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レオン・バクストによる《牧神の午後》の「ニンフ」デザイン画
(バレエ・リュス展カタログより)

 今日は〝バレエ・リュス”プログラムともいえるドビュッシー、ラヴェル、そしてストラヴィンスキーのバレエ音楽で構成されたコンサートへ。演奏はパリ出身のロト指揮によるフランスのオーケストラ、レ・シエクル。
 初演当時(1913年)の響きは、なんと目もあやなことよ!本当に素晴らしかった。これだけの大編成で、楽器も当時に近いものを揃えて…というだけでも日本ではなかなか聴く機会がない。しかし、楽器を揃えただけでは意味がない、その楽器を生かし、説得力のある魅力的な演奏になっているかどうかが重要だが、まあ鮮やかな指揮による見事な演奏で腰が抜けた(特に管・打楽器群)!
 世の常として、クラシック音楽の演奏にも世界的なモード=「流行」というものが存在しているが、これが最先端の一つであることに間違いはないだろうと思う。
 未だ興奮冷めやらずの状態で、また改めて書き加えたいなと…。

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 書店でふと目に留まったイザベル・アジェンデ『日本人の恋びと』。題名に惹かれて手に取り、読み始めたら、あっという間に惹き込まれ、夢中になって完読。読み進めて残りのページ数が少なくなってくると、この悲しくも美しい愛の物語が終わってしまう予感に心寂しくなってしまうほどだった。
 
 イザベル・アジェンデは言うまでもなく『精霊たちの家』を代表作とするチリの作家だが、彼女の作品に接するのは初めて。ラテンアメリカ文学で大好きなのはマヌエル・プイグだが、イザベル・アジェンデは現在70歳半ばであっても現役バリバリの作家であるのが嬉しい。

 その年齢にあってこその心境と思わされる「老い」と「過去」と向き合う姿勢はもちろんのこと、現在の世界的な情勢をリアルに捉えた視点が物語に深みを与えている。現在の移民国家アメリカの多様性がよく伝わってきて、「モルドバ」の貧しい実際など目から鱗であった。そして過去の大戦時のホロコースト(主人公の両親はポーランド在住のユダヤ人)、また、日系アメリカ人の収容されたキャンプ(トパーズ収容所)の描写には胸が重苦しくなった。いま、どれほどの日本人がこのことを知っているだろうか…。

 感動的だったのは、最後に故人となった高齢の主人公が、未来を継ぐ若い友人にしっかりと愛のバトンを渡していったこと。
 愛が怖れを打ち砕いたこの場面は、この物語で最高のカタルシスをもたらしてくれた。
 「この友愛の証を前にイリーナは実感した。無垢だったころみたいに、わたしは大事にされていたのだと…。過去の怪物どもが退却しはじめ、養父のビデオのおぞましい力は実寸大に縮小した。…ああ、キルスティン、考えてもみて、わたしったら人生の半分も、つまらない怖れにかられて生きていたのよ」(本文より)
 
 過去は変えることができないが、大事なのは過去と向き合う姿勢。それは個人にとっても国にとっても同じだな、と。

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# by marupuri23 | 2018-06-03 23:09 | | Comments(0)
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 ヴェルディ作曲《ルイザ・ミラー》の鑑賞へ。
 今年はなんだか、私にとってヴェルディの年になりそうな…というのも、ここ十数年あまりヴェルディを聴いてこなかったのだが、今年に入ってから日本ヴェルディ協会の講演会へ赴いたり、英国ロイヤルオペラのライブビューイング《リゴレット》に心揺さぶられたり、またこれからも観る予定があるというのも、私にとっては珍しいこと。

 この《ルイザ・ミラー》は初めて観る作品。初演がサン・カルロ劇場ということだけしか知らず、ヴェルディのどのあたりの時期に作られたのかもよく分からないまま映画館へ。
 聴いてみると、やっぱりヴェルディは私が聴いてきたオペラの中で、最もマッチョ。作家の島田雅彦さんはヴェルディの《イル・トロヴァトーレ》を「全編にわたって男臭さムンムンのマッチョ・オペラ」と評していたが、この《ルイザ・ミラー》もその路線。ストーリーもそうだが、やはり音楽がマッチョなのである。幕間のインタビューで、《ルイザ・ミラー》はヴェルディが自分のスタイルを確立する以前のものというコメントがされていたが、いやいや、それでも同世代のワーグナーより断然「男臭い」。
 ストーリー自体は男女の恋愛が軸になっているが、父子の葛藤や対決が大きな要素となっているのがポイントで、この作品は読み替え演出にも向いているのではないだろうか。例えばマフィア同士の抗争(日本でいえば任侠映画の世界)に置き換えてもぴったり嵌まるような気がする。

 演奏では、B・ド・ビリーの指揮がとても良かった!俊敏で、これぐらい筋肉質で引き締まった演奏でないと、ヴェルディのカッコいいマッチョさが引き出されてこないのではないかなと。序曲から惚れ惚れしてしまった。ここだけでも、もう一度聴きたい。

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 ロッシーニのブッファとなると、その楽しさを予想して、もう聴く前からウキウキと気持ちが浮き立ってしまうのである。
 その味わいは軽やかなスプマンテのごとく弾けて、粋で、洒落ていて、人生とは楽しむためにあると感じさせてくれる。そんな気持ちに誘ってくれるオペラ作曲家なんて、滅多にいない。そう、ロッシーニは最高、ロッシーニに乾杯!

 今回のお目当ては脇園さんによるチェネレントラ=アンジェリーナ。舞台姿に華があり、歌声はコントラルトのような、かなり深い低音が響いてロッシーニのヒロイン役としてはぴったり。《アルジェのイタリア女》(大好き!)のイザベッラとか、きっと素敵だろう。バロックもカウンターテナーとのデュエットなんて聴いてみたい。が、今回はビブラートが強く、伸びが今一つといった感じで「あれっ?」と(調子が悪かったと後から知ったのだが)。最後の技巧的なアリアは本当に見事で、息を呑むほど素晴らしかった。
 そしてドン・ラミ―ロの小堀さんの明るく抜けるような歌声に驚愕。美声とはこのことだと、うっとり聞き惚れてしまった。なんといっても、脇園さんと小堀さんという若々しいフレッシュな組み合わせが、《チェネレントラ》の世界にはふさわしかったように思う。舞台に爽やかな風が抜けていくようだった。

 このフレッシュな組み合わせの脇を固める共演陣も芸達者で、特にクロリンダの光岡さんのコメディエンヌぶりがいい!悲劇より喜劇(人を笑わすこと)の方が難しいと思うが、やはりブッファなので、歌だけではなく、動きにもコミカルなテンポが欲しい。オーケストラも、弾けるノリの良さを表現するのは大変だと思うが、十分ロッシーニらしさを味合わせてくれた。
 日本でこれだけのロッシーニを味わえるなんて、幸せだ。

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 人生2度目の大阪へ。母と共にフェスティバルホールでロッシーニ《チェネレントラ》を鑑賞。
 母も私も初めてのフェスティバルホール。5周年を迎えたばかりとのことで、まだ初々しさが感じられる。色調は温かみがあって落ち着いた雰囲気。照明も幻想的で素敵だ。
 今回はこの《チェネレントラ》を聴くために大阪へ来た。ちょうど「母の日チケット」という母子セット券があり、「今年の母の日はこれでいこう!」と。毎年、花を贈っているが今回はオペラ鑑賞というわけである。
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 ビュッフェ券が特典として付いている。母は鮮やかな「ロッシーニ」カクテルを。ストロベリーの香りが華やかで、ロッシーニの雰囲気にぴったり。私はアルコールダメなのでジンジャーエール。
 しかし、音楽鑑賞のための遠征(国内)は久し振り。びわ湖ホールの《死の都》以来だ。
 ロッシーニのオペラも何年振りだろう。東京文化会館で《ランスへの旅》を聴いたのが最後だったかな、と記憶を手繰り寄せる。
 今回は東京では聴けないので大阪まで来たのだけれど、プチ旅行も楽しめて一石二鳥。大阪、凄く良かった。また来たいな。

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 中世の伝統歌、というタイトルに何とも言えぬノスタルジックな、いにしえの薫りを感じてチケットを購入。
 初めて接するアンサンブルなので、期待と不安が半分半分。が、どんな世界を見せてくれるのだろうかというワクワク感の方が勝る。いよいよ演奏が始まると、一曲目《美しきパリの女たち》(フランソワ・ヴィヨン作曲)から「わぁ、これはいい!」と気分が高揚。これは大当たり!
 大好きなデュファイ(初期ルネサンス)や、モンセラートの朱い本があったのは嬉しかったが、ほとんど初めて聴く曲。
 それは、いつから歌い継がれてきたのだろうか、十字軍時代のセファルディムの伝統歌、12世紀の紡ぎ歌、13世紀の写本、また中世のマリア賛歌からは、「マリア崇拝」の伝統を感じる。演奏の最後、観客も一緒になって「アベ・マリア」と繰り返し声を合わせて歌ったが、その当時の聖母マリアに対する人々の想いが、ひしひしと迫ってくるようだった。

 5名のアンサンブルだが、古楽器(10種類ぐらいはあったのではないだろうか)を駆使して、民謡を生き生きと、そして吟遊詩人の歌をしっとりと、ある時にはコミカルな歌と変化を付けて全く飽きさせない。
 そして、バロック以前から存在する古楽器の数々に目から鱗状態である。楽器のルーツを辿ると、西洋も東洋も元は同じという楽器は多いが、やはり古いものになればなるほど、東西の境目が曖昧になっていく感じがするのである。
 歌はどうだろうか、最後には何か遙か遠い遠い過去に還っていくような、懐かしい思いに囚われて目が潤んでしまった。頭で聴くというよりも身体で音楽を受け止めたような気がする。

 CDを購入しようとしたところ「3種類あったが、初日で全て完売」とのこと。残念。また機会があれば聴きたいもの。

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 楽しみにしていたピエール・アンタイによるスカルラッティの演奏会へ。
 以前にラジオ放送でアンタイのスカルラッティを聴いた際、度肝を抜かれCDも聴いていたが、今回実演に接することができて嬉しい。ラジオ放送で聴いた際は、歴史的に名高いヘンデルとスカルラッティの鍵盤演奏対決という企画だったが、チェンバロ曲を聴き比べると圧倒的にスカルラッティの勝利である。目を瞠るような驚きに満ちた曲の展開は、眩いばかりの音の渦となり、まさにスカルラッティは鍵盤の魔術師だ。
 ドメニコ・スカルラッティは、バッハやヘンデルと同い年だが、新しい様式を先取りしている感が強い。古典派への架け橋となっているC.P.Eバッハに近いと言われるのもうなづける。

 アンタイによるスカルラッティはそれは見事で、まるで魔術師のごとく、次から次へと鮮やかな手品が繰り出されるよう。驚きに満ちて、胸がずっとドキドキしていた。そんなソナタの中で、一曲だけフーガハ短調K.58(バッハ《音楽の捧げもの》に似ているような)があったのだが、これが明らかに「異質」な印象で「時代遅れ」に聴こえてしまう…。
 そんなスカルラッティを聴いて思い浮かぶのは、やはりスペインのまばゆい太陽、その光の下で踊られているダンスの風景や、掻き鳴らすギターの音色などの情景。そして光が鮮やかなだけに、陰はより濃く暗いものとなり、その暗さもじっくりと味合わせてくれた。16世紀から17世紀前半には「スペインの黒」が流行したが、私にとってスペインの色は「黒」。スカルラッティのソナタには、確かにその深い「黒」がある。
 
 ピアノで弾くこともポピュラーなスカルラッティだが、私のピアノの師匠は「どうも弾き方がよく分からない」と言う。チェンバロでの演奏を聞くと、こちらの方がよりストレートに(面白く)曲を味わえるように思える。ギターを模した音色など、ピアノで表現するのは難しく、ピアノで弾くならば、曲を選ぶ必要があるだろう。

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レッスン中のバッハ
《平均律クラヴィーア曲集2巻 ロ短調 前奏曲とフーガ》

 この時期、まだまだ忙しく残業の日々。定期のピアノレッスンも行けるかどうか危ぶまれる感じで、やはり疲れが溜まってくると、いくらバッハが好きといっても、細かいパッセージを弾きこなすには、頭がついていかない…。

 バッハのロ短調といえば、《ミサ曲ロ短調》がまず思い浮かぶ。華やかさもあって大好きだが、この平均律2巻を締め括るロ短調からは不思議な印象を受ける。単純に「明るい」「暗い」「快活な」「荘厳な」といった一言では表しきれないキャラクターであり、どのように表現したらよいか迷う。特に前奏曲は諧謔性が感じられて、ピエロのような雰囲気も。
 フーガは3声だが、さすがに今まで弾いてきた2巻の中でも難しい!もっと慣れないと声部まで意識できないなと。こちらもオクターブで表現される音型が個性的。きっと、音型には数字と絡んで様々な象徴性があるのだろう、もっと深く理解していきたい、と思う。

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シチリアのお土産、マヨリカ焼きの小物入れ。イニシャル入りなのが嬉しい。

 友人からのお土産。なんて愛らしいマヨリカ焼き!派手になりすぎない落ち着いた佇まいで、サイドにはレース飾りのような絵付けがあるのも、ハンドメイドっぽくていい。しっくりと部屋にも馴染んでくれている。
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 お土産と共に、シチリアの素晴らしさをいろいろと聞くとことができて、それはもう羨ましい限り。美味しい食べ物のあれこれ、そしてオペラファンとしては、ベッリーニ劇場やベッリーニの眠る聖堂などの映像に、ただただ溜息である。いつか行けるだろうか…。
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水面に映る上野の弁天堂は、まるで異国の桃源郷のようなエキソジックさ

 新年度に入ったばかりなのに、もう桜は散ってしまった。あっという間に春の宴は過ぎゆきて、鮮やかな緑を日ごとに増していく季節となったが、今は仕事が最も慌ただしい時期で、しばらくは余裕のない日々が続く。
 そんな桜の盛りに、学生時代の部活仲間(ちなみに体育会系)と上野で待ち合わせ。総勢5人でサラッと上野周辺を散策、「飲み」はじっくりと。
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 馬肉専門店で始めていただいたあれこれ。クセが無くて、馬刺しも煮込みも美味しい。ワインがぴったりで、私はほとんど飲めないけれど、他のメンバーはよく飲むこと、何本ボトルを空けただろうか。私もすっかりほろ酔い加減で帰宅。
 いい気分転換になった、ありがとう♪


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