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 本日公開のシルヴィオ・ソルディーニ監督《エマの瞳》へ。これは昨年イタリア映画祭で観る予定にしていたが、用事が入ってしまい友人にチケットを譲ってしまったもの。日本でも劇場公開されることになってよかった。
 ソルディーニ監督の作品は、《ベニスで恋して》《日々と雲行き》に続き、私が観るのは3作目となる。作品の舞台も、ヴェネツィア、ジェノヴァに続き、今回はローマである。ソルディー二監督は、観光都市を舞台としても、はっきり名所を映しとるようなことは決してしない。今回もコロッセオ等の遺跡名所は当然出てこないのだが、雰囲気はローマ。街中の佇まい(テヴェレ川沿いとか)や住まいの窓からの景色で分かる感じ。
 また、広告代理店に勤める主人公テオの近代的なオフィス(ローマとは思えない)&アパートも登場して、テオと恋に落ちたエマ(視覚障がい者)の年期の入った仕事場&アパートとの対比も効いている。

 物語は直球勝負の恋愛もの。とはいっても、この監督の持ち味ともいおうか、大仰ではなく淡々とした語り口なのは「らしいな」と。最後は脇役達を生かして盛り上げ、洒落たエンディングに仕上げているのが心憎い。
 身近に障がい者と接する機会がなければ、テオのようにエマを「可哀そうな人」として何かを「してあげる」という目線になってしまうことはありがちだ。同じ人間であるからには、対等な立場で接するのは当然だが、そして、障害があろうとなかろうと、お互いを理解したい、繋がり合いたいという願いが障害を越えていくのだと、視覚で捉える世界が全てではない—Il colore nascosto delle cose ものの隠されている色、「色」=Il coloreはIl cuore=「心」に似ている― 物事をとらえるのは、最後はそれぞれの心なんだと。

 脇役である視覚障がい者の少女ナディアを演じたラウラ・アドリア―二、視覚を失った恐怖と混乱を乗り越えていこうとする姿に、強い意思が感じられて素晴らしかった。

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 名匠ジャンニ・アメリオ監督(御年74歳)の《ナポリの隣人》鑑賞に岩波ホールへ。

 原題は《La Tenerezza》。私の持っている辞書を引いてみると「いとおしさ」とあり、確かに、この映画からは人をいとおしく(愛しく)想うことの本質を問う姿勢が強く感じられて、ああ、内容にぴったりだと。
 家族だからいとおしく思うのは当然?いや、そんな単純なものではない。愛そうと思っても愛せない、愛さないと思っても愛してしまうのが人間である。そして、愛されなかったことの体験というのは、やはり不幸の連鎖を生む危険性があるのだと。これはイタリアだけではなく、現代社会における共通の問題点であり、また課題の中には移民も含まれているので、そこを描くことも当然というべきか。
 最後には、家族だからこその繋がりが、「愛」という一言では片づけられない、理屈を越えて想わずにはいられない心の揺らぎが、じんわりと胸に迫ってきた。よかった。

 撮影はルカ・ビガッティ。舞台が「ナポリ」であることはとても重要、というかナポリでなければ成立しない!
 ナポリは昨年訪れて気に入ったのだが、映像では工事中のガレリア、そして港(ここからカプリに行ったなぁと)、ゴチャっとしたスペイン地区、ゴミの散乱した落書きだらけの道、車やバイクの荒っぽい運転にクラクションの騒音、この雰囲気こそナポリ!
 そして、心に闇を抱える若い父親を演じたエリオ・ジェルマーノが、目を見張る素晴らしさでびっくり。Bravo!

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 Rosa di Maggio~5月の薔薇~と名付けられたアッシジの聖フランチェスコ聖堂のサポーネ(石鹸)は、身が清められていくような清々しい香り。クリスマスにアッシジを訪れた知人からのお土産。彼女は2度目の訪問だけれど、何度行ってもいいところ、との談。ローマからは行きやすい場所なので、いつかは訪れたい聖地。

 薔薇は聖なる花で、昨年聴いたボーイトによるオペラ《メフィスト―フェレ》でも、ケルビム達が薔薇の雨を注ぎ、メフィスト=悪魔を燃やして滅ぼすという幕切れだった。
 ケルビム達は歌う…「無数の薔薇をまき散らそう、香り高い薔薇の花びらの雲を、花の香りを…」「薔薇の雨を降らせよう、怪物の上に、…黄金のケルビム達が注ぐ、燃える薔薇の雨の中で…」

 アッシジの薔薇も魔除けには効果がありそうな。本当にいい香りなので、しばらく部屋に飾って香りを楽しみたい。

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 年の初めから、こんな至福を味わってしまっていいのだろうか、と感じ入ったコンサート始め。そう、日本でこれだけのヘンデル全曲演奏を聴く機会が他に一体どこにあるというのか。年々演奏もパワーアップして、合唱&管弦楽、ソリストともに目を見張る素晴らしい水準である。

 今回の実演で全く初めて《ソロモン》を聴くことになり、予習の時間も取れずフライヤーの説明文を読んだだけで臨んだ演奏会となったが、その説明を読むだけでもジョージ2世を讃える祝祭的な内容であることが容易に予想される。実際に接してみて、ストーリーがどうだというよりも、ひたすら王=神を讃えまつるという一貫性で、フランスの太陽王時代のオペラ、ルイ14世を讃えるリュリのそれが思い出されてしまう。
 でも、この作品はオペラで描かれるような個人的な感情の高まりとはまた違う、さらにスケールの大きい、全人類的な希求の姿勢が強くて、神=王=世界(国)の「平和と繁栄」のテーマがストレートなメッセージとして伝わってくる。平和と繁栄ーこれは過去未来、どの国であっても共通の願いであり、そのメッセージがヘンデル節(揺るぎないヘンデル節!)が全開の、輝かしい祝祭的な響きで歌われれば感動しないわけがない。こちらの気持ちも高揚させてしまうのに十分である。

 アンコールでは《戴冠式アンセム》の《祭司ザドク》。祝祭のクライマックスここに極まれりという曲だが、全ての民が喜んで王を讃えるという歌詞に、平成が終わり新しい御代となるこの年が重なり合い、その御代が素晴らしいものでありますように、と思わず祈りつつ聴き入っていた。
 新しい御代となった来年に演奏される《ヨシュア》も、きっと素晴らしいことだろう。楽しみ。

★休憩中の恒例となったオルガン独奏も、ヘンデルらしい曲で素敵だった。ヘンデルらしい、というのはどのようなことを指すのか、ということだけれど、これはヘンデルだけを聴いていたのでは分からないのではないかー三つ子の魂百までとはよくいうが、やはりヘンデルは生まれ故郷ザクセンの申し子で、イタリアやフランスのバロックと聴き比べてみると、すぐに「あ、これはヘンデルだ」と違いが分かる。重心が重いのだ。
 その魅力は低音=ポリフォニックな構造にあって、通奏低音の魅力がバッハと共通している。その低音が、あの官能的な、ヘンデルにしかない、セクシーな響きに繋がっている。ルーツはドイツの教会のパイプオルガンなんだろうな…。
 だから、もちろんヘンデルは宗教的にもルター派の信仰を捨てるわけがない、それは音楽を聴いていても分かるように思う。

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 新年の読書始めに相応しい一冊だった。高峰秀子さんの主演映画は一作も観ていないのに、ファンなのである。そのエッセイが好きで、この方は「天は二物を与えず」の例外で天は二物も三物も与えるのだなぁと感嘆してしまう。御養女の斎藤明美さんが綴る、高峰秀子さんの在りし日の姿も見事で、「高峰秀子は、女優である前に、人間のプロだった」との言に、人間、このようにありたいものだと我が身を顧みて反省するばかり。

 斎藤明美さんが述べていること―「洗濯とか掃除とか食事とか、そんなものはどうだっていい。それよりも、素晴らしい映画を観たり、優れた書物を読んだり、音楽を聴くほうがずっと大事なことだ。若い頃の私はそう信じていた。だが、四十歳少し前に高峰を知り、彼女の日常を見るようになって、その考えは間違っていたと気づいた。日常が何より大切なのだ。たとえそれが些細と思える小さな日常のことであっても、常に心を込めて、慎重に行うことは、簡単そうでいて難しい。それらを遂行していく何気ない時間の中で人間の心と肉体は培われていく。」

 この一文を心に留めて、この一年、できるだけ精進していきたいなと。とはいえ、もう挫けかけていることも多々…。そんなときにまた読み返すと、襟を正していけるかな。

# by marupuri23 | 2019-01-18 22:36 | | Comments(0)
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1325年に建立されたナポリのサン・マルティーノ旧修道院にて
家族や友人達の無病息災を神に祈り、また世界に向けても想いを寄せたい
 
 おかげさまで、夫婦揃って穏やかな新年を過ごしている。お雑煮をいただき、年賀状をゆっくり眺めてのんびり。これから初詣、そして今夜から明日にかけては親戚一同と新年の祝いである。
 お年玉や御祝を用意するのも、嬉しい心持ち。こうして、御祝を渡すことができるのも、本当にありがたいことである。感謝を忘れすに、またそうした想いを分かち合うことを悦びとしていけますように。
 そして、皆さまにとって、この年が心満ちる素晴らしい年となりますように。
 どうぞ今年もよろしくお願いします。

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7月のカプリ島、青の洞窟にて
自然の妙技による鮮やかな青さに惹き込まれる

 今年も何とか無事に乗り切ることができて一息。
 社会で働いている以上、仕事中心の毎日なのは当然。そして趣味と気分転換を兼ねた定期レッスン(ピアノや語学)をコツコツ。生活の基盤となる家庭生活も手を抜きたくない、とは思うものの、実際は抜き放題(!)…。ここは夫にだいぶ助けられており、ありがたいパートナーに感謝である。
 歳を経て社会的な責任が増大していくのと反比例して、非日常の楽しみである演奏会や美術鑑賞等々は年々少なくなっていく傾向にある。優先順位でいくと自然な流れで、また好きなことや興味を惹かれることは他にもあるのだから、今後の鑑賞生活はさらにマイペースとなりそうだ。
 とはいえ、一年の振り返りを(下部Moreに一覧を記載)。

 演奏会(国内)ではロト指揮のレ・シエクル、そしてバッティストーニ指揮《メフィスト―フェレ》がなんといっても印象的だった。ヒューイットの平均律1巻&2巻は、バッハを弾くうえでも得たものは大きかったし、アントニーニ指揮のハイドンは楽しかった!
 そして、オペラ上演に接することは大きな歓びであることに変わりないのだが、今年はイタリア・オペラへの偏りが顕著で、自分でも唖然。海外で聴いたものやライブビューイングを含めると、ヴェルディ7上演、プッチーニ6上演、ロッシーニ2上演、フェッラーリ、ボーイト。それ以外はヘンデル(オラトリオ)とドイツもののツィンマーマン《白い薔薇》(静かな問いかけが感動的だった)、モーツァルト《魔笛》のみ。
 これは、鑑賞が偏っているというよりも、イタリア・オペラ自体の上演が多いからということもあるとは思うが…。

 美術鑑賞ではフィレンツェやナポリで観たものは別として、素晴らしかったのがルーベンスの回顧展(国立西洋美術館)。西洋美術のスタンダード・スタイルの王道である、必見(これを企画していただき感謝)。
 ほか、国内の小さな美術館でゆったりと観れる工芸系の展示は贅沢気分。でも、アンティーク・レースの展示を観たあとに、自宅に戻ってヴェネツィアで求めたレースを見ると、なんだか違う感じではないか…(ショック)。

 映画ではGWのイタリア映画祭で上演された「シシリアン・ゴースト・ストーリー」が名作。実際に起きたマフィアによる誘拐事件を元にしている。この事件はイタリア中を震撼させ(社会的に大きな話題となった)、マフィア対策を前進させたものの一つである。
 現在都内でロードショー中。内容は言葉を失うほどの悲惨さであるが、シチリアの自然を含めた映像の美しさは特筆ものである。お勧め。

 長々と書き連ねてしまったが、これで気持ちも一区切り。
 皆さま、どうぞよいお年をお迎えください!


More 今年の鑑賞記録(国内)
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サンテルモ城からの眺望、ヴェスヴィオ火山&ナポリ湾

 「ナポリを見て死ね」と言われることから、今夏に訪れた際は、ここが一望できるところに行かなくてはと、ヴォメロの丘にあるサンテルモ城へ。宿近くのトレド駅からメトロに乗り込み、ヴァンヴィテッリ駅で下車してテクテクと坂を上る。この辺りは落ち着いた住宅街で、雰囲気もいい感じ。歩いていると、だんたん眺望が開けてきて、ヴェスヴィオ火山と、ナポリ湾が見えてくる。
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サンテルモ城は星型の要塞で、16世紀に築かれたもの。城に入場した後、さらに上っていく。7月の暑さで汗だく…。
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 ここからの眺望に接して、ようやくナポリに来たことを実感。ナポリを例えるならばディズニーランドのよう。美しい眺望にアトラクションやスリルも充実、そして南国の魅惑的な雰囲気。もちろん食事も外せない。
 こんな魅力的な都市を、どうして好きにならずにいられようか。旅は音楽鑑賞を中心にしているので、どうしても時間が足りず、ナポリのアトラクション(スパッカナポリやカポディモンテ、近くのポンペイ遺跡等々…)を満喫できず残念。
 真夏のナポリ&カプリ島は、暑かったけれど解放感に溢れていて、とても心地良かった。

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ナポリのプレゼーピオ(キリスト降誕のジオラマ)
サン・マルティーノ美術館にて

 クリスマスシーズンは一年の中でも好きな季節の一つだが、今年はなんだか年末の気分が全くしなくて、アドヴェントカレンダーも、以前ドレスデンで求めてきたくるみ割り人形等々の飾りつけも無し(一年に一度の機会なのにごめんね)。
 今日はクリスマス・イブなので、今年ナポリでみたプレゼーピオを。プレゼーピオはキリスト降誕のジオラマで、ナポリのそれは特に有名である。私もスパッカナポリのプレゼーピオ専門店でプルチネッラをいくつかお土産にしたかったけど、叶わず残念。でも、サン・マルティーノ美術館でアンティークのプレゼーピオ・コレクションを満喫できたのでよしとしたい。
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 作りの細かさに驚愕。キリスト降誕以外の場面の広がりが凄くて、見どころはキリスト降誕以外の部分にこそある。上部には数多くの天使達、そして下部には群衆達。遠近法も効いているのである。この他にもたくさんコレクションが展示されているので、一見の価値あり。これは小さな人形だが、等身大に近いものもあって、これがまた迫力(というか圧力)である。生誕の場面はいいのだが、受難のシーン(これはトリノで観た14世紀頃の木製人形)となると怖いくらいで腰を抜かした。
 いよいよ、新年に向けてのラストスパートである。終わり良ければ総て良し、となるように頑張りたい。
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キリストのいない(12月25日以降に真ん中に置くのだろうか)、等身大のプレゼーピオ。ちゃんとロバと牛に天使達も。動物がほんとうに愛らしい。

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 昨年スカラ座のヘンデルで初めてファジョーリを聴くことができたが、なんと日本で聴く機会に恵まれることになろうとは思わなかった。この公演を実現していただけたことに、まずは主催事務所を始めとする関係者の皆さまに感謝したい。結果、大成功の公演となりバロック・オペラ(ヘンデルのオペラ)とカウンターテナーの魅力をより多くの方に実感していただけたのではないかと思う。これで弾みがつき、日本でもさらにバロック・オペラへの間口が広がり、公演そしてファンが増えていくことになればと、愛好者の一人として心から願うものである。

 オケはヴェニスバロック、来日の度に聴いているので馴染み深いが、今回はファジョーリがいる。ということで、私も気合を入れて会場に向かったが、開演前から会場全体が高揚感で満ちていることに驚く。そう、今聴くべきはカウンターテナーなのだ、待ってました!という盛り上がりである。

 そしてファジョーリの歌いっぷりだが、前半は思ったより精彩を欠いている印象で、これはもしかしたら昨年のスカラ座と一緒(不調に見えた)かも…と不安を感じていたが、《リナルド》のVenti,turbine,prestateで声が発せられたとたん、これまでとは別人のようなトーンの艶やかさに「わっ!きた!」と胸が高鳴り、とたんに惹き込まれてしまった。これは十八番なのだろう、彼の超絶技巧が冴えわたり圧倒的。このアリアが終わったとたん、「Bravo!」の嵐(私も思わず声を掛けてしまった、お見事!)である。
 休憩を挟んでからは、さらに調子をどんどん挙げていき、それと比例して観客の声援も熱を帯びていく。日本のコンサートではないような熱い雰囲気に。

 ファジョーリの声自体はジャルスキーやメータに比べると、決して「美声」(私の好みは芯の堅いクリアな声)ではないが、テクニックがともかく凄く、ファルセットと地声をあんなふうに使い分けることも滅多にできまい。そのテクニックを駆使して、これ以上はないという豊かな表現をもって、バロック音楽に、ヘンデルのオペラに熱い血の通う生命を吹き込んでくれているのだ。ヘンデルのファンとしても、嬉しい限りだった。