掛袱紗の写真集を見せてもらったが、その細やかさと華麗さといったら、この上ない見事さで溜息が出たものだ。
 今回の展示を知り、母も日本刺繍をしていたので、興味津々。親子連れだって東京国立博物館へ。
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 能や故事にまつわる吉祥文様の他、まさに「おしどり夫婦」の鴛鴦(これがまた綺麗な鳥...)、二股大根とネズミと俵という面白い組み合わせに(全て吉祥文様)、武家では軍配のモチーフが多いのにも、なるほどと。
 定番の文様、「宝づくし」や「貝合わせ(貝桶)」なども豊富なのが嬉しい。宝づくしの中では「隠れ蓑」がなんだか好きで…(これは「蓑亀」を連想させるからだろうなと。文様では亀の尾っぽの毛ならぬ藻がフワフワして可愛くって...)。
 どれを見ても、お互いに「凄いね~」としか言い合えない。あまりに高度な技ゆえ、現代でも再現するのは困難だろうと思う。ともかく、日本刺繍は同じ個所に何度も何度も重ねて打っていくのだ。それによって立体感が生まれる。しかも糸を撚るところから始めるので、気が遠くなる...。私にとって憧れの文様は鳳凰、若冲みたいに艶やかなハート柄の鳳凰も楽しいかな、と想像してみてはうっとり。
 お正月にふさわしい華やかな展示で、楽しませてもらった。


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 一昨年、東京オペラシティでの日本初演(演奏会形式)で聴いた現代オペラを、METライブビューイングで。
 よい作品を、再びこうした最高のプロダクションで観ることができるとは嬉しい。METの上演にあたって、オーケストラの規模が以前よりも大きくなったように思える。音楽だけでも、万華鏡のように移り変わるスケールの大きい波動を感じさせるが、それに加えて、LEDライトで表現された幻想的な海の演出がピタリとはまり、体ごと別次元へ吸い込まれるような感覚を覚える。実際に観たらどんなに凄いだろうかと…。METの観客も非常に盛り上がっていて、ここまでの大成功とは、驚いてしまった。

 今回の鑑賞にあたり、日本初演でのプログラムを読み返してみて(解説が素晴らしいものなので)、改めて納得する部分が多く、感慨深い体験となった。「自分を満たす完全なもの(それは美でもあり、純粋なものでもあり、愛でもあり...)」を求めながら得ることが永遠に不可能という、人間としての悲劇を救ってくれるのは、やはり神しかいないのだろうか。それを求める以上、救いは神にしかない。
 こうしたテーマを、大海を想い起させる壮大なサウンドで表現した、指揮のスザンナ・マルッキが驚くほどのダイナミックさで、素晴らしかった。女性作曲家に女性指揮者だったので、あとは演出家も女性であればパーフェクト、というのは余計な話。
 
 サーリアホの他のオペラ《アドリアーナ・マーテル》、《エミリー》も女性が主人公で観てみたいもの。
 2015年初演の《Only the sound remains 》は能がモチーフ。サーリアホには他にも日本をテーマとした曲(庭園?だったような)があった記憶が。カウンターテナーが歌うというのも、今ではかえって現代的。能というのも音楽劇なので、作曲家としては触発される部分が多いだろうなと。

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 今日公開のMETライブビューイング《遙かなる愛》を友人達と鑑賞。あまり馴染みのない現代オペラ(しかも長丁場)だが、皆楽しんでくれたようでホッと一安心。来場者も思ったより多くて、年配の方の割合が高いのはいつものことだが、お互いにオペラファンという雰囲気が感じられるのが嬉しい。
 鑑賞後は女子会ならではのヴィーガン料理店へ。こうしたレストランは男性には辛いだろうと思って、女子だけのメンバーの時に、あえて選んでみた。
 グリーンカレーのランチ、辛さはほとんどなく、むしろやさしい甘さで美味しい。玄米100%となると、自宅ではちょっと難しいかな。野菜盛りだくさんで、ボリューム的には大満足。
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 デザートも「ヴィーガン」と言われなければ分からないほど。ガトーショコラはグルテンフリーだけれど、濃厚な風味で豆乳クリームとの相性も良く、美味しい。ラムレーズン風味のアイスクリームも、ヴィーガンとは思えないお味。
 レストランは満席で、若い人がほとんど。雰囲気が落ち着けるので、おしゃべりも盛り上がり、あっという間にお開き。たまにはこんなのも、いいよね。

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 カ・レッツォーニコの見学コースは2階の舞踏用ホールから。クロザートによる、だまし絵的(トロンプ・ルイユ)な天井画がいかにもバロック的。天井だけでなく、壁面もそのような設えで、なんともいえない華麗な空間となっている。
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 中国の陶磁器の見せ方が、こちらでは考えつかないないようなもので、ヨーロッパ的なものとの強引な融合に「…凄い」と。
 一昨年ドレスデンでも、日本&中国の陶磁器コレクションと、マイセン(初期の初期のもの)をたくさん見たけれども、それは美への執念が感じられるものだった。お互い、持っていないものに憧れるのは同じだなぁ。

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 ヴェネツィア・バロックの建築家、ロンゲーナによるカ・レッツォーニコへ。
 邸館を正面から眺められなかったのが残念だけれども、内部は1700年代ヴェネツィア博物館となっており、当時の雰囲気をうかがい知ることができる。
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 邸内ホールに一歩足を踏み入れたとたん、豪華な室内装飾に驚愕。フェニーチェ劇場や規模の大きいドゥカーレ宮殿とは違って、住まいの場としての華やかさに満ちている。
 色も鮮やかなヴェネツィアン・グラスのシャンデリアに目が釘付け。ここはオテル・ダニエリかと思ってしまう。ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』のミリーが借りたパラッツォもこんな感じだったのだろうかと…。
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 ―「パラッツォー・レポレルリは、飾り付けをした極彩色の厳めしい偶像のように、いまだにその大きな膝の上に過去の歴史を抱いていた。この宮殿で絵画や骨とう品に取りかこまれ、崇拝され奉仕されているのは、豪華なヴェニスの消し去ることのできない過去だった」— (『鳩の翼』青木次夫 訳より)
 そう、ヴェネツィアは過去の豪華さを、まだ切なく留めようとしているような雰囲気があり、過去に沈む都市というイメージが、私にとっては強い魅力の一つだ。その運河や音楽、絵画全般にノスタルジーを感じてしまう。

 ここはカナル・グランデに面しており、ヴァポレットも泊まるのだが、信じられないほど見学者が少なくて、ゆったり過ごせる。絵画を含めた展示品も見ごたえがあって、思った以上に楽しめる博物館。
 

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 浅草七福神めぐりで立ち寄った隅田川。雨だったので、ゆりかもめも何とはなしに憂鬱な佇まい。
 こんなグレーカラーの日に隅田川でゆりかもめ=都鳥を見ると、「われもまた いざ言問はん都鳥 わが思ひ子は東路に ありやなしやと」と《隅田川》の謡が思い返されてくる。
 悲哀極まる話だが、伊勢物語(東下り)を引き合いに出しての渡し守との掛け合いのくだりは、何とも風流。川岸にはカフェもあって、こんな日こそ、カフェでコーヒーでも飲みながら、ゆったりと景色に浸れれば幸せ。
 それにしても、ゆりかもめはとっても可愛い。都鳥だけれど、「鄙(田舎)の鳥」と言われてしまうのは、まぁ仕方ないか。
 《隅田川》は狂女物だが、オペラでも狂乱の場が見せ所になっている作品がいくつもある。イタリア・ルネサンス文学の《狂えるオルランド》もそうだけれども、この「狂う」という行為に託すものが、東西問わず共通性があるのだろう。ブリテンの《カーリュー・リバー》もあったなぁ、聴いたことがないけれど、今度聴いてみようかな。

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 先週は浅草へ。今度、友人達を浅草名所七福神巡りにお連れするので、一年振りの七福神もうで。この七福神(実際には九ヵ所)、江戸時代後期にはメジャーだったようだが、戦後は一時中断し、昭和52年に復興。
 九ヵ所あるのは「九は数の究み、一は変じて七、七変じて九と為す。九は鳩であり、あつまる意味をもち、又、天地の至数、易では陽を表す」という故事に由来しているとのこと。「七福神」自体の発祥は京都周辺で、室町時代より記述がみられるそうだ。

 一巡り後は、雷門近くの喫茶店「アンヂェラス」へ。ここは〇〇年前に、先輩が好きなお店だということで連れてきてもらった思い出の場所。青春時代の淡い恋(^^;の思い出…。
小さなノエルの形をした名物ケーキ「アンヂエラス」を久し振りにいただく。白と黒があるのだけれど、私は白が好き。今は懐かしいバタークリームの風味がたまらない。私にとってはかなり甘いけれど、時をおくと、また食べたくなってくるのが不思議。
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 今年のコンサート始めも、ヘンデル・フェスティバル・ジャパンの公演から。
 ヘンデルに敬意を表して、演奏は常にノーカットを旨としているのが凄い。この真摯な取り組みが、昨年をさらに超える音楽の充実として実を結んでいるのが伝わってきた。
 この作品はかなりの長丁場だが、傑作という評価に違わず、長さを感じさせない迫真のドラマが展開され、改めてヘンデルのオラトリオの素晴らしさを目の当たりにすることができた。《メサイア》を除いては、日本で上演に恵まれないヘンデルのオラトリオに接することができて、貴重な機会だったのはもちろんだが、大事なのは、それがヘンデルの「珍しい作品を演奏」→「珍しい作品を聴いた」ということが先に立つような内容ではなく、レンブラントの名画以上の、まるで古代にタイプスリップしたかのような、目の前で聖書のバビロニアの世界が展開する感覚を味合わせてくれたことだと思う。
 ドビュッシーがいったように「芸術というものは、"うそ”のうちで最も美しいうそです。…一般大衆も、エリートも、忘我というものを求めて芸術に集まってくるのではないでしょうか。忘我、これまた“うそ”のもう一つの形式でしょう。」そう、我を忘れるぐらいに、その音楽ドラマに惹き込まれてしまった。

 聖書を元にしているオラトリオだが、プログラムにもある通り、主題は「母が罪深い息子に注ぐ愛に映し出される、国家の衰退」で、時代も宗教も超えた普遍的なテーマとなっている。難しいことを考えずとも、誰でもスッと物語に入り込める。観客を楽しませようとするエンターテイメント性が強く感じられ、面白い。やはり大衆向けなのだろう、同世代のラモーのオペラとの違いを感じずにはいられない。

 演奏では、序曲こそ固さが感じられたものの、冒頭に置かれた母親ニトクリスの嘆きのアリアから、あっという間にヘンデルの世界へ惹き込まれてしまった。
 このアリアを聴くだけで、毎度ながらヘンデルは天才だ、と。どうしてこうも心情にぴったりな音楽を付けられるのかと、信じられない思いになる。
 ヘンデルのこうしたアリアの説得力は凄くて、同世代のなかでも、ずば抜けていると感心してしまう。書法自体も、オペラ時代よりさらに表現が細やかに進化しているように思えて、感動。
 来年の公演も、今からとても楽しみだ。

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 今年の弾き始めもバッハから。平均律2巻の3番BWV 872をチョイスしてレッスン中。
 昨年も平均律2巻の1番ハ長調をコツコツ。前奏曲が複雑なあやとりをしているようで苦労したけれど、好きな曲なので頑張った。フーガの方は思ったよりスイスイ進んで楽しいこと!先生からOKをいただいた後、次はどの曲にしょうかと思い相談。

 私「バッハは平均律ばかり弾いているので、フランス組曲などもやったほうがいいでしょうか?」
 先生「そうねぇ、でもあなたはフーガ好きでしょ」
 私「…そうですね、好きです…」
 先生「平均律のフーガにしたら。2巻はまだそんなに弾いていないし」
 私「はい(そうだなぁ、やはり自分の好きな曲を弾こう!)」と、あっさりまた平均律をレッスンすることに。
 
 なにせ24セットもあるのだから、選び放題である。とはいえ、自分の好みの傾向があるので、また雰囲気の似ている曲になってしまったような。
 第3番変ニ長調を選んで「このフーガ、好きなんです(それに3声だし)」とお伝えしたら、「前奏曲が好きなのかと思ったのだけれど、フーガなのね。この曲のどこが好きなのかぁと、不思議」と先生には謎の様子。「このフーガのテンポ感が好きなんです。スキップするような、ノリの良さがあって…(前奏曲も大変美しいけれど)」と説明するのも難しい(^^;
 好きな曲だとモチベーションが上がるので、今回はあっという間に半分まで進んだ。嬉しいが、他の曲がおろそかになってしまうのが、いけない。ベートーヴェンのピアノソナタ31番のフーガも、いつか挑戦してみたいと思う。

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