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 カンヌ映画祭で評価の高かった作品とのことで鑑賞へ(パルムドールは是枝監督の《万引き家族》)。主演はイタリアでは知らぬ人などないという、すでに国民的女優といえるアルバ・ロルヴァケル(妹は話題の映画監督アリーチェ・ロルヴァケル)。これまで彼女の少女時代からの出演作をいくつか観ているが、もう大人な年なのね。いつまでも少女のような雰囲気のアルバ(可愛い)。

 監督はジャンニ・ザナージ(1965年、ヴィニョーラ生まれ)。この監督の作品を観るのは初めて。
 原題《Troppa grazia》は過度の恩寵、多すぎる恵みともいえるのだろうか。アルバ演じる主人公ルチアはシングルマザーで測量技師として奮闘中。その彼女の前に「神の母」が現れて、教会を建てるようにお告げを述べるのだが、ルチアは戸惑うばかり。それも当然、現代においてそんなことが起こるなんて、誰が想像しえようか。このルチアの反応がコミカルで楽しい。
 ルチアの住んでいる街は田園の広がる、自然豊かな地域。そんな田舎にも、大規模なショッピングセンターが建設されることになり、ルチアはその土地の測量をしているのだ。建設によって利権を得、近代化を図ろうとする有力者たちの思惑もあり、時代の波は否応なく迫ってくる。イタリアにも日本と同じく、郊外に大規模なショッピングセンターがあるのは今や当たり前の光景となっているのだろう。それによって失われていくものへも目を向ける視点が、他人事ではない事柄として身に沁みるなと。ラストもよかった。

 しかし、昨日も洗礼者ヨハネとサロメ等々の聖書オペラ鑑賞、そしてまた今日の映画も神の母が登場、これから観る予定の映画も神様関係がズラズラと続く感じ…。

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昨年、古代ローマからの景勝地カプリにて
ティベリウス帝が晩年を過ごした場所、フローベールの原作にも登場

 なかなか聴く機会のないオペラ、マスネ《エロディアード》の演奏会へ。この機会を逃すと一生聴けないかもしれないという誘惑…、オペラ好きとしては上演自体がまずありがたい。CDでは聴いていたものの(ウィーン国立歌劇場のライブ盤)実際の演奏は初めて。

 原作はフローベール『三つの物語』の最後の作品「エロディアス」から。オペラの台本作者はこの原作から枠組みだけ取り出して、オペラ向けに内容を再構築しているので、原作とはほとんど別物といってもよいと思う。というか、原作をそのままオペラ化するほうが無理がある。エロディアス」はあくまでも『三つの物語』のなかの一つで、他の二つの作品があってこそ意味を成すからだ。それは他の二つの物語にも言えることで、三つの物語が重なることで完璧なフローベールの作品世界となる。まさに三位一体、「エロディアス」は父(神)、「聖ジュリアン伝」は子(イエス)、「純な心(まごころ、素朴なひと)」は聖霊を表現しているように思える。
 特に「聖ジュリアン伝」は号泣するほど心打たれた。フローベールが描く、イエスに抱かれて昇天するジュリアンの姿に感動しない人なんているのだろうか。この「聖ジュリアン伝」と「純な心」ではイエスと聖霊の出現による救済で締めくくられるが、「エロディアス」にはそうした救済がない。人間イエスが生きていて、洗礼者ヨハネも牢に捕らえられているからだ。物語としては新約聖書の記述に添い、エロディアスの娘(サロメ)によってヨカナーン(ヨハネ)が斬首されたところで結びとなる。

 マスネの《エロディアード》では、グランド・オペラらしく、洗礼者ジャン(ヨハネ)、サロメ、エロデ(王)の三者による恋愛模様を中心とした流れ、エロディアード(王妃)も物語の鍵を握る存在感たっぷりの迫力である。
 原作でも紀元前のローマ支配下のユダヤの地がリアリティ豊かに描き出されているが、マスネもスケールの大きい音楽作りで、十分にその鮮やかなオリエントの雰囲気を作り出すことに成功していると思う。優美なだけではないのが、さすがマドモアゼル・ワーグナー。
 公演後に再びCDを聴いてみると、また新たな魅力が浮かび上がってくるよう(素敵だ)。こうした作品こそ当時を再現したオーソドックスな演出&衣装で、リアリティ豊かに観たいものだが、それができるのは今やMETぐらいか…。
 この大作を演奏するのは、フランス語の歌唱を含め大変であったろうと思うが、作品全体と魅力を改めて知ることができたのが何よりも嬉しかった。今後もマスネの様々な作品を聴くことができればと、ファンとしては願っている。

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昨年7月に訪れたフィレンツェ
夏の空に大聖堂と鐘楼が眩しい
 
 フィレンツェを舞台としたオペラ2作品の公演へ。
 ツェムリンスキー作曲《フィレンツェの悲劇》&プッチーニ作曲《ジャンニ・スキッキ》のダブルビル。悲劇と喜劇という組み合わせの妙を十分に味わい、久々にオペラの公演を楽しんだ。
 何より、演出が奇をてらわないオーソドックスさでいい。粟國さんの演出は、昨年のフェッラーリ作曲《イル・カンピエッロ》(ゴルドーニ原作)でも、在りし日のヴェネツィアに居るかのごとき鮮やかさで印象に残っているが、今回も素敵だった。
 今回の作品のように、一般的にあまり馴染みのない作品については、やはり作品世界への理解を助ける「分かりやすさ」が求められると思うし、それが観客への親切な対応ではなかろうか。
 そこを押さえたうえで《ジャンニ・スキッキ》は喜劇にふさわしい遊び心の効いた演出で、プッチーニ節の流麗なメロディーと進化した和声の相乗効果といったら!幸福感が溢れ出る舞台とはこのこと。
 演出では台詞に沿ってフィレンツェの名所&美術家等が登場、そしてもちろんダンテと『神曲』そのものも!この『神曲』の使い方には舌を巻いた。まさに地獄から登場のジャンニ・スキッキに、お見事!
 「フィレンツェよ、さらば」とジャンニ・スキッキがうたう箇所は、否が応でもフィレンツェから追放されたダンテの悲哀が感じられて、切なくなる。
 そして、「フィレンツェは楽園のよう…」と、うたわれるフィレンツェ=ダンテ賛歌に、こちらも暖かな愛情に包まれていく感じ。
 だって《ジャンニ・スキッキ》はプッチーニの天国篇なのだから、満ち足りた気持ちになるのも当然。ただただ、素晴らしい。
 

 《フィレンツェの悲劇》は初めて聴いたが、すぐに「あ、これ好き」と。
 特にオーケストラが良くて、以前にやはり沼尻さんの指揮で聴いたコルンゴルト《死の都》を想い出した、というのは音楽がシュトラウスっぽいだけではなく、コルンゴルトにも似ている…と感じたからだが、それも当然、プログラムを読んだらツェムリンスキーはコルンゴルトに作曲を教えた先生だった…。好きと思うのも当然。
 この戯曲には、こうした後期ロマン派の音楽がピッタリ嵌まる。私にとっては理想的。

 原作はオスカー・ワイルド。ワイルドが釈放後にナポリで手を入れ完成させようとしていた戯曲。ナポリの太陽の元でないと書けないと…。
 古典の専門家でもあったワイルドの台詞は華麗でデカダンス。イタリアの優雅な古都の名も散りばめられていて、なかにはプッチーニの故郷ルッカの名も。
 ワイルドの人生自体が華麗さと醜聞に満ちたドラマチックなものだが、《フィレンツェの悲劇》には生涯の恋人ダグラスとその父との関係が投影されているような気がしてしまう。彼の内面と美学を吐露したような、倒錯した愛の関係性(ワイルドとダグラスとの関係も非常に複雑だった)を感じさせるこの作品の背景についても、プログラム等で掘り下げた解説があると嬉しかった。

 ワイルドが投獄されていた時に読んでいたのがダンテ『神曲』。特に「地獄篇」に惹かれていたそう。これは《ジャンニ・スキッキ》=ダンテ『神曲』繋がりで、読み替え演出にも使える(もう使われていたりして…)ネタでもあるなぁと。