ラ・フォル・ジュルネTOKYO2018~《ソワレ・スカルラッティ》:ピエール・アンタイ チェンバロ・リサイタル

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 楽しみにしていたピエール・アンタイによるスカルラッティの演奏会へ。
 以前にラジオ放送でアンタイのスカルラッティを聴いた際、度肝を抜かれCDも聴いていたが、今回実演に接することができて嬉しい。ラジオ放送で聴いた際は、歴史的に名高いヘンデルとスカルラッティの鍵盤演奏対決という企画だったが、チェンバロ曲を聴き比べると圧倒的にスカルラッティの勝利である。目を瞠るような驚きに満ちた曲の展開は、眩いばかりの音の渦となり、まさにスカルラッティは鍵盤の魔術師だ。
 ドメニコ・スカルラッティは、バッハやヘンデルと同い年だが、新しい様式を先取りしている感が強い。古典派への架け橋となっているC.P.Eバッハに近いと言われるのもうなづける。

 アンタイによるスカルラッティはそれは見事で、まるで魔術師のごとく、次から次へと鮮やかな手品が繰り出されるよう。驚きに満ちて、胸がずっとドキドキしていた。そんなソナタの中で、一曲だけフーガハ短調K.58(バッハ《音楽の捧げもの》に似ているような)があったのだが、これが明らかに「異質」な印象で「時代遅れ」に聴こえてしまう…。
 そんなスカルラッティを聴いて思い浮かぶのは、やはりスペインのまばゆい太陽、その光の下で踊られているダンスの風景や、掻き鳴らすギターの音色などの情景。そして光が鮮やかなだけに、陰はより濃く暗いものとなり、その暗さもじっくりと味合わせてくれた。16世紀から17世紀前半には「スペインの黒」が流行したが、私にとってスペインの色は「黒」。スカルラッティのソナタには、確かにその深い「黒」がある。
 
 ピアノで弾くこともポピュラーなスカルラッティだが、私のピアノの師匠は「どうも弾き方がよく分からない」と言う。チェンバロでの演奏を聞くと、こちらの方がよりストレートに(面白く)曲を味わえるように思える。ギターを模した音色など、ピアノで表現するのは難しく、ピアノで弾くならば、曲を選ぶ必要があるだろう。

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by marupuri23 | 2018-05-06 22:51 | コンサート | Comments(0)