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カテゴリ:映画( 25 )

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 イタリアの女優ヴァレリア・ゴリーノが監督として撮った2作目の作品。ちょうど先月、彼女の主演した《エマの瞳》(ソルディーノ監督)を観たばかり。視覚障がい者の女性を凛々しく演じていたのが記憶に新しいが、監督としての才能も評価されているそうで(カンヌ映画祭のある視点部門に選出)この機会に鑑賞。

 物語の舞台はローマ。主人公マッテオは有能なビジネスマンで、優雅な独身貴族(ゲイ)として友人達と享楽的な余暇を楽しむ日々だが、教師の兄が病に倒れ、僅かな命であるという連絡が入る。人生の方向性がまるで違うゆえ疎遠になっていた兄弟だが、家族として兄を救おうとするマッテオの気持ちに、兄エットレも次第に態度を軟化させていく。そこにエットレの家族(妻と子供)と愛人も絡んで…という人間ドラマ。

 印象としては、フランソワーズ・サガンの小説のよう。私がサガンのファンなので、そうイメージしてしまうのだろうが、監督の「中心となるテーマは愛されること、愛の力だ」という言葉にも共通点が感じられるなぁと。サガンは「自分の知らないことは書くことができない」と、つまり知っていることを語ると述べていたかと思うが、この映画からは女優としてキャリアを築いてきたゴリーノのセンスと経験が伝わってくる。何より映像自体がシャープで、洗練されている。独特のセンスというよりも、バランスが取れていてお洒落、マッテオの住むペントハウス(独身なのに凄い広さ)は、最先端のイタリアンモダンなインテリアで仰天レベル。これだけでも一見の価値あり…。
 
 愛の形は様々で、家族に対するそれは特に複雑なものである。相手のために尽くそうとしていても、それは自分を救うためだったりもする。憐憫ではなくて相手を思いやることの難しさ、想いを汲み取ることの大切さが伝わってくる映画だった。

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 カンヌ映画祭で評価の高かった作品とのことで鑑賞へ(パルムドールは是枝監督の《万引き家族》)。主演はイタリアでは知らぬ人などないという、すでに国民的女優といえるアルバ・ロルヴァケル(妹は話題の映画監督アリーチェ・ロルヴァケル)。これまで彼女の少女時代からの出演作をいくつか観ているが、もう大人な年なのね。いつまでも少女のような雰囲気のアルバ(可愛い)。

 監督はジャンニ・ザナージ(1965年、ヴィニョーラ生まれ)。この監督の作品を観るのは初めて。
 原題《Troppa grazia》は過度の恩寵、多すぎる恵みともいえるのだろうか。アルバ演じる主人公ルチアはシングルマザーで測量技師として奮闘中。その彼女の前に「神の母」が現れて、教会を建てるようにお告げを述べるのだが、ルチアは戸惑うばかり。それも当然、現代においてそんなことが起こるなんて、誰が想像しえようか。このルチアの反応がコミカルで楽しい。
 ルチアの住んでいる街は田園の広がる、自然豊かな地域。そんな田舎にも、大規模なショッピングセンターが建設されることになり、ルチアはその土地の測量をしているのだ。建設によって利権を得、近代化を図ろうとする有力者たちの思惑もあり、時代の波は否応なく迫ってくる。イタリアにも日本と同じく、郊外に大規模なショッピングセンターがあるのは今や当たり前の光景となっているのだろう。それによって失われていくものへも目を向ける視点が、他人事ではない事柄として身に沁みるなと。ラストもよかった。

 しかし、昨日も洗礼者ヨハネとサロメ等々の聖書オペラ鑑賞、そしてまた今日の映画も神の母が登場、これから観る予定の映画も神様関係がズラズラと続く感じ…。

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 本日公開のシルヴィオ・ソルディーニ監督《エマの瞳》へ。これは昨年イタリア映画祭で観る予定にしていたが、用事が入ってしまい友人にチケットを譲ってしまったもの。日本でも劇場公開されることになってよかった。
 ソルディーニ監督の作品は、《ベニスで恋して》《日々と雲行き》に続き、私が観るのは3作目となる。作品の舞台も、ヴェネツィア、ジェノヴァに続き、今回はローマである。ソルディー二監督は、観光都市を舞台としても、はっきり名所を映しとるようなことは決してしない。今回もコロッセオ等の遺跡名所は当然出てこないのだが、雰囲気はローマ。街中の佇まい(テヴェレ川沿いとか)や住まいの窓からの景色で分かる感じ。
 また、広告代理店に勤める主人公テオの近代的なオフィス(ローマとは思えない)&アパートも登場して、テオと恋に落ちたエマ(視覚障がい者)の年期の入った仕事場&アパートとの対比も効いている。

 物語は直球勝負の恋愛もの。とはいっても、この監督の持ち味ともいおうか、大仰ではなく淡々とした語り口なのは「らしいな」と。最後は脇役達を生かして盛り上げ、洒落たエンディングに仕上げているのが心憎い。
 身近に障がい者と接する機会がなければ、テオのようにエマを「可哀そうな人」として何かを「してあげる」という目線になってしまうことはありがちだ。同じ人間であるからには、対等な立場で接するのは当然だが、そして、障害があろうとなかろうと、お互いを理解したい、繋がり合いたいという願いが障害を越えていくのだと、視覚で捉える世界が全てではない—Il colore nascosto delle cose ものの隠されている色、「色」=Il coloreはIl cuore=「心」に似ている― 物事をとらえるのは、最後はそれぞれの心なんだと。

 脇役である視覚障がい者の少女ナディアを演じたラウラ・アドリア―二、視覚を失った恐怖と混乱を乗り越えていこうとする姿に、強い意思が感じられて素晴らしかった。

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 名匠ジャンニ・アメリオ監督(御年74歳)の《ナポリの隣人》鑑賞に岩波ホールへ。

 原題は《La Tenerezza》。私の持っている辞書を引いてみると「いとおしさ」とあり、確かに、この映画からは人をいとおしく(愛しく)想うことの本質を問う姿勢が強く感じられて、ああ、内容にぴったりだと。
 家族だからいとおしく思うのは当然?いや、そんな単純なものではない。愛そうと思っても愛せない、愛さないと思っても愛してしまうのが人間である。そして、愛されなかったことの体験というのは、やはり不幸の連鎖を生む危険性があるのだと。これはイタリアだけではなく、現代社会における共通の問題点であり、また課題の中には移民も含まれているので、そこを描くことも当然というべきか。
 最後には、家族だからこその繋がりが、「愛」という一言では片づけられない、理屈を越えて想わずにはいられない心の揺らぎが、じんわりと胸に迫ってきた。よかった。

 撮影はルカ・ビガッティ。舞台が「ナポリ」であることはとても重要、というかナポリでなければ成立しない!
 ナポリは昨年訪れて気に入ったのだが、映像では工事中のガレリア、そして港(ここからカプリに行ったなぁと)、ゴチャっとしたスペイン地区、ゴミの散乱した落書きだらけの道、車やバイクの荒っぽい運転にクラクションの騒音、この雰囲気こそナポリ!
 そして、心に闇を抱える若い父親を演じたエリオ・ジェルマーノが、目を見張る素晴らしさでびっくり。Bravo!

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 昨年、システィーナ礼拝堂でガイドブック(ミケランジェロの本)と双眼鏡を手にしてフレスコ画に見入っていた際、近くにいた方から「ガイドブックを見せてほしい」と話しかけられた。ガイドブックを手渡して「どこからいらしたのですか?」と尋ねてみると「アルゼンチン」との返事。そうだ、現ローマ法王フランシスコはアルゼンチン出身だったな、と思いがよぎったものの、あまりおしゃべりをしてはいけない場所だったので、残念。

 そんな思い出もあったので、ダニエーレ・ルケッティ監督の《ローマ法王になる日まで》を鑑賞。法王フランシスコの若かりし頃を中心に描いた伝記映画だ。こうした伝記映画は「作られた物語」という面があることは否めず、その内容に縛られてしまうことを恐れて、あえて「観ない」という方もいるだろう。私もよほど思い入れがあれば観ないという選択をしただろうが、カトリック(キリスト教徒)ではないし、好奇心の方が勝って映画館へ。

 撮影のほとんどをアルゼンチンで行ない、アルゼンチンの役者にスペイン語でという力作。圧巻が1976年からの軍事独裁政権での状況で、背筋が凍った。それは「汚い戦争」と呼ばれ、3万人が死亡または行方不明となった暗黒時代である。そうした過酷な状況でのホルヘ・べルゴリオ神父(フランシスコ法王)を、苦悩して行動を選択していく人間の姿として描いているところが、良かったなぁと。
 ルケッティ監督は、無宗教の立場で扱ったそうだが(ご自身はカトリックではないとのこと)、べルゴリオ神父を含む人々と独裁政権との闘いについて、宗教や信仰、無信仰、カトリックか否かを超えた普遍的なプロセスを描いたと語っている。アルゼンチンへの理解を深めることができたのも、大きな収穫だった。
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ヴァティカン博物館のお土産コーナーにて。
パーパ(papa ローマ法王)もいらっしゃいました。

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 人生の意味とは愛し愛されることだ、と感じさせてくれる映画。人を愛することは、人生を照らす光。そのことを声高に謳い上げるのではなく、むしろ淡々とした語り口。ストーリーが進むごとに、ジワジワと幸福感に満たされ、最後は大団円!こうでなくっちゃ♪
 映画の舞台は、これほどまでに恋人たちの姿が似合う街はないだろうと思われるヴェネツィア。ロマンティックを絵に描いたようなところだが、ソルディーニ監督は「これぞ、ヴェネツィア」という撮り方をしない。旅人であるヒロインを取り巻くヴェネツィア住人の視点から、日常風景を描いている。それは迷宮のような路地に小さな広場の井戸、そして運河にかかる橋。いわゆる名所と呼ばれる場所は映っていないが、そこは、やはりヴェネツィア以外の何処でもない。
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 昨年9月、ヴェネツィアにて(劇場から宿に帰る途中、橋の上で)

 ヒロインと恋に落ちるヴェネツィア住人フェルナンド(ブルーノ・ガンツ)が、アリオスト『狂えるオルランド』を暗唱する場面がある。オルランドがメドーロとアンジェリカが結ばれたことを知って狂い悶えるハイライトシーンだ。恋は人を狂わせるもの、思ってもみなかった自分が現れる。そう、アモーレ(愛の神)の技は、過去から現在に至るまで、かくも強烈なのである。

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 マックス・リヒターの曲を使用ということで、興味を持っていたものの、なかなか観る機会を作れずにいた《メッセージ》だが、今日の新聞でテッド・チャンによる原作『あなたの人生の物語』の評を読み「これは観なければ」と、やっと公開終了寸前の鑑賞へ。

 言語によって思考が定まる、事項の捉え方が変化するというのは、外国語を習得することになぞらえればすぐに納得できることだが、その思考が〝時の流れ”に縛られていることには変わりない。だが、〝時の流れ”に縛られないならば?過去が未来となり、未来が過去となる。それが丸ごと繋がったとき、驚きの結末に。
 主人公の、それでも今の気持ちに正直に生きる、宿命を受け入れるという選択が心に響いた。「嘆き」よりも「愛」の大きさを感じられたのが嬉しい。
 監督ドゥニ・ヴィルヌーヴによる静かな語り口が、リアルな感覚で良かった。《ブレードランナー》続編もこんな感じだったら、いいかも。

 リヒターの曲はオープニングとエンドロールに使用されていたが、劇中でのヨハン・ヨハンソンの曲と相性抜群のため、そう言われてみればという印象(いい意味で映画に合っている)。
 公開中の《ザ・ダンサー》も彼の曲《25%のヴィヴァルディ》を使用していると知ってビックリ。リヒターが再構築したヴィヴァルディ《四季》(個人的には好き)と映画の時代背景&ダンス、合うのかな?

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 シチリアのパレルモを舞台としたマフィア映画で、イタリアでは大ヒットを記録した作品。TVドラマにもなっており、監督・原案・脚本そして主演まで務めるのは、シチリア出身のピフことピエルフランチェスコ・ディリベルト。直接話した知人によると、シチリア訛りで話を返され凄かった、とのこと(どんな感じなんでしょう)。

 シチリアといえば思い浮かぶのがマフィア、これは完全に映画《ゴッドファーザー》の影響。また、ヴィスコンティ《山猫》とか...。オペラだとマスカーニ《カヴァレリア・ルスティカーナ》、有名な間奏曲を含めて大好きだが(いかにもシチリア的でディープな愛憎劇)これぐらいしか頭に浮かばず申し訳ないと。

 マフィア映画だが、内容はコメディ仕立て。1970年代、マフィアによる反マフィアに対する暗殺の数々を、一住民である少年アルトゥーロの日常を通して描いていく。殺人が日常的で、しかも関係のない一般人も巻き込まれてしまう状態が続いていたことに、ただ驚いてしまう。とはいっても、そこはコメディ。笑いとユーモアで血生臭さは押さえ、少年アルトゥーロと同級生のフローラの出会い、そして大人になった二人の恋の進展が軸になっているところが良し。フローラ役のカポトンティは清楚な美貌で、魅力的。そして、頻繁に登場する「イネス」という粉砂糖の振りかけられている揚げパンが美味しそうで...。

 映画の最後に、マフィアとの闘争で命を落とした記者や政治家の記念碑を巡る場面が印象的だった。この映画は、そうした人々に捧げられている。

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 世界的に有名な美術館や劇場、芸術家を取り上げたドキュメンタリー映画は今までにいくつか観ているが、この《メットガラ》は中でも出色の出来!面白かった。
 舞台はNYのメトロポリタン美術館。「鏡の中の中国」展(中国をテーマとした服飾展)と、それに絡めた《メットガラ》と呼ばれるセレブパーティ開催までの経緯を描いている。ヴォーグ誌編集長アナ・ウィンターの采配ぶりを目の当たりにできるのも面白いけれど、見どころはキュレーターのボルトンが「鏡の中の中国」展にこぎつけるまでの獅子奮闘ぶり。
 ここで繰り返し問われるキーワードが「ファッションは芸術か?」。芸術といえば絵画、彫刻、建築を指すものだという意見が映画でも出てくるが、生活に密着しているものこそ、美しくあるべきだし、美しくあってほしい。
 それがアートに発展していくのは当然だし、服飾はもちろん器や家具なども同様だ。日本にも芸術性の高い伝統工芸品が山ほどある。私は香りが好きだが、香水だって芸術品と呼べなくはない。特にファッションや香水は、ファンタジーに溢れていて、身にまとった瞬間に、何か別な世界が開けていくように思えることも…。
 また、ファッションには知性が必要。映画でのデザイナー達の見事なドレスを目の当たりにすると、これが芸術でなくて何なのだろうか、と。
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 シノワズリのドレス。この辺りの時代から「鏡の中の中国」は始まるのかな。ポツダム・サンスーシの中国館を想い起させる、これはまた他の機会に。

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 喪失に伴う痛みと再生を驚くべき寓話性で描き上げた、なんという美しい映画!思わず涙が溢れてしまった。
 監督はナポリ出身で、まだ30代のエドアルド・デ・アンジェリス。パオロ・ソレンティーノ監督がアカデミー賞のイタリア代表作品に強く推薦したほか、ダヴィット・ディ・ドナテッロ賞の最多6部門で受賞したとのこと。それも納得の作品。
 
 舞台は海辺の貧しい田舎町(撮影場所はガゼルタ。寂れた感じの描写も素晴らしい)。移民も多く、貧困はすでにありふれたものとなっている。そんな町で、統合性双生児のヴィオラとデジーの姉妹は、まるで珍しい見世物のようにパーティーなどで歌を披露し、家族のために生計を立てている。
 もうすぐ18歳になろうとしている二人の自我がぶつかり合うのは当然で、デジーは分離手術をして〝普通”になることを強く願っている。しかし片方のヴィオラはあまり乗り気ではない。いや、デジー無しでは生きてはいけないという不安の方が強く、なぜ分かれる必要があるのかと反発する。そんな二人(二人で一人ともいえるけれど)が、分離手術を受けるために家出を...というストーリー。

 主演の二人は実際の姉妹だが、初めての演技とは信じられない!ティーンエイジャーらしい憧れと無邪気さが溢れ、明るい歌のシーンから、絶望的な境遇での思い詰めた場面まで、実に自然で胸を打つ演技。そして、より二人の無垢さを際立たせる両親、神父を演じた俳優たちも見事だった。もちろん映像も美しい。
 また、この監督の次回作を是非見たい!