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 ヴェルディ作曲《ルイザ・ミラー》の鑑賞へ。
 今年はなんだか、私にとってヴェルディの年になりそうな…というのも、ここ十数年あまりヴェルディを聴いてこなかったのだが、今年に入ってから日本ヴェルディ協会の講演会へ赴いたり、英国ロイヤルオペラのライブビューイング《リゴレット》に心揺さぶられたり、またこれからも観る予定があるというのも、私にとっては珍しいこと。

 この《ルイザ・ミラー》は初めて観る作品。初演がサン・カルロ劇場ということだけしか知らず、ヴェルディのどのあたりの時期に作られたのかもよく分からないまま映画館へ。
 聴いてみると、やっぱりヴェルディは私が聴いてきたオペラの中で、最もマッチョ。作家の島田雅彦さんはヴェルディの《イル・トロヴァトーレ》を「全編にわたって男臭さムンムンのマッチョ・オペラ」と評していたが、この《ルイザ・ミラー》もその路線。ストーリーもそうだが、やはり音楽がマッチョなのである。幕間のインタビューで、《ルイザ・ミラー》はヴェルディが自分のスタイルを確立する以前のものというコメントがされていたが、いやいや、それでも同世代のワーグナーより断然「男臭い」。
 ストーリー自体は男女の恋愛が軸になっているが、父子の葛藤や対決が大きな要素となっているのがポイントで、この作品は読み替え演出にも向いているのではないだろうか。例えばマフィア同士の抗争(日本でいえば任侠映画の世界)に置き換えてもぴったり嵌まるような気がする。

 演奏では、B・ド・ビリーの指揮がとても良かった!俊敏で、これぐらい筋肉質で引き締まった演奏でないと、ヴェルディのカッコいいマッチョさが引き出されてこないのではないかなと。序曲から惚れ惚れしてしまった。ここだけでも、もう一度聴きたい。

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 ロッシーニのブッファとなると、その楽しさを予想して、もう聴く前からウキウキと気持ちが浮き立ってしまうのである。
 その味わいは軽やかなスプマンテのごとく弾けて、粋で、洒落ていて、人生とは楽しむためにあると感じさせてくれる。そんな気持ちに誘ってくれるオペラ作曲家なんて、滅多にいない。そう、ロッシーニは最高、ロッシーニに乾杯!

 今回のお目当ては脇園さんによるチェネレントラ=アンジェリーナ。舞台姿に華があり、歌声はコントラルトのような、かなり深い低音が響いてロッシーニのヒロイン役としてはぴったり。《アルジェのイタリア女》(大好き!)のイザベッラとか、きっと素敵だろう。バロックもカウンターテナーとのデュエットなんて聴いてみたい。が、今回はビブラートが強く、伸びが今一つといった感じで「あれっ?」と(調子が悪かったと後から知ったのだが)。最後の技巧的なアリアは本当に見事で、息を呑むほど素晴らしかった。
 そしてドン・ラミ―ロの小堀さんの明るく抜けるような歌声に驚愕。美声とはこのことだと、うっとり聞き惚れてしまった。なんといっても、脇園さんと小堀さんという若々しいフレッシュな組み合わせが、《チェネレントラ》の世界にはふさわしかったように思う。舞台に爽やかな風が抜けていくようだった。

 このフレッシュな組み合わせの脇を固める共演陣も芸達者で、特にクロリンダの光岡さんのコメディエンヌぶりがいい!悲劇より喜劇(人を笑わすこと)の方が難しいと思うが、やはりブッファなので、歌だけではなく、動きにもコミカルなテンポが欲しい。オーケストラも、弾けるノリの良さを表現するのは大変だと思うが、十分ロッシーニらしさを味合わせてくれた。
 日本でこれだけのロッシーニを味わえるなんて、幸せだ。

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 人生2度目の大阪へ。母と共にフェスティバルホールでロッシーニ《チェネレントラ》を鑑賞。
 母も私も初めてのフェスティバルホール。5周年を迎えたばかりとのことで、まだ初々しさが感じられる。色調は温かみがあって落ち着いた雰囲気。照明も幻想的で素敵だ。
 今回はこの《チェネレントラ》を聴くために大阪へ来た。ちょうど「母の日チケット」という母子セット券があり、「今年の母の日はこれでいこう!」と。毎年、花を贈っているが今回はオペラ鑑賞というわけである。
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 ビュッフェ券が特典として付いている。母は鮮やかな「ロッシーニ」カクテルを。ストロベリーの香りが華やかで、ロッシーニの雰囲気にぴったり。私はアルコールダメなのでジンジャーエール。
 しかし、音楽鑑賞のための遠征(国内)は久し振り。びわ湖ホールの《死の都》以来だ。
 ロッシーニのオペラも何年振りだろう。東京文化会館で《ランスへの旅》を聴いたのが最後だったかな、と記憶を手繰り寄せる。
 今回は東京では聴けないので大阪まで来たのだけれど、プチ旅行も楽しめて一石二鳥。大阪、凄く良かった。また来たいな。

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 中世の伝統歌、というタイトルに何とも言えぬノスタルジックな、いにしえの薫りを感じてチケットを購入。
 初めて接するアンサンブルなので、期待と不安が半分半分。が、どんな世界を見せてくれるのだろうかというワクワク感の方が勝る。いよいよ演奏が始まると、一曲目《美しきパリの女たち》(フランソワ・ヴィヨン作曲)から「わぁ、これはいい!」と気分が高揚。これは大当たり!
 大好きなデュファイ(初期ルネサンス)や、モンセラートの朱い本があったのは嬉しかったが、ほとんど初めて聴く曲。
 それは、いつから歌い継がれてきたのだろうか、十字軍時代のセファルディムの伝統歌、12世紀の紡ぎ歌、13世紀の写本、また中世のマリア賛歌からは、「マリア崇拝」の伝統を感じる。演奏の最後、観客も一緒になって「アベ・マリア」と繰り返し声を合わせて歌ったが、その当時の聖母マリアに対する人々の想いが、ひしひしと迫ってくるようだった。

 5名のアンサンブルだが、古楽器(10種類ぐらいはあったのではないだろうか)を駆使して、民謡を生き生きと、そして吟遊詩人の歌をしっとりと、ある時にはコミカルな歌と変化を付けて全く飽きさせない。
 そして、バロック以前から存在する古楽器の数々に目から鱗状態である。楽器のルーツを辿ると、西洋も東洋も元は同じという楽器は多いが、やはり古いものになればなるほど、東西の境目が曖昧になっていく感じがするのである。
 歌はどうだろうか、最後には何か遙か遠い遠い過去に還っていくような、懐かしい思いに囚われて目が潤んでしまった。頭で聴くというよりも身体で音楽を受け止めたような気がする。

 CDを購入しようとしたところ「3種類あったが、初日で全て完売」とのこと。残念。また機会があれば聴きたいもの。

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 楽しみにしていたピエール・アンタイによるスカルラッティの演奏会へ。
 以前にラジオ放送でアンタイのスカルラッティを聴いた際、度肝を抜かれCDも聴いていたが、今回実演に接することができて嬉しい。ラジオ放送で聴いた際は、歴史的に名高いヘンデルとスカルラッティの鍵盤演奏対決という企画だったが、チェンバロ曲を聴き比べると圧倒的にスカルラッティの勝利である。目を瞠るような驚きに満ちた曲の展開は、眩いばかりの音の渦となり、まさにスカルラッティは鍵盤の魔術師だ。
 ドメニコ・スカルラッティは、バッハやヘンデルと同い年だが、新しい様式を先取りしている感が強い。古典派への架け橋となっているC.P.Eバッハに近いと言われるのもうなづける。

 アンタイによるスカルラッティはそれは見事で、まるで魔術師のごとく、次から次へと鮮やかな手品が繰り出されるよう。驚きに満ちて、胸がずっとドキドキしていた。そんなソナタの中で、一曲だけフーガハ短調K.58(バッハ《音楽の捧げもの》に似ているような)があったのだが、これが明らかに「異質」な印象で「時代遅れ」に聴こえてしまう…。
 そんなスカルラッティを聴いて思い浮かぶのは、やはりスペインのまばゆい太陽、その光の下で踊られているダンスの風景や、掻き鳴らすギターの音色などの情景。そして光が鮮やかなだけに、陰はより濃く暗いものとなり、その暗さもじっくりと味合わせてくれた。16世紀から17世紀前半には「スペインの黒」が流行したが、私にとってスペインの色は「黒」。スカルラッティのソナタには、確かにその深い「黒」がある。
 
 ピアノで弾くこともポピュラーなスカルラッティだが、私のピアノの師匠は「どうも弾き方がよく分からない」と言う。チェンバロでの演奏を聞くと、こちらの方がよりストレートに(面白く)曲を味わえるように思える。ギターを模した音色など、ピアノで表現するのは難しく、ピアノで弾くならば、曲を選ぶ必要があるだろう。

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