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 コンチェルト・イタリアーノのモンテヴェルディを聴いて、鮮やかに脳裏に蘇ったサン・マルコ大聖堂。
 純粋なビザンツ様式で貴重な建築物でもある。ファサードは二層五連のアーチを持つが、この中央入口のアーチ内モザイク《最後の審判》は19世紀のもの。
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 下から見上げても、さすがに細かいところまではよく見えない。でも、撮った映像を拡大してみると確かにモザイク。マリア様の光輪がひときわ輝いて、神々しい。
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 入場は無料なので、滞在中は好きなだけ再訪できる...だけど、この行列。写真を撮るのも一苦労だ。
 荷物(私の場合はショルダーバック)は大聖堂から少し離れた場所にあるクロークへ預けないとならない。係員が並ぶ際に注意してくれるが、預けないまま行列に並んでしまわないように!
 行列自体の進みは速く、数時間も待たされるということはないと思う(予約しないと2時間並ぶヴァティカンとは違う)。1ユーロで予約ができるようなので、時間が限られている場合にはいいかも。

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 マックス・リヒターが英国ロイヤルバレエの新作《ウルフ・ワークス》のために作曲したもの。
 ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』『オーランドー』『波』をモチーフとし、小説ごとに曲が分かれている三部構成。

 私はウルフ『ダロウェイ夫人』には、それはもう心を強く揺さぶられて、感涙したほど(大好きだ)。書法としてはプルーストに似ているが、もっと繊細な表現で抒情豊か。女性ならではの息遣いが感じられるのが、また素晴らしく、想い出すと胸がまた熱くなってしまう。
 『オーランドー』は16世紀から生き続ける、男性から女性へと変化したオーランドーが主人公。設定がSFっぽくもあるので、近未来的なイメージが浮かぶリヒターの作風と小説とのコラボが最も嵌まっていた。主題は変容ということで、曲も《ラ・フォリア》(狂気を意味する)による変奏曲。想い浮かぶのはバロック時代の有名なコレッリ版だが、これがリヒターにかかると最新電子音楽による変奏曲へ。ヴィヴァルディの時もそうだけれど、こうしたアレンジは上手いなぁ。
 英国ロイヤルバレエの公演もライブビューイングで観たけれど、ウェイン・マクレガーのモダンな振付とぴったりで、凄い迫力。『オーランドー』映画版のDVDも(公開されたのは20年ほど前になるかと、昔映画館で観たのだった....)。
 『波』はウルフの自死を濃厚に予感させる曲となっており、波を感じさせる音の流れが不安を増幅させ、緊張感を高めていく。「再び自分が狂っていくのがわかります」というウルフの言葉。波が自分という存在を根底からさらっていくようで、ただ悲しい。

 ウルフを翻訳するのは、骨の折れる大仕事だと思うが、良さの伝わるいい訳で読みたいなぁと。最近出た『船出』も読みたいけれど、なかなか時間が取れないのが、困ったもの。

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# by marupuri23 | 2017-06-20 23:02 | CD | Comments(0)
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 マックス・リヒターの曲を使用ということで、興味を持っていたものの、なかなか観る機会を作れずにいた《メッセージ》だが、今日の新聞でテッド・チャンによる原作『あなたの人生の物語』の評を読み「これは観なければ」と、やっと公開終了寸前の鑑賞へ。

 言語によって思考が定まる、事項の捉え方が変化するというのは、外国語を習得することになぞらえればすぐに納得できることだが、その思考が〝時の流れ”に縛られていることには変わりない。だが、〝時の流れ”に縛られないならば?過去が未来となり、未来が過去となる。それが丸ごと繋がったとき、驚きの結末に。
 主人公の、それでも今の気持ちに正直に生きる、宿命を受け入れるという選択が心に響いた。「嘆き」よりも「愛」の大きさを感じられたのが嬉しい。
 監督ドゥニ・ヴィルヌーヴによる静かな語り口が、リアルな感覚で良かった。《ブレードランナー》続編もこんな感じだったら、いいかも。

 リヒターの曲はオープニングとエンドロールに使用されていたが、劇中でのヨハン・ヨハンソンの曲と相性抜群のため、そう言われてみればという印象(いい意味で映画に合っている)。
 公開中の《ザ・ダンサー》も彼の曲《25%のヴィヴァルディ》を使用していると知ってビックリ。リヒターが再構築したヴィヴァルディ《四季》(個人的には好き)と映画の時代背景&ダンス、合うのかな?

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 初めて実演で接したモンテヴェルディの《Vespro》だった。
 なんということだろう、今になってこの曲の凄さを知ることになるとは、遅すぎた!その想いで今は一杯。この曲には、すでにバロック音楽の全てがある。バッハも、ヴィヴァルディもここから聴こえてくるではないか、まさにバロックの源。
 この曲は有名なので、昔CDでいくつか聴いていたものの、どうもピンとこなくて聴き込むことをしてこなかった。だから、今回はなおさら衝撃的。コンサートの後半は圧倒されてしまい、茫然としてしまった。

 確かに宗教曲。でも、これは「生」への高らかな賛歌だ。生きるということは美しく素晴らしい、その肯定感が力強い生命力を伴った音楽となって迸っている。

 「めでたし、海の星 祝福される、海の御母 永遠に変わることのない乙女にして 恵まれた天の門」、聖母マリアは母性の象徴でもある。この讃歌に浮かぶのは、やはりヴェネツィア(初演はマントヴァと推定されているが、その後ヴェネツィアでも演奏されたはずだ)。
 そう、この曲はいやがおうにもヴェネツィアを想い起させる。ヴェネツィアでは、昔から現在まで「海との結婚」が儀式として行われている。ドージェ(元首)は指輪を投げ入れ、宣言する「汝と結婚する、海よ。永遠にお前が私のものであるように」と。
 歌声のメリスマの揺らぎは、サン・マルコ寺院(聖堂 Basilica di San Marco)の黄金のモザイクの揺らめきを、そしてオルガンの響きは、夕日に照らされ艶やかに浮かび上がるサン・マルコ寺院のファサードを、祝祭に満ちる世界で最も美しい都市を、再び目の当たりにしたような感動を与えてくれた。

 見事にモンテヴェルディの核心を突いた音楽を創り上げた、コンチェルト・イタリアーノ。ありがとう、素晴らしかった!

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 シチリアのパレルモを舞台としたマフィア映画で、イタリアでは大ヒットを記録した作品。TVドラマにもなっており、監督・原案・脚本そして主演まで務めるのは、シチリア出身のピフことピエルフランチェスコ・ディリベルト。直接話した知人によると、シチリア訛りで話を返され凄かった、とのこと(どんな感じなんでしょう)。

 シチリアといえば思い浮かぶのがマフィア、これは完全に映画《ゴッドファーザー》の影響。また、ヴィスコンティ《山猫》とか...。オペラだとマスカーニ《カヴァレリア・ルスティカーナ》、有名な間奏曲を含めて大好きだが(いかにもシチリア的でディープな愛憎劇)これぐらいしか頭に浮かばず申し訳ないと。

 マフィア映画だが、内容はコメディ仕立て。1970年代、マフィアによる反マフィアに対する暗殺の数々を、一住民である少年アルトゥーロの日常を通して描いていく。殺人が日常的で、しかも関係のない一般人も巻き込まれてしまう状態が続いていたことに、ただ驚いてしまう。とはいっても、そこはコメディ。笑いとユーモアで血生臭さは押さえ、少年アルトゥーロと同級生のフローラの出会い、そして大人になった二人の恋の進展が軸になっているところが良し。フローラ役のカポトンティは清楚な美貌で、魅力的。そして、頻繁に登場する「イネス」という粉砂糖の振りかけられている揚げパンが美味しそうで...。

 映画の最後に、マフィアとの闘争で命を落とした記者や政治家の記念碑を巡る場面が印象的だった。この映画は、そうした人々に捧げられている。

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 演奏が終わった瞬間、本当に2時間半という時が流れたのだろうか?と感じた。まるで異空間に身を置いたような感覚。音の一つ一つに「気」が漲り、最後までピーンと空気が張りつめたような緊張感を、こうして演奏者、観客とともに分かち合える体験は滅多にないだろう。
 
 それは諸行無常の響き―とも呼びたいような、私にとっては自然と人間の対比を感じさせるものだった。人は死すべき存在であること、それは自然の摂理であるということを改めて突き付けられたようで、辛くもあった。でも、それが真実だ。

 スカルダネッリ(ヘルダーリン)による詩の響き、そして架空の日付が、時の流れを歪ませていく。
 音楽の流れは伝統的な書法(カノン)やコラールに基づいているけれど、東洋的な響きを強く感じる。フルートは能管の響きのよう、日本の「りん」(仏具)も使用され、ピアニストが触れるのは鍵盤ではなく、弦そのものだ。テープを使用したり、ペーパーを破くなど、現代音楽ではお馴染みの奏法ともいえるけれど、それが必然性を伴った音としてこちらに届いてくるのは、凄い。
 自然は宇宙ともいえるものだな、と。そうした広がりに身を浸すことのできた一時。長く記憶に残りそうだ。

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 西洋のシノワズリから、日本の中国趣味(中国から学んだ和様水墨画)の世界へ。日本の水墨画といえば雪舟を思い浮かべるが、雪村は1489年~1492年生まれと推定されており、雪舟より一世代ほど後になろうか。

 時代は戦国。雪舟に私淑し、一度も京に上ることなく東国各地で活躍した。だからこそ、このように個性的な画風が生まれたのだろうか。中国の牧谿や玉潤の画にも学んでいるが、学ぶ前からすでに彼特有の激しさや躍動感が表れている。《風濤図》の風に煽られる竹や木々の描写は、初期から彼のシンボル的な特徴だな、と。
 60代過ぎからが画業のピークで(!)、展覧会ポスターにもなっている《呂洞賓図》もこの頃の作品とか。仙人は不動なのに、周りに沸き起こる風の上昇ループの力強いこと!そのパワーがこちらにビンビン伝わってくるのは、やはり凄い。ここまでくると、もう劇画(漫画)ではないかと思えてしまう。吹き出しを入れても違和感なし。

 後世に与えた影響は大きく、尾形光琳も私淑していたそうだ。雪村の画印まで持っていたとは、よほど好きだったのだろう。雪村の得意とした布袋図や仙人図などを参考にしたと思われる作品もあったが、光琳《紅白梅図屏風》と、雪村《欠伸布袋・紅白梅図》の対比展示には、意外性にびっくり。確かに似ているけれど、ではあの川は布袋様になるのだろうか…。

 雪村の布袋様は、得意にしていただけあってとってもいい感じ。まあるくて、暖かくて、思わず笑みがこぼれてしまう。また違った一面が垣間見えて、ほっこり。布袋様はヴェネツィアの博物館でも仙人と同様目立っていたので、こちらを(上手く撮れず…)。
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 ポツダムからヴェネツィアのシノワズリへ。こちらは1700年代博物館「緑漆の間」。金の装飾で彩られた緑色のキャビネットが目を引く。その上に置かれた陶人形は、なんだか異様な迫力。
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 思わず近くに寄ってまじまじと眺めてしまう。リアルな仙人達、このキャビネットにはぴったりかな。
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 東洋風(古伊万里っぽい)の茶器。他の間にも東洋趣味の陶磁器が山ほど。こんなにまとめて見たのは初めてかも、目の保養。

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 映画《メットガラ》(メトロポリタン美術館)での「鏡の中の中国」展では、シノワズリのドレスが登場していた。
 ロココに溢れたサンスーシ公園内の中国館は1754年から57年に建てられたもので、中国趣味(シノワズリ)を建物ごと具現化したものだが、一昨年に訪れた際にはその奇抜さにちょっとびっくり。
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 サンスーシ宮殿前の大階段を降り、噴水のある広場を過ぎて道なりに少し歩くと到着。入場料は3ユーロ。この中国館自体はとても小さいが、この黄金色の彫像がぐるっと建物を取り囲んでいる(キラキラ眩しい...)。東洋と西洋がミックスされた不思議な感覚。
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 中もこじんまり。丸天井画も幻想中国。猿が牧谿猿のように見えなくもないな、と。布袋様的人物と猿の組み合わせは他にも多く、鳥は鸚鵡で色鮮やか。壁紙&家具は柔らかなレモンイエローで、茶器のパープルが映えていた。
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 世界的に有名な美術館や劇場、芸術家を取り上げたドキュメンタリー映画は今までにいくつか観ているが、この《メットガラ》は中でも出色の出来!面白かった。
 舞台はNYのメトロポリタン美術館。「鏡の中の中国」展(中国をテーマとした服飾展)と、それに絡めた《メットガラ》と呼ばれるセレブパーティ開催までの経緯を描いている。ヴォーグ誌編集長アナ・ウィンターの采配ぶりを目の当たりにできるのも面白いけれど、見どころはキュレーターのボルトンが「鏡の中の中国」展にこぎつけるまでの獅子奮闘ぶり。
 ここで繰り返し問われるキーワードが「ファッションは芸術か?」。芸術といえば絵画、彫刻、建築を指すものだという意見が映画でも出てくるが、生活に密着しているものこそ、美しくあるべきだし、美しくあってほしい。
 それがアートに発展していくのは当然だし、服飾はもちろん器や家具なども同様だ。日本にも芸術性の高い伝統工芸品が山ほどある。私は香りが好きだが、香水だって芸術品と呼べなくはない。特にファッションや香水は、ファンタジーに溢れていて、身にまとった瞬間に、何か別な世界が開けていくように思えることも…。
 また、ファッションには知性が必要。映画でのデザイナー達の見事なドレスを目の当たりにすると、これが芸術でなくて何なのだろうか、と。
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 シノワズリのドレス。この辺りの時代から「鏡の中の中国」は始まるのかな。ポツダム・サンスーシの中国館を想い起させる、これはまた他の機会に。

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