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~AMOR,IO PARTO~
  Dal《Lamento d’Arianna》di Monteverdi,alle《Fonti del pianto》di Vivaldi
~愛の神よ、私は去りゆく~
  モンテヴェルディ《アリアンナの嘆き》からヴィヴァルディ《涙の泉》へ
Lieselot De Wilde,soprano
Fabiano Merlante,tiorba

 ここは、フェニーチェ劇場内のアポロンの間と呼ばれる、ごく小さな広間。テオルボとソプラノのデュオ・リサイタルには最適だった。開演前の舞台には、ファツィオリピアノとテオルボが。今回はピアノの出番はなかったものの、音色を聴いてみたかったと(ファツィオリと聞くと、ヒューイットを思い出す)。ファツィオリが制作されているサチーレはヴェネツィアのすぐ近くだ。

 《AMOR,IO PARTO》は、カッチーニの《Nuove Musiche》(新しい音楽)から。そう、新しい音楽だ!モノディ様式、バロックそしてオペラの始まり...。今回のプログラムは、この新しい音楽スタイルに捧げるとのこと。この新しい音楽は、フィレンツェで産声を上げ、ヨーロッパ諸国に伝わり発展していった。そしてオペラは現在まで生き残っている。
 また、このスタイルはそれぞれの国と時代に合わせた表現で、内容を刷新していく(例えば、ドイツのリートなど)。そうした幅広い視点から組まれたプログラムは、イタリア&イギリスの楽曲を交互に演奏するもので、歌の迷宮をアリアンナ(アリアドネ)の糸が導いていくようなイメージ。
 カッチーニ自身がテノール歌手だったそうで、歌唱については感情の表現に重きを置き、特にテキストを重要視していたとのこと。これは、現在も全く変わりないものだ。
 
 イギリスからは、初期バロックのアルフォンソ・フェッラボスコ(息子)とニコラス・ラニアー、パーセル、そしてブリテンの《聖体のキャロル》まで。このブリテン、バロックの中で聴くと異質な感じだが(でも素敵)、それは幻想的で印象に残っている。
 イタリアからはカッチーニ、メールラ、モンテヴェルディ、ヴィヴァルディという錚々たる顔ぶれ。メールラの《Folle,e ben che si crede》(そんな風に思うなんて)は愛らしくて好きな曲。しかしカッチーニとモンテヴェルディは、morire(死)そして苦しみといった歌詞が初めから満載で、濃い情念のほとばしりに「うわー」と思ってしまう。いえ、やはり凄いのですけれど…。
 ヴェネツィア生まれのカプスペルガーのリュート曲は、歯切れのよいトッカータで楽しかった。

 アンコールは、カッチーニ《アマリリ麗し》。このプログラムには、まさにふさわしい幕切れ。この馴染み深い、美しいメロディーと、初めてのイタリアの体験が重なり、思わず目頭が熱くなった。私のイタリアのオペラへの旅も、これで閉幕だ。
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 ティツィアーノ《ペーザロの祭壇画》、フラーリ聖堂にて。

 イタリア・ルネサンスの作家、アリオストが『狂えるオルランド』で、古代ギリシャの画家達を「その名声は、たとえクロト(運命の女神)の手によってその肉体が滅び去り、次いでまたその作品も消えうせようとも、いつまでも消えることなく、人々が読み書きを行う限り、物書き達の手によって、この世に命を保つであろう」と書いている。
 それは、「また当代に生きたる者や、今もなお生ある者たち」とダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロと並んで「カドーレの誉れティツィアーノ」も同様と、その作品の素晴らしさを称えている。
 ティツィアーノはアリオストと交流があり、肖像画も描いている。この肖像画もアリオストの人となりが伝わるような、魅力的な描き方だ。
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 ティツィアーノはドロミティのピエーヴェ・ディ・カドーレ生まれ。ヴェネツィアのベッリーニ工房にて学び、ジョルジョーネの助手を経て、このフラーリ聖堂の《聖母被昇天》を制作し名声を得た。
 そして、この聖堂にはティツィアーノが埋葬されている。記念碑には《聖母被昇天》が刻まれており、やはり、なんといってもこれがティツィアーノの代表作だ。その祭壇画は、聖堂の窓から差し込む光の中に浮かび上がり、まるで現実の出来事のようにリアルな感触を与えてくれる。


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 先日の新聞に、クリスティへの取材記事が掲載されていた。「あらゆる境界を超えるのは、伝えたい、理解したいという思い。その源が愛であることは言うまでもない。愛こそが、聴衆との新たなコミュニケーションの礎」だと。これは、音楽だけに限った話ではない。お互いのコミュニケーションに重きを置く、クリスティらしい言葉。その音楽にも、人間性が表れていると思う。
 今回の来日公演でのプログラム《声の庭》(若い歌手のためのアカデミー第7回)では、未来へ音楽を繋ぐというクリスティの意図が最も明確に示されており、「これを続けているから、私は心身ともに若くいられる」とのこと。頼もしい限り。

 今回の公演は《イタリアの庭で~愛のアカデミア》と題し、イタリア・盛期ルネサンス時代のアリオスト作『狂えるオルランド』をモチーフとしたプログラム。バロック・オペラの題材といえば、まず筆頭にこれが挙がってくるので、納得の構成。それになんといっても名曲揃い。
 『狂えるオルランド』でまず思い浮かぶのがヘンデル《オルランド》。といえば、オルランドの名アリア「冥界の川に住む、邪悪な亡霊たちよ!」これを実際に聴けたのが、まず嬉しかった。ああ、やはりヘンデルは天才。表現の深いこと、オルランドの狂気が伝わってくる。
 そして、ヴィヴァルディ《オルランド・フリオーソ》。こちらはまたヘンデルとは違う表現、空を舞うような華麗さがある。他、初期バロックのバンキエーリ、ヴェッキ、デ・ヴェルト、そしてストラデッラとバラエティに富んだ内容。

 休憩後のプログラムは、悲劇から喜劇モードに。楽しかった!バロックから古典派へ移行して、チマローザ《みじめな劇場支配人》とハイドン《歌姫》のドタバタ喜劇に思わずクスクスと笑ってしまう。こんなブッファ、もっと観たい!ハイドン、楽しい!!モーツァルトのアリエッタは、特別な素晴らしさ。やはりモーツァルト、うっとり。
 最後はやはりこれしかないだろう、ハイドン《騎士オルランド》。私の大好きな作品。

 ストーリー仕立てになっているセミ・ステージ公演で、若手の歌手たちは大熱演。爽やかな余韻が残った。
 極上のクリスティ・サウンドに浸かって、改めて音楽が与えてくれる無限の楽しさ&おもてなしを受けた心地。またの来日を心待ちにしている。

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 演奏会前に友人とダリ展へ。最も好きな《狂えるトリスタン》が来ていた。
10代最後の頃、画集で観たこの絵に一目惚れをした。それはもちろんワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》をいやがおうにも思い起こさせるから。私の抱くこのオペラのイメージと、ダリが描く《狂えるトリスタン(とイゾルデ)》の悲劇的なグロテスクさが、ぴったりと重なり合う。

 そしてサントリーホールへ。友人からチケットを譲っていただいた東京交響楽団の定期演奏会。
 プログラムはワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》第一幕への前奏曲から。先ほど観たダリの《狂えるトリスタン》が思い浮かぶかと思いきや、演奏は透明感に溢れ、澄んだ穏やかな渚を進むような静謐さ。天上の世界へ真っ直ぐ向かう雰囲気で、美しかった。ダリが描いた救いの無い、世紀末的な悲劇さからは遠いもの。

 そして、前奏曲の張りつめた静謐さを留めながら、休止なしでデュティーユのチェロ協奏曲《遙かなる遠い国へ》。
 初めて聴いた曲だが、これがもうチェロのヨハネス・モーザーともに素晴らしく、ノットによるプログラミングの妙に感心。
 この曲は、ボードレール『悪の華』からインスピレーションを得て作曲されたもの。曲名は「髪」の一節<遥かな、不在の、ほぼ死に絶えた世界が全て、おまえの深みのうちに、かぐわしい森のうちに生きている>から採られている(プログラムより)。

 現代音楽だけあって、多彩な打楽器に、ハープやチェレスタも入っている。難曲ではあるだろうが、騒然とした曲の作りではなく、むしろすっきりとした印象。打楽器が効果的に生かされており、鐘の音(銅鑼)が、いくつも木霊するなかで、太古の森を思わせる幻想的な世界が広がっていき、まるで魅惑的な魔術にかけられたような心持ちになった。

 第三楽章〈黒檀の海よ、おまえにはまばゆいほどの夢がある 帆や漕ぎ手、長旗、そしてマストの夢が〉(「髪」より)は、ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》にそのまま呼応しているかのよう。そう思うと、よりイメージが広がっていく。なんと艶やかな詩だろう!
 最終楽章の讃歌〈夢を持ち続けよ 賢人は狂人ほど美しい夢はもたないのだから〉(「声」より)に、またダリの《狂えるトリスタン》がよみがえってしまった。ダリのシュルレアリスム世界とも繋がっていくような…。
 
 それにしても、ボードレールの詩は、断片だけでも素晴らしい。そうだ、ボードレールは、ワーグナーについても批評していたのだった。ワーグナーとの繋がりがやはりあったな、と。

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 主祭壇にティツィアーノ《聖母被昇天》(画面奥)を掲げるこの聖堂は、壮麗な絵画や彫刻に彩られている。ゴシック様式の聖歌隊席も素晴らしく、祭壇画のティツィアーノやベッリーニ、ヴィヴァリーニ、そしてカノーヴァの墓碑などを眺めていると、時が経つのを忘れてしまう。
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 そして、この聖堂内部から少し外れた参事会室には、ヴェネツィア絵画の祖パオロ・ヴェネツィアーノによる《ダンドロの半円飾り》がある。パオロは、アカデミア美術館に《聖母の戴冠》、サン・マルコ大聖堂に《フェリアーレ祭壇画》があるが、優美なロレンツィオ・ヴェネツィアーノに比べると、ビザンツの影響がさらに強く感じられ、古風な印象。燃え立つような金色に浮き上がる色彩の華やかさに、目を奪われてしまう。
 この聖堂だけでも、ヴェネツィア絵画の流れを目の当たりにできるのが嬉しい。


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サン・マルコ大聖堂のバルコニーから

 先日、テレビ東京「美の巨人たち」でサン・マルコ広場が紹介されていた。
 友人が「見た?世界で一番美しい広場だと、何度も言っていたのが印象的で...。あなたも何度か通ったのかしらと思っていたのよ」と嬉しそうに伝えてくれた。
 そう、4日間の滞在で、何度ここを往復しただろう。宿から広場を通って劇場や美術館、教会へ繰り出し、また広場を通って宿に帰ってくる日々。昼間の観光客で活気に満ちた広場から、深夜の落ち着いてしっとりした広場まで体感し、自分がここにいるなんて、今思えば夢のようだった。
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 先月公開された映画『インフェルノ』でも、ほんの少しサン・マルコ広場が登場。サン・マルコ大聖堂のファザードにある青銅の馬が、謎かけの一つになっていた。コンスタンティノープルから略奪してきた彫刻で、こちらはレプリカ。本物は内部の博物館で見ることができる。ヘレニズム時代のものだが、本物の馬と見紛うばかりだ。
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 このときは、広場がアックア・アルタ。9月にもあるんだな、と。この程度で良かったけれど、サン・マルコ大聖堂の前には、歩行専用の高台通路がズラッと並べられ、私もそこを通過することとなった。

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 元同僚に誘われ、上野まで。都会の小さな秋を散策。気持ちが解れていくのは、自然の潤いを感じさせてくれるから。
 そして彼女の希望で「ゴッホとゴーギャン」展へ。ゴッホは人気があるので、凄い人出。これだけ人がいるとゆったり鑑賞するのは難しい。ランチでのんびりして、お互いの近況をおしゃべり。
 その後は、国際子ども図書館の「こんにちは!イタリア」展へ。入口に掲げられているヴェネツィアに、もう嬉しくなってしまう。ちょうどギャラリートークが始まり、ラッキーだった。
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 イタリアの子どもの本を紹介している展示室は、絵本と児童文学のセクションに分かれており、ギャラリートークでは、児童文学のお薦めを何点か紹介してくれた。他国の文化を知ることは楽しい。
 中でも現代イタリアを代表する作家であるピウミーニ『光草』、ガンドルフィ『むだに過ごした時の島』は魅力的だった。そして、ダダモ『イクバルの戦い』は児童労働についての告発状にもなっている(イクバルは、そのために12歳で命を絶たれてしまう)。子供だけではなく、大人こそ読まねばならないな、と。
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 絵本の中では、ニコレッタ・チェッコリ『女の子たちの夢』に惹きつけられる。表紙に佇む少女の危うげで物憂いこと、この時期ならではの不安定さが幻想的に表されていて、お洒落。
 この絵本では、片方のページに「トリスタンとイゾルデ」などの昔の恋愛物語、もう片方に様々な女の子が描かれているとのこと。面白そう!

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# by marupuri23 | 2016-11-28 21:50 | | Comments(0)
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 この祭壇画の聖母マリアを見て、「あ、観音様だ」と思ってしまった。ビザンツ様式の名残がそう感じさせるのだろうが、なんと東洋的なのだろう。光背(頭光)や宝冠、頭部を覆うベールと体にフィットする衣の感じが、観音様そのものだ。西洋と東洋は、やはりあるところで繋がっている。絵画においても、歴史を遡れば遡るほど、そう思えてならない。
 それにしても、650年前のものとは信じられないほどの優美さに、ただ茫然と見入ってしまう。
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 これはアカデミア美術館の初期ヴェネツィア派(14世紀後半)の間にある、ロレンツィオ・ヴェネツィアーノ《リオン祭壇画》。ヴェネツィア絵画の祖である、パオロ・ヴェネツィアーノを継承し、10点近い作品が現存しているとのこと(宮下規久郎著『ヴェネツィア 美の都の一千年』より)。ロレンツィオは、パオロよりも人物描写が自然でたおやか、表現的にも洗練されている。そして、この華やかな色彩が、いかにもヴェネツィアらしい。素敵だ…。

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 ヴェネツィア最後の夜。滞在の締めくくりは、再びフェニーチェ劇場へ。
 バロック音楽ヴェネツィアンセンター主催のソプラノ&テオルボによるコンサート。モンテヴェルディ&ヴィヴァルディ・フェスティバル2016の公演で、会場は劇場内の小ホール的な場所(アポロンの間)。こじんまりとしたコンサートにはぴったり。
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 ~AMOR,IO PARTO~
  Dal《Lamento d’Arianna》di Monteverdi,alle《Fonti del pianto》di Vivaldi
 ~愛の神よ、私は去りゆく~
  モンテヴェルディ《アリアンナの嘆き》からヴィヴァルディ《涙の泉》へ

 締めくくりのコンサートは、奇しくもバロック。しかもヴェネツィアと深い所縁のある二人の名を冠したコンサート。好きな音楽に囲まれた、こんな幸福な夜を最後に過ごせるなんて!ヴェネツィアからの贈り物に、ありがとう。

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 私にとっての殺し文句、それは《オール・バッハ・プログラム》。そう銘打たれたコンサートがあると、「わぁ、いいなぁ」と瞬間的に胸が高鳴る。
 はいえ、演奏機会の多い無伴奏系(独奏)はあまり食指が動かず、かといって宗教カンタータや受難曲となると、その曲の性格から、ウキウキとコンサートを楽しみに行く雰囲気とは異なってくる。もちろん、聴けば心震える。自分が大病した時など、カンタータにずいぶんと慰められた。
 バッハの曲は「堅い(難い)」印象を与える音楽ばかりではなく、カンタータの中にも思わず耳を奪われてしまう美しい旋律の曲があるし、器楽曲も幅が広い。何より、バッハの紡ぎだす音の絡み合いに身を委ねる快楽は、バッハでしか得られない、特別なものがある。

 今回のプログラムは、ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタを中心としたもの。このソナタ集も各曲それぞれに個性的で、バッハらしい綿密な音のアラベスクが、デュオによる華麗な掛け合いで広がっていく。
 それをファウスト&ベザイデンホウトという名手2人で楽しめるなんて!これを聞き逃す手があるだろうか。

 チェンバロを弾いたベザイデンホウトはモーツァルトの評価が高いが、私は全く聴いたことがなく、今回が初めて。このヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ集では、チェンバロはただの伴奏ではなく、ヴァイオリンと共にメロディーを奏で、かつ通奏低音も兼ねるという、時代を先取りした形式。演奏が難しいのは当然だが、エキサイティングな弾きっぷりに魅了されてしまった。
 ソロ曲のトッカータニ短調も良かったけれど、ソナタ第6番のチェンバロ・ソロの盛り上がりには、私も気分が高揚。もっと聴いてみたいなと思わせてくれる。
 ヴァイオリンのファウストは、曲ごとに弓を替えながらという研究熱心さが窺え、手堅い演奏だったが、もっと弾んでもいいような。バッハを聴く快楽を味合わせてくれる演奏に出会うのは、やはり難しい。

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