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 毎年のことながら、年度末から年度初めは何かと気忙しく落ち着かない日々が続く。仕事中心の日々なので致し方ないとはいえ、こちらのブログも放置状態だ。
 今年の桜はあいにく天候には恵まれず、また改まって桜見物に出掛ける余裕もなかったが、近所を車で少し回るだけでも花見が楽しめて満足。
 コンサートや美術展へ行く機会も減ったが、無理をしないでカジュアルに自宅で音楽を聴いたり、本を読んだり、近所のシネコンで映画を観たりと、できるだけ時を忘れて楽しめる機会を持つようにしたいなと。

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 最近読んだ本から。

 内澤さんの本は『身体のいいなり』が評判になった際に、初めて手に取った。私と同じように大病をされたこと、ヨガに嵌まったというところに(私が勝手に)共通点を感じて、興味深く読んだことを覚えている。身体のダイレクトな変化とともに精神面も変化していくところが、内澤さんの表現で率直に綴られていて、そのストレートさには爽快感さえ感じられるほど。女性として、こうたくましくありたいと思わせてくれる骨太な生き方がカッコいいなぁ。

 先月の新聞の読書欄に、内澤さんによる移住についての寄稿文とお勧めの本が載っていたが、この『漂うままに島に着き』は都会から地方へ移住した体験のエッセー。
「いつのまにか、地方よりも都会が、東京が、ディストピアになってしまったのだと思う」という一文に深くうなづかされた。私も一応東京生まれ、東京育ちだが、この見渡す限りのコンクリートジャングルに埋もれていると、なんと自然というものから遠く隔たってしまっているのかと、唖然とすることがある。そして時折感じる息苦しさ、人間も自然の生き物なのに。
「家の石垣に腰かけて、ヤギのカヨとカヨの息子のタメと、青い青い海を眺めていると、綺麗すぎて、自分は実はもう死んでるんじゃないかとすら思う。…楽しすぎるんだけど、これ夢じゃないの?とも」。読者として、そのシーンを想像しただけでも、まるでユートピアのよう。本当の豊かさとはいったい何を指すのだろうか?実体験に基づいたリアルな洞察が、そこにはある。

# by marupuri23 | 2017-04-09 22:02 | | Comments(0)
オール・イタリアン・プログラムで_e0036980_00135602.jpg
 春を感じるとはいえ、まだ寒さが抜けず桜の開花が待ち遠しい日々。今日はオール・イタリアン・プログラムのコンサートへ。イタリア文化会館が会場ということで、これ以上に嵌まる場所もないというもの。
 東京ヴィヴァルディ合奏団の演奏で、まずはヴィヴァルディのヴァイオリンコンチェルト《恋人たち》。この華やかな響きの色合いに浮かび上がるのは、やはりヴェネツィア。ああ、美しいところだったと情景がよみがえり、郷愁の念に駆られてしまう。
 
 ヴィヴァルディのあとは、どれも初めて聴く曲。
 ロッシーニ《チェロとコントラバスのための二重奏曲》は、最後に演奏されたドニゼッティ《弦楽四重奏曲 第5番(弦楽合奏版)》とともに、雰囲気がまさにオペラ。ロッシーニは低音楽器で、ユニークな構成だけれど、それでも十分にオペラ・ブッファで感じるような愉悦を感じさせてくれるのはさすが。圧倒的だったのがドニゼッティ、オペラの縮小版ともいえるほどの曲の完成度の高さに驚いてしまった。今までドニゼッティのオペラを積極的に聴いてきたとはいえないが、この弦楽四重奏曲を聴いて「あー、やはりこれは直球ど真ん中のイタリアものだ。イタリア魂を感じるなぁ。」と改めて納得。演奏がとってもよくて、大満足。

 そしてボッシ《ゴルドーニ間奏曲》、ボッケリーニ《弦楽五重奏曲「マドリードの夜の音楽」》。
 《ゴルドーニ間奏曲》はその名の通り、ヴェネツィアの劇作家ゴルドーニから。戯曲を想い起させ、まるで音楽による喜劇のよう。ドタバタ感や皮肉めいた言い回しが溢れ出るかのごとくで、楽しい気分が盛り上がること!ボッシは19世紀後半なので、書法もモダン。気に入ったので、全曲版でまた聴きたいな。ボッケリーニは、こんなに楽しい曲も作っていたんだと。渋い曲のイメージがあるので、新鮮だった。

 音楽だけでも体全体でイタリアを感じられる、今回のプログラム。イタリアの情熱に包まれて、充実感たっぷりだった。

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休憩時にいただいたサンドウィッチ&サブレ。美味しかった♪

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―ヴェニスをその街にふさわしく愛する方法はただひとつ、その街にしばしば触れさせる機会を与えることであり、そのためにはぐずぐずとその街に居据わって長居し、どこかに飛んで行って、また舞い戻ってくることだ―『郷愁のイタリア』ヘンリー・ジェイムズ著/千葉雄一郎訳
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 ヘンリー・ジェイムズは私の好きな作家。私も実際にここを訪れて、彼が愛したヴェネツィアの面影が、今でもそのままに感じられるのは嬉しかった。ヴェネツィアでは、夜も音楽鑑賞のため出歩いていたので、必然的に3日間とも22時過ぎまで街中を横断していたことになる。
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 こうしたメインストリートは夜でも艶やかで、雰囲気を十分に味わうことができるのだが、私の泊まっていた宿はサン・マルコ広場の裏手にあり、迷いやすい場所。夜になると、細い路地が入り組んでいるため、位置が分かりにくくなり、人っ子一人いない薄暗い路地(しかも一人がやっと通れるぐらいの狭さ)をドキドキしながら駆け抜けることが数回あった。
 でも、そうした迷宮的なところこそ、今まさにヴェネツィアにいるのだということを実感した瞬間でもあった。ボーッとオレンジのライトで照らされている誰もいない狭い路地と、小さな橋のかかったいくつかの運河を超えて宿に戻るのだ。
 ヘンリー・ジェイムズの言う通りに、いつか、あの迷宮へまた舞い戻ってきたい。

ジョヴァンニ・ベッリーニの聖カタリナ(アカデミア美術館)_e0036980_22562168.jpg
 今回のイタリアの旅では、美しき女性の聖人にたくさん出会うことができたのだが、ヴェネツィア・アカデミア美術館でのジョヴァンニ・ベッリーニの女性像には、一目で心を奪われてしまった。数百年前とはとても思えない、最近描かれたような新鮮さには、驚きすら感じる。
 この《聖会話》では聖カタリナの真っ直ぐな瞳と、乙女の初々しいさを感じさせる描写にうっとり。
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そして聖母子。こちらはまだ初期ルネサンスの硬質さが感じられるところがいいなと。
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コルンゴルトをピアノで_e0036980_22424212.jpg
 ここ最近はバロック&古典派中心のレッスンなので、たまには息抜きで系統の違う小曲を弾きたい…と思ってコルンゴルト《死の都》から大好きな「リュートの歌」。
 「サラッと弾きたい」…のつもりだったのに、結構難度が高いことが分かり、適当にごまかしながら練習中。先生に聴いてもらったが、この曲を聴いたことがない先生は「??」と感想も言えない感じで、コルンゴルトにも先生にも申し訳なく…。自分的にはうっとりしているのけれど、少しでも人様に伝わるように頑張りたい。
 先月にウィーン・フォルクスオーパーでは《ヘリアーネの奇跡》が上演(演奏会形式)。実際に聴いてみたいので、羨ましいなと。CDで聴いたときは作曲当時のコルンゴルトの心情と重なるように思え、胸が詰まった。時代に翻弄されながらも、その時代からこそ作り得た音楽でもあるのだろう、と。